現実は幻実なのさ

手塚治虫と仏教

前回は般若心経のタイトルをお話をしました。
こんにちは。瞑想中の蜜りんごです。

般若心経の般若波羅蜜多は、アルファベットで「Prajna Paramitha 」と書くのですが、「Prajna」と聞いて、ふと手塚治虫の『ジャングル大帝』に出てくるパンジャのことを思い出しました。主人公レオのお父さんライオンです。

「パンジャ」を調べてみると、「Panjā」というネパール語が出てきました。“かぎ爪”という意味があるようで、ライオンの鋭いかぎ爪が名前の由来かもしれません。

そしてもう一つ! 手塚治虫は漫画『火の鳥』や『ブッダ』を描いてますし、仏教に造詣が深かったことは間違いないので、もしかしたら般若心経からヒントを得たのではないかと。手塚漫画は生き物の命の尊厳を表現したものや、宇宙観が描かれているものが少なくないと感じていて、それは仏教の思想から来ているのではと思うのです!

「パンジャ」って、とても気持ちがいい響きだなあ〜と幼いころから感じていたのですが、もしそれが「般若心経」から来た“パンジャ”なのであれば納得がいきます。お経は意味よりも何よりも、「音の響き」が一番大切だからです。般若心経の意味を解説しておきながら、ナンですが……。(笑)

ジャングル大帝のレオの父「パンジャ」の名前は、般若心経の「Prajna」が由来ではないかしら!?という勝手な妄想のお話でした。


■略されがちなリード文の冒頭は、全体の構成を知るのに大切な要素!

さて、今回は般若心経の導入部分を研究したいと思います。

般若心経には一般的に使われる長さの略本と、導入と結びが入る大本があるのですが、大本で導入部を少し見ていきます。


如是我聞 一時佛在王舎城霊鷲山中 与大比丘衆及菩薩衆倶……
(大本のリード文)

……なんだかさっぱりわかりません。(笑)でもめげないで!(ワタシ)
冒頭を見てください。「如是我聞」からはじまっています。
初回の「そもそもお経とはなんぞや」で少し「如是我聞」について触れましたが、ここでさっそくその話が活きてきます。
「如是我聞」は「私はこのように聞きました」という意味でしたよね。

般若心経はお釈迦さま入滅後500年位たってから、弟子たちがこれまでの口伝を文字にまとめたものです。導入部は、「私はこのように聞きました。あるとき、お釈迦さまは修行者たちと山で修行をしていたとき……」とつながります。

①観自在菩薩(かんじざいぼさつ) 行深般若波羅蜜多時(ぎょうじんはんにゃはらみったじ) 照見五蘊皆空(しょうけんごうんかいくう)  度一切苦厄(どいっさいくやく)

一般的な長さの略本は、ここからはじまります。
ざっくりとした意味は、
「観世音菩薩さまは深い智慧の境地に入り、この世のすべてのものは実体がない“空(くう)”だと気づき、あらゆる苦しみから解放されました」

リード文の冒頭を読むことで、「①……というように私は聞いた」と説明していることが分かります。般若心経はリード文に筆者が登場し、一人称になっています。導入が省略されてしまうと、全体のストーリー構成が理解しにくいかもしれませんね。

■私たちの悩みのもととは

照見五蘊皆空の一文に出てくる「五蘊(ごうん)」とは、仏教のキーポイントの一つです。
「五蘊」は、「色・受・想・行・識」という、私たちを形づくる5つの働きのことを指します。「色」という物質的なものと「受・想・行・識」という心理的・認識的な動きに分けられます。

色…肉体・物質

受…外からの刺激に対しての知覚、感じること
想…想像したり考えたりすること
行…意志を持って行動に移そうとすること
識…外から受けた情報を認識、分別すること

自分とはこの5つの要素が集まり成り立っているものですが、自我に執着するが故に、悩みや苦しみを生み出しています。

リード文をまとめると、
「私はこのように聞きました。観音菩薩さまは深い智慧の境地に入り、この世のすべてのものは実体がない、錯覚だと気づき、あらゆる苦しみから解放されました」

現実は、幻実ってことでしょうか……。((((;゚д゚)


次回に続きます…。ではまた〜。



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