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僕が社長になる理由 【D2C事業立ち上げのほぼ全部】

こんにちは、がぱけん(@gapaken335)です。
家電メーカーでマーケティングとして働く傍らD2C企業の代表を務めています。
このnoteは、シリーズ「D2C事業立ち上げのほぼ全部」のひとつ。

このシリーズは会社員が会社に勤めながら会社を起こす上でのプロセスを、気持ちや戦略策定から事務処理まで細かくまとめて行こうという企画です。

各記事へのリンクを整理したまとめ記事はこちらなのでよかったらみていってください。

今回は、初心表明として、なぜ会社を起こそうと思ったのか?について語っていきたいと思います。


「そうだ、社長になろう。」


僕の職業は会社員です。都内で夫婦つつましやかに生活するくらいの安定した給与と社会的信用をいただき、その対価として日々労働力を提供しています。

仕事の不満はゼロではないが嫌いではないし、人間関係は良好。
評価も上々でありがたいことに給与は(微量ながらも)右肩あがりときている。

それでもやっぱり、「社長になろう」そう強く思ったのです。


ここで少し僕の話をしましょう。
ちょっぴり長くなってしまうけれども、よかったら聞いていってください。
身バレして困るほどの身分ではないし、あまりボカさず行こうかな。

僕は現在31歳だけど、実は転職を二回ほど経験しています。

一社目はアメリカ資本の素材・化学メーカー3Mの技術職。
成り行きで化学を専攻、大学院まで進学していた僕としては、これまた成り行きで「とりあえず経験を生かせる化学メーカーで一番いろいろなことがやれそうな会社に行こう」という安直な発想で志望し、なんとか内定をいただきました。

そんな安直な発想は概ね正しくて、就職した会社には幅の広い技術とそれを組み合わせたユニークな製品、世界的なブランド、そしてなかなかのお給料というおおよそ最高に近い環境が待っていました。すごい!

新卒の僕はキラキラした希望を胸に、一生懸命働きました。

幸運なことに、新卒のド新人ながら一生懸命考えたものが顧客に渡って喜ばれる経験をしたり、小学生向けの出張化学教室を運営させていただいたりと、なかなか充実した社会人生活を送れていました。

しかし、僕は入社後2年ほどで会社をやめてしまいます。
それはなぜか?

アメリカ本社に口を出されるのがたまらなく嫌だったからです。

海の向こうの日本の現場を一度も見たことないであろう知らないおじさんが、事業部の方針にガンガンに口を出してくる。
「その製品はxxという点をポイントとして訴求するんだ。君たちの言っている△△では筋が悪い」などなど、日本の顧客個別で見るとありえないような指示が飛び交うことに辟易してしまっていました。
発売前の顧客インタビューで顧客にとても喜ばれていて、絶対に良いものになると考えていた製品の開発について「グローバルの戦略と合わない」の一言で中止させられた時、構造上の問題だと理解し、僕は転職を決意したのです。

「外資のお給料が高いのは、海外本社からの横槍に対する慰謝料込みだから」というのが一社目の学びでした。

さて、次はどうするか?という時、僕には二つの方針がありました。

①国内の面白い製品を持つメーカーに入る 
②マーケティングを仕事にする

①はもちろん1社目の反動。口を出されるのは嫌なので、自国が本社の企業にしよう。そして僕は商品に惹かれるタイプなのでそこは引き続き追っていく。

②に関して、技術だったのになぜ急にマーケティング?という疑問が湧くかもしれません。でもこれ、実は職種変更ではないのです。
外資メーカーの技術職は海外の製品のローカライズや用途開発がメインであり、マーケティング機能を担うことがしばしばありました。
元々生粋の科学者という性質でもない僕は、この手の仕事が案外楽しかったのです。「どんなお客様に何を届けたら喜んでくれて、それをどういう風に伝えたら興味を持ってくれるか?」この問いは科学でありながら、人間味を持っており、論理と妄想が好きな自分にとってはどうしようもなく魅力的に思えました。

しかしここで問題が発生します。

マーケティング「的な」仕事の実績はあるが、マーケティングをしたことはない。このような人材を日本の大手メーカーがマーケティングとして雇うだろうか?いや、雇わない。

困った現実に思わず反語が飛び出したところで考え、たどり着いた結論が「外資系コンサル」でした。

インターネットで漁った情報によると、どうもコンサルティングファームという謎のおせっかい集団が存在するらしい。
そこには優秀な人材が集い、昼夜を問わず働き、厳しい現場で鍛えられた後にはあらゆる企業から引く手数多のスーパー人材が出来上がるとの噂。

「これだ。ここを経由すればきっと好きなところに雇ってもらえる。」僕はそう確信しました。

画してキャリア中期計画「技術→コンサル→マーケ三角飛びプラン」が出来上がったのです。

そんなこんなで色々あって、外資系の総合ファームアクセンチュアに潜り込むことに成功。
そこで数多くの日本企業の支援の経験を積むことになりました。

振り返って見ると、コンサルの仕事はなかなか楽しかったと思います。
あくまでも支援というもどかしさはありますが、大企業の役員に面と向かって提言したり、一つのメッセージを数時間かけてひねり出したり、CPUが64個くらいついてそうなキレキレの先輩方とディスカッションしたりとなかなかに濃密な経験と数多くの学びを得られたと思います。

コンサルタントに求められることも「論理と妄想」だったりするので、僕は案外適性がある方だったのかも知れませんね。

しかしながら、日本の大企業に複数出入りして気付くこともありました。

「あれ、もしかして日系大企業、しがらみ多くてめちゃめんどくさい...?」

「上と調整します」「xx部とすり合わせします」「じゃあ会議を開かなきゃ!」「xxさんに事前にネゴしといて」濃淡あれど、この手のコミュニケーションで業務時間が埋まっていくクライアントを目の当たりにして、「これが俺の行きたいところだったんだっけ?」と疑問を持つようになりました。

