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【同乗者たち】第5章 継承者たち【24】

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ゆっくりと目を開けた。滲んだ視界がやがて焦点を結び、アヤノと局長の顔が現れる。
もう飽きるほど、何度も何度も繰り返し見た光景だ。

「あなたは、ゼロイチです」
「……うん」
「ゼロイチは、もう134回死んでいる」
「知ってる」

イチは笑った。気が遠くなるほどに、何度も繰り返した134回目の生。そっと自身の肌を触る。そうだ、ぼくは「ゼロイチ」だった。
ここは、現実。
現実の134回目。

「どう、なにか見た? なにか、覚えている?」

アヤノの言葉に、首を横に振る。そうやって嘘をつく間にも、イチは室長の顔を見ることができなかった。嘘がばれてしまっては全てが水の泡、現実では、やり直しは効かない。
室長が部屋を出て行って、やっとイチはほっと胸をなでおろして、あの言葉を彼女に告げる。

「夕方の5時30分、職員用の喫煙所」

虚構と全く同じやりとり。同じ問答のうち、アヤノはやはり観念したようにイチが未来を見たことを信じた。
しかしそう思った瞬間、ふいにアヤノは身を乗り出してイチを覗き込んだ。これは初めて見る動きだった。

「でも、どうしてあなたに、ここが現実だってわかるわけ? きみはまだ、今日という日をループしているだけかもしれないのに」
「見たから」
「見たって」
「死んだ後のこと……ぼくの来世を。ぼくはアヤノに前世をすり替えてもらって、塔の外で生活をしていた。実験体じゃなく、一般人として生き残っていた

「じゃあつまり、君が体験した通りの行動を起こせば、それは現実になるってこと」
「そう」
「それで、いずれ塔の外に出て生まれ変わった君と再会できるってわけね」
「いや」

イチは静かに首を横に振る。

「塔の外に出た『僕』は、ここでのすべての記憶を失っていた。前世神経回路を書き換えた影響なのかもしれないけど」

その言葉に、アヤノの顔色が変わる。

「……わたし昔、君に言ったよね。『私を構成しているのは、今までの記憶の積み重ねによって生まれた、今現在の意識だけ』って」
「……うん」
「きみが言っているのは、その記憶の連続性を断つこと。つまり、新しい人間になるってことだ」
「うん」
「今の君を殺すことなんだよ。
それでも、いいの?

部屋に沈黙が舞い降りる。さっきまで気づかなかった秒針の音。シュミレーションで聞いていたものより、心なしかはっきり聞こえるように思った。
心はとうに決まっている。

「塔から出て実験体から解放されない限り、また次の浮遊期間でループが始まるだけだよ。それに、何度も134回目の生を繰り返しながら、思ったんだ。魂が、どうして人間にしか寄生しないのか」

イチもまっすぐにアヤノの目を見つめながら答えた。

「きっと魂は、前に進みたいんじゃないかって」
「進む……」
「人間には過去と未来という概念がある。時間の流れを認知している。でも魂には時間が存在していない……だから人間の記憶をや感情、脳みその動きをすべて記録しはじめたんじゃないかな。感情、記憶、因果関係に執着する人間について学んで、時間を得るために」
「……何のために?」
「未来に進んで変化するために、とかかな。あるいは、単純に『おわり』を求めているのか。時間がない世界には、始まりも終わりもなさそうだし」
「君も、そう思ったわけ。繰り返しの中で、終わりたいって」
「それは特別なことじゃないでしょ? 
1秒前の僕は、もう今の僕じゃない。記憶が上書きされるごとに、一瞬前の僕はもうどこにも存在しない。それと同じこと……今の僕という存在のおわりは、前に進むその過程の一部に過ぎないんだ。そして、その記憶の積み重ねで、この瞬間に形成されている『今の僕』が、そうしたいって、そうするべきだって願っている」
「今のあなたという存在を犠牲にしてまでも?」
「そう」
「……やっぱり、君、普通じゃなかったね」

その言葉にアヤノは小さくかぶりをふって、諦めたように髪の毛をかきあげた。

「……わかったよ。きみに協力しよう」
「いいの」
「きみに共感した。ただそれだけの理由だよ。確かに一秒ごとに、私は死んでいるね。君という存在がいなくなることに手を貸すだなんて、今のさっきまで考えつきもしなかったのに」

悪い子に育った。
アヤノの小さなつぶやきに、イチは小さく頷いた。アヤノは小さく息を吐くと、決心したように顔をあげた。

「じゃあ、教えて。私はこれからどうすればいい?」

イチは、これから起こること、なすべきことを説明した。シミュレーションで得た正確な時間、タイミング、そこで起きる問題の解決の方法。アヤノはイチの言葉を頭に刻みつけるように、一言一言確認して頷いていく。
全てを説明し終えた跡、イチはシュミレーションではやらなかったことを提案した。

「アヤノ、ぼくが死んだら、ぼくの『走馬灯』を抜き出して保存しておくことなんて、できたりする?」
「それは出来ると思うけど。これも必要な課程なの?」
「いや、そうじゃないけど……アヤノはこの塔を壊したいって言ったよね」
「ええ」
「シュミレーションの中で、ぼくはその願いを叶えることはできなかった。でも、もしかしたら次の僕がそれを引き継いでくれるかもしれないから」
「次の君って……君の来世?」
「そう。僕の来世は……『彼』は、継承者じゃない。だから、『ぼくの生きたすべての記憶』を人工的に見せる。その役目を、キューにお願いしようかと思って」

