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守らずとも燃える炎(1)

SF小説「同乗者たち」スピンオフ。
井坂とアヤノ、そしてヨーイチ。出会いと別れの物語。


 信じるつもりなど、毛頭なかった。

「……のに、どうして来ちゃったんだろうな」

 独り言に返事は期待していなかったのに、タイミング良くひゅうと風が鳴った。廃墟と廃墟の間を通る空っ風は、今まで自分が生きてきた所と同じ風だとは思えないほど、乾き、侘しく、惨めだった。
 クロアナ街。
 ブレインスキャナを持たずに、俺は今日、ここに足を踏み入れる。


「暮日アヤノです。よろしく、井坂くん」

 一目惚れだった。
 年上が好きだ。知的な人が好きだ。なにより、美人が、好きだ。彼女はそれにすべからく当てはまる。心臓を矢で貫かれた感覚がした。これが、運命の恋。最初に出会ったとき、彼女は何の衒いも無く、俺に手を差し出した。数々の実験をこなしたその手のひらは、俺より年上だというのに、柔らかくて小さかった。
 汗ばむ手を必死にぬぐいながら思った。
 俺、怪我、して良かった。

「好きです、付き合ってくれませんか」

 本来の仕事である監理官に戻る一週間前に、思いを伝えた。受け入れられても、ふられても、それが始まりだと思った。彼女と共に歩む人生。彼女と別の道を歩む人生。どちらにせよ、俺は前に進むのだと。
 結果、彼女の返事はなかった。
 代わりに、彼女はタワーのシステムをハッキングし、自身の実験対象を逃がし、俺が血反吐を吐いてもぎ取った『特別監理官』という立場を、奪った。


 チャイムのメロディー音で、目が覚める。
 俺はゆっくりと起き上がった。上から処分を受けてから、もう何日もこうして布団にこもっている。寝ている間は、意識がない。意識がないということは、素晴らしい。
 今まで誰がきても無視を決め込んでいたが、今日の来客者はあまりにもしつこかった。絶え間なく鳴り続けるメロディーに、うなり声をあげてゆっくり体を起こす。毛布が滑り落ち、久々に体が大気に触れる。
 暗い部屋に灯った唯一の光は、マンションの玄関を映すモニターだった。瀕死の蛾の如くよろよろと近づき、そこに映る人物に目をやった瞬間、眠気は吹き飛び、心臓が止まった気がした。一つ息を吸い、吐き、震える指で解除ボタンを押す。程なくして、来客者が部屋の扉の前までまで来たことを、さっきとは違うメロディーが告げる。
 扉を開けた先には、いつもと変わらない様子の彼女がいた。

「……何しに、来た」
「電気、つけないの、マモ君」

 無表情で、暮日さんは言った。
 睡眠によって押さえつけられていた憎しみが、ふつりふつりと頭をもたげる。絞り出すように、同じ言葉を繰り返す。

「何しに来た」
「さよならを言いに。私、明日から遠いところに行くから」

 彼女の言葉に、怒りで染まった腹が、氷の刃を突き立てられたように冷え痛んだ。もう二度と会わない、会う理由も、立場もなくなった、それをわかりきっていたし自分も望んでいたというのに、こうして言葉で伝えられて傷つくなんて。

「……自分が貶めた男の顔を最後に見に来るなんて、良い趣味だな」
「貴方に、頼みがある」
「……なんだって?」
「貴方にしか頼めない」
「俺が、裏切り者である君の頼みを聞くとでも」
「貴方はこれを受け入れる」
「ふざけるな」
「知ってるから」

 そのときに暮日さんは静かに口角を上げた。その形が笑みだということを、少し遅れて脳が理解する。大好きだった、何よりも大好きだった笑みのはずなのに、その形が意味をするところが、俺には分からない。
 これは、一体、誰だ。

「……この先、あなたは前世監理官の職に戻り、一人の青年に出会う。彼の名前は、『新田ヨーイチ』。彼はゼロイチの来世で、彼が自身の前世の記憶を取り戻すその時、あなたは彼のすぐ側に居る」
「……は?」
「その時にこの言葉を伝えて欲しい。『未来の局長を撃て』」
「ちょっと待て。君は何を言っている?」
「そうだね。これはいわば、予言だよ」

