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自宅でお写経をしてみよう

ご無沙汰しております。瞑想中の蜜りんごです。コロナウイルス関連で気持ちが落ち着かず、なかなか更新できずにいました。般若心経の解説が中途半端になっております。誠にすみません〜!

このマガジンのパートナーである、さすらいのバインミーさん(ベトナム在住)とは密に連絡をとっていました。中国と陸続きのベトナム。コロナ対策は当初から徹底していて、社会主義政府のぎょっとするような強硬手段も耳にしていました。日本は政府批判が自由にできる平和な国ですが、それはそれで国民一人ひとりのモラルが問われますね。

■日本を襲った天平の疫病

さて、この週末は私も東京都からの外出自粛要請&雪のために家にこもっておりました。ウイルス危機は生まれて初めての経験なのですが、昔の人はどう乗り越えたのか気になり、調べてみました。

国難とも言えるウイルス蔓延で思い浮かぶのが、奈良時代の「天平の疫病」(735−737)です。社会科の授業でも出てきましたよね。第45代・聖武天皇の時代です。(在位724−749)
外国船に乗った漁師を感染源として天然痘ウイルスが広がり、九州・太宰府から全国に広まったようです。当時、政治の中核にいた藤原氏の四兄弟が相次いで亡くなり、日本の人口の25〜35%の人が亡くなったと伝わります。恐ろしいですね。


■疫病終息など国家鎮守のため、東大寺大仏殿を建立

聖武天皇の時代は波乱に満ちてきました。飢餓・飢饉・天災・ウイルスの蔓延……。そんな世の中に心を痛めた天皇は、“奈良の大仏”で有名な東大寺の盧遮那仏像(るしゃなぶつぞう)を建立します。(752年) 

ちなみに「盧舎那仏(るしゃなぶつ)」とは釈迦如来のことで、左手は宇宙の智慧、右手は慈悲を表しているそうです。仏教でいう智慧や叡智の意味は、知識や教養のことではなく、物事を正しくとらえる力のことを指します。

■仏教は心の拠り所

東大寺大仏殿の建立は、一庶民にとっても心の拠り所となったことは確かでしょう。
心の拠り所といえば、写経も思い出されます。写経は、もともとは僧侶が経典を伝えるために書き写したり、修行のひとつとして行われていましたが、平安時代頃から病気平癒や先祖供養など、個人的なお願い書いて納めるようになったそうです。

私も今日はウイルス終息の願いをこめて、お写経させていただきました。
窓の外は雪が降っていたので、雪の反射での静かな写経となりました。

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こちらの写経用紙は、実は高野山の宿坊取材のときに、撮影で使わせていただいたものです。時間がなくて途中になったため、自宅に持ち帰りました。
そのことをすっかり失念していたのですが、このタイミングでふと思い出したのでお写経してみました。この写経用紙は、高野山東京別院か、高野山の本山に参拝したときに納めようと思います!

※東大寺の話にもどりますが、東大寺では写経セットの通販があります。仏様をなぞる写仏もあるので、この機会に、お好きな方を選んではいかがでしょうか。

では、また!

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