推しに身の上話をする厄介なヲタクの話

 私がありとあらゆる声の活動をやめた一因に、今の会社に就職したことがある。副業禁止がド厳しいので、疑われるのが面倒臭かったというだけ。
 仕事の内容はとても暗い。黒くはない。でも客として来る人々に、私生活ではあまり会いたくない。私生活をばらしたくもない。それもまた、人の目に触れそうな活動をやめた一因だった。
 ひたすら、普通の人なら触れない社会の澱にぽたぽたと水を注ぎ、いかに澱のままにしないかを考え続ける仕事である。
 でも結局はたから見りゃ澱なので、それこそ家族親類に今の会社への内定が決まった話をすると、まともに理解しようとしない親類は偏見も極みな言葉を投げかけてくることもあった。こちらは希望と熱意を持ってこの会社を目指したのに、だ。まあ仕方ない。ここは闇よ。
 親類縁者がそんな調子なので、就職してから仕事の話は家族にも含めほぼしなくなった。幸いにして類似業者と縁があり結婚に至ったので、日々の苦しみは配偶者と分かち合えた。
 ただ、気がつくと自分自身も偏見に苛まれて、澱を澱と認識するようになっていた。この社会はどうしたって変わらないと思い始めていた。無気力な厨二病成人の出来上がり

…を、止めてくれたのが、寺嶋由芙という人間であった。

 時は遡って2017年、とある対バン現場。
 特典会のネタに、私は会社のゆるキャラが描かれたグッズを持参していた。
 ゆるキャラ大好きなあまりテレビに出たりゆるキャラグランプリの司会をしたり…そんな彼女に、うちの会社のゆるキャラを見せたら、どんな感想をくれるだろう?
 ごく軽い気持ちだった。なんせうちの会社のゆるキャラ、知名度は死ぬほどないが、結構かわいいので。
 仕事の中身を話すつもりはさらさらなかった。本当に、こんな子もいるよと言うだけのチェキ撮影会のはずだった。
 できれば弊社の扱う世界と、彼女のいる世界はまじわってほしくないなあ、とすら思っていた。
 自分の番になってグッズを手渡した瞬間、彼女は対面にいる私の鼓膜を突き破るようなとんでもない声で叫んだ。

「知ってる!!!!!!!!!!!!!!」

は?

 大興奮でうちの会社のゆるキャラについてまくし立てる寺嶋由芙。
 なんで知ってるのこんなニッチなキャラとばかり驚嘆の「えええ」しか言わない私。
 さらに大声早口で彼女が「ねえ知ってる!?」と弊社のゆるキャラの過去のエピソードに触れ始めた瞬間、突如私に賢者タイムが訪れた。
「うちの会社の子です」
 寺嶋由芙は目と口を見開き、黙った。

 撮影が終わってしばし歓談と思いきや、彼女のゆるキャラトークが終わらない。当然である。寺嶋由芙だし。
 なんと彼女、さらに知名度のない派生キャラのことまでご存知だった。恐れ入った。この人なめたらあかん。
 そして彼女は屈託のない笑顔で、いつかこのキャラと仕事をしたいと言ってくれた。
 雲が晴れるような気持ちだった。

 聡明な彼女のことだ。単にゆるキャラが可愛いというだけでは言わないはず。
 このキャラの過去までまるっと知っているということは、弊社の業務内容もよくご承知であるということ。
 それを知って彼女は、弊社のキャラと仕事がしたいと言ってくれた。その時だけでなく、毎年毎年、そのキャラを見かけるたび。あるいは見かけない場でも。
 しかも上記の言葉は彼女の発言のままではない。弊社の業務内容に引っかけて、本当に理解した言葉を使ってくれた。
 人間ができすぎている。ぶっちゃけ私、えらくなりたくなんかないが、えらくなるなら彼女に仕事を頼みたい。いつか本当に、うちの子と仕事してくれたら…。
 私が会社の外で唯一、家族でもなんでもないのに、仕事の話をする相手ができた日だった。

 あれから時折、彼女に手紙を書くことがある。ふつうのファンレターのように、彼女のイベントや曲に対するあれこれを。
 それと、いつか本当に仕事を頼めるようになったらと思って、仕事のことも認める。ちっぽけないち社員の感じたことも、彼女なら包み込んで発信してくれそうな気がしたから、問題ない程度に織り交ぜて書いている。
 彼女は何も言わない。でも、そんな手紙を読んでも、変わらずに弊社のキャラと仕事がしたいと、時折口にしてくれる。
 彼女はこんなことにも惜しみなく尊敬と学びの目を向けてくれた。澱み切った気持ちになることは今もあるけれど、あの時撮ったチェキが、あの時向けてくれた笑顔が、あの時伝えてくれた言葉が、今も変わらない姿勢が、今日も私の右手に社員証を握らせる。
 推しのいる世界が綺麗であることを守るために、社会の澱にスポイトで水を垂らす。ひとりの言葉でひとりが変われると教えてくれたのは彼女で、彼女の言葉で変われたのは私だ。
 つらいときには、弊社のキャラのシールを封に使って、まとまりのない手紙をポストに入れれば、また腹をくくれる気がしている。


ゆふちゃん、あなたを推していて救われることばかりです。いつもありがとう。