 暮日さんはまるで天気の話でもするようにさらりと言う。

「私は今、未来の話をしている」

 知らない人間の瞳で、暮日はこちらをじっと見つめている。まるでガラス玉の様な瞳。ぞっとするほど美しいそこに吸い込まれるのに抗うように、俺は喉から言葉をしぼりだす。

「……君は、一体、」
「10年後、クロアナ街へ行ってみて。あなたがそのとき住んでいる一番近い場所でいい。行けばわかる。そこに、『彼』がいる」

 そう言って、彼女は踵を返す。思わず手を伸ばしかけたとき、まるでそれに答えるように、彼女は一度振り返った。

「ねえ井坂くん。私たち、また会えるよ」

 そう言って、彼女は去った。
 俺の前から。
 この、世界から。

「……また、嘘をつくんだな、君は」

 二度目の裏切りだった。



 今日までの10年、何をして生きていたかと問われたら、死んでいたと言っても過言ではないかもしれない。数年に及ぶ謹慎が終わっても、俺は再びブレインスキャナを握る気になれなかった。あの日、あの時、彼女の額にむけたあの銃口、引き金を弾けなかったその指の感触を思い出して手が震える。蘇るその光景から目をそらし、俺は志願して前世確認センターの職に就き、一般人の生ぬるい走馬灯を確認するという事務作業にいそしんだ。その間だけは、他人の前世を見ている間だけは、自分の人生から逃げることができたから。
 そして、あっという間に、あの日から10年が経った。
 信じるつもりなど、毛頭なかった。
 しかし俺は今、クロアナ街にいる。

「……おにーさん、こんばんわ。今、一人?」

 不意に背後から声をかけられる。振り返ると、3人の男が道路をふさぐように立っていた。新品に見えるブランド服が、彼らがこの街の住人ではないということを告げている。
 無言で立ち去ろうと前を向くと、じゃりと砂を踏む音がして、前方からも人が現れた。俺は静かに息を吐く。最近、一般人がクロアナを『狩る』行為が頻発していることは知っている。彼らは足がつかない、主にクロアナが使用する現金を狙っているのだが、政府からその存在は黙認されていた。あの地下施設にいた俺が一番よく知っている。クロアナにまともな人権は存在しない。
 あっという間だった。
 俺はいつの間にか空を見上げていた。頬が、腹が、頭が痛いのは、殴られたからに違いない。どうやら彼らは、俺が財布を持ってないことを知ると、俺をサンドバッグとして使うことを決めたようだった。ひと暴れして満足し離れていく下卑た笑い声に、小さくため息を吐く。
 霞む視界、その向こうに、美しい星空が見える。ぼんやり眺めていると、ふいに視界が何かに遮られた。

「おじさん、生きてる?」

 高い声が、空から降ってきた。
 どうやら、誰かにのぞき込まれているらしい。子供だろう、小さな頭のシルエットが、星空を背景に俺の頭上に浮かんでいた。
 生きてない、と返事をしようとしたのに、口から漏れたのは小さなうめき声だけだった。どうやら顔もしこたま殴られたらしい。

「まってて」

 そう言うと、軽い足音は遠ざかっていく。動く気力は未だ出ず、置物のように横たわっていると、再び声の主の足音がもどってきた。
 頬がヒヤリとすると同時に鋭い痛みが走り、思わずうめき声がもれる。

「動かないで、今治療してるから」

 どうやら消毒をされているらしい。ペンライトだろうか、ほのかな光が視界の隅に走った。言われた通り横たわりながらぼんやりと思う。人の肌に触れたのは何年ぶりだろう。

「……お前、クロアナか」
「ちがう。俺と姉さんはここに住んでるけど、クロアナじゃない」
「……クロアナ孤児か。名前は?」

彼は、手を止めずに呟くように答えた。

「ヨーイチ」



(2)

SF小説『同乗者たち』目次




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