また、もう一つ大企業ならではのギャップも見えてきました。

それは「機能の細分化」です。

組織の基本は分業制。ある分野が得意な人にその分野の仕事を集中させ、経験曲線効果も含めてどんどん効率化していきます。

これが数千人を超える大企業になると、どんどん分業化が進んでマーケティングにしても「ひたすらデータ分析をする人」「ひたすら価格調整をする人」「ひたすらSNSマーケティングをやる人」もしくはそれを「統括する偉い人」といった布陣になってしまいます。

これはまずい。

なぜなら僕のコアバリューの一つ「器用貧乏」が活きづらいし、何より面白くなさそう。

自分のやりたいことが製品や施策全体に責任を持てる一気通貫型の仕事なのだと自覚をしだしたのもこの頃でした。

となると、残るは、、、という気持ちでいたところにたまたまメールボックスに求人票が飛び込んできたのが今の会社でした。

独創的な製品と社長のカリスマ性で破竹の勢いを見せる新進気鋭のメーカー。

これじゃないか!と心の中で叫びました。
面白い製品を持っていて、大きすぎない、ブランド力があり、製品サイドのマーケティング募集。心の中のチェックリストにナイキマークを入れまくった後、即応募。すったもんだでまたしても運よく雇ってもらうことに成功しました。そういえば今まで生きてて面接で第一志望に落ちたことがない。今度から特技欄に面接と書くことにしよう。

ここでようやく名実ともにマーケティングという職業につけたわけです。
構想から三年。なかなかどうして、ズバリ計画通りである。自分のプランニング力も悪くないな、などと少々悦に浸ってしまっても許してほしいところです。

さて、とうとうと嬉しそうにこれまでのキャリアを語ってしまいましたが、自戒も込めてこのあたりでリマインドをしておきましょう。この文章のテーマは「なぜ社長になろうと決めたのか」です。

その回答を簡単に述べると、弊社の創業者社長が、自分の理想の働き方をしていたからに他なりません。

今までの僕の仕事に対する想いは以下のようなものでした。

・お客様に何を届けたら喜んで、どういう風に伝えるかを考えたい
・顧客理解の薄い外野から口を出されるのは好きじゃない
・支援だけでなく、できれば自分でものごとを進めたい
・自分の意思決定に対してしがらみが多いのは嫌だ
・狭い専門領域に特化するよりも、全体を俯瞰して仕事をしたい

今の仕事に関しても、近いところにいる感触はありますが、全てを達成できているわけではありません。
そしておそらくサラリーマンという形態に縛られている限りは全てを実現することは不可能です。これは外資、日系大手、ベンチャーと渡り歩いて、ひしひしと感じた結論です。

しかしながら「自分で会社を作ってその社長になる」という選択肢だけが、その不可能を可能にする。そういう実例を僕は自身の雇用主にまざまざと見せられているのです。

自分の好きなものを作り、組織や外部の力を使ってやりたいことを実現し、最終的にはなぜだかお客さんが大喜びをしている。

こんな楽しそうな仕事があるのかと衝撃を受けました。

目の前に可能性を提示されたら、それを探るのが人の性。
自分にもやれるかどうか、試してみよう。

自分が好きなことをやるには組織を自分で持つしかない。
そしてその器が今現在ないのであれば、自分で創ればいいじゃないか。

これが僕が社長になろうと思った経緯です。


一方で起業にはリスクが伴います。
現実を考えると、僕には妻もいるし、毎月家賃も払わねばならない。

「ちょっと社長になりたいから会社やめてきちゃった!てへ。」などと言おうものなら鉄拳制裁が瞬時に入り、逆ギレした妻に「だったら私も仕事辞める!」と言われ二人揃って路頭に迷うこと請け合いです。

だから、まずはサラリーマンをしながら会社を起こしてみようと思います。

勤め先から安定した給与と社会的信用を得ながら、自分のやりたいことを別で模索し、収益化の目処がたったら独立する。
この作戦が最良のように思えました。

幸い今の時代ビジネスをスモールスタートするためのインフラやツールがたくさんあるし、種々お願いできそうなフリーの優秀人材も少しばかりはアテがある。なんとかなるだろう。

そして、きっとこんな世の中だからこそ僕と同じようなことを考える人がいるはず。そんな人のために、会社を立てるまでのプロセスをnoteでできるかぎり公開しようと思います

起業を考えた時に、法人登録やメールアドレス取得と言った事務的な話や、社名の決定、SaaS系ツール選定、(どこまで出すか迷いますが)コンセプトメイク、各種パートナー選定、融資、補助金申請などなど考えただけでもやることがたくさんありそうな割に、情報がひとまとめになっていない(もしくは探せない)。これは直近僕が困っていることです。

しっかりとまとめるのは大変だけど、同じような境遇の人の助けになれたらと思うので、がんばってみようかなと思います。

さあ、ここがスタート地点。
サラリーマンとの両立はなかなか大変ですが、楽しいことも多い道のりに思えます。
ゆっくりと、けれども確実に歩いていこうと思います。

ではまた。

がぱけん



さて、ここで宣伝です。

そんなこんなで出来上がったのがこのNagaraハンディスープです。

「忙しくても、美味しさをあきらめない」をスローガンとして、ウィダーインゼリー的に飲める容器に、有名ホテル出身のシェフ岡嶋伸忠さんと作ったとろみの強い本格冷製スープを詰めました。

発売して1週間と少しですが、ありがたいことにお客様からの評価は上々です。


50%オフ(送料込み550円)で買える初回限定お試しセットもございますので、是非覗いてみてください!


ではまた!

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