イチは、自身の胸に手をあてて言った。

「次の僕は、記憶を失っていても魂は間違いなく未来の観測者なんだ。塔の外にいながら、
新しい未来観測をすることも可能かもしれない」
「未来観測を? 一体、どうやって
……
「アヤノが教えてくれたよね。走馬灯は、おそらくぼくたちが生きている時間とは別の時の流れを有しているって。つまり走馬灯を見ている間、その人間は浮遊期間と近い状態だ。しかも、ぼくの走馬灯には連続転生実験が含まれている……そして走馬灯を脳内に流すことは、その人の人生を体験するということ。ぼくと同じ『観測者』の魂を持つ魂が、走馬灯再生という浮遊期間の中で、再び連続転生実験を体験したとすれば、」
「新たな未来観測がおこるかもしれない……」
「そう。この塔を壊す手がかりがを得れるかもしれないでしょ? ただ、来世のぼくが……『彼』が、ぼくに協力してくれるかどうかは、わかんないけど」

イチの言葉に、アヤノは驚いた様子で言った。

「君が塔を壊そうだなんて……わたしに共感してくれるだなんて、思わなかった。実験体といえど、ここは、君の家みたいなものだと思ってたから」
「昔の僕ならそうだった。でも実際に『空』を見て、飛んで、思ったんだ。こんな
景色を見れないなんて、ここにいる子供達はみんなかわいそうだって」
「かわいそう?」
「同情しちゃった

昔の自分だったら、こんなことを思いつきもしなかっただろう。
昔の自分も、数秒前の僕も同じだ。彼はもう、どこにもいない。どこかへ一心不乱と、進み続けて、変わり続けている。
そして言葉と時間を得た僕らには……。
やがて、終わりが来る。

「だから、この塔はやっぱり、なくなったほうがいいね」





白いクッションに覆われた部屋で、その時をじっと待つ。
キューに会いたいという理由で、イチは2年前まで彼女と過ごしていた部屋に戻ることを許された。しかし、キューはじっと黙ったまま、口をひらかない。部屋の中心で体育座りをしたまま背を向けているが、だいぶ大人っぽくなったと、静かにイチは思った。
こんなに不機嫌になるのも、無理はないだろう。これからイチと別れることになる。それに、手を貸すことになると告げられたのだから。

「……キュー、怒ってる?」
「……わかんないよ」

 キューはか細い声で言った。

「イチが何考えてるか、ぜんぜんわかんない」
「……うん」
「だいたい、『次のイチ』に記憶を見せるって言っても……どうやって? イチがいなくなって、どうしたらいいの? どうやって外にいるイチに会いに行けばいいの?」
「どこかで、タイミングがあるはずだよ。何年、何十年、何百年かかったっていい」
「じゃあ、それで? 仮にうまくここから抜け出せたとして、塔の外で来世のイチに会えたとしても、それはイチじゃない」
「……うん」
「……どうやって話しかければいいか、わかんないよ」

消え入りそうな声でキューがつぶやいた瞬間だった。沈黙していたドアがスライドし、息を切らしたアヤノがイチを手招く。

「さあ、行こう。時間がない」
「あれ……マモくんは?」

扉の前にいつもいるマモくんがいないことに気づいたキューに、アヤノが小さく笑った。

「『喫煙所に来て』って伝えたの。この間の返事をするからって……代わりの見張りを送っておいたから大丈夫だって嘘ついてね。ただ、数分で私がこないことに気づいて戻ってくると思う。早く行こう」

そう言いながら、まだ体がうまく動かせないイチの小さな体を抱き上げた。そして最後のお別れを、とキューの方を見るが、しかしキューはアヤノとイチを無視して扉に向かっていくところだった。

「キュー……」
「上まで、一緒に行く。空、見てみたいもん。それに……キューも一緒に死ねば、同じ時期に転生する可能性が高いでしょ? そしたらアヤノ、キューの前世も書き換えてよ」
「ここでの記憶を全部失うことになるよ。いままで読んだ小説も、この部屋のことも、アヤノのことも……僕のことも」

イチのその言葉に、キューはきつく唇を結ぶ。一瞬の逡巡のうち、「せめて上まで見送らせてよ」と小さな声でつぶやいた。
アヤノに連れられ、イチとキューは職員用のエレベーターに乗った。アヤノの腕の中で、イチはその一角に監視カメラの存在を確認する。

「このカメラ、いま、マモ君が見てる」
「……うん」
「そろそろエレベーターが止まるはず」

アヤノがうなずいたその瞬間、エレベーターの速度が急に落ちた。目的地に到達する3つ下の階で強制的に扉がひらく。そこに、想像していた通りの姿があった。

「……っ暮日さん、どういうつもりだ」

マモくんはスキャナをかまえ、息を切らしている。その照準はまっすぐにアヤノの頭に向けられていた。彼の背後で、特別階級の前世監理官だけが使用できる緊急エレベーターの扉が静かに閉まった。

「大罪ですよ、実験体を連れて、こんな上まで……今すぐ、地下に戻ってください。今ならまだ、散歩で済まされるかもしれない」
「お散歩に違いないよ、マモ君。塔の外のまでね」

マモ君の整った眉がぴくりと動く。

「暮日さん、あなたは……」
「そこをどきなさい、井坂監理官。これは命令だ」

有無を言わさない口調で、アヤノは冷たく言い放った。
マモ君はスキャナを握りしめたまま動かない。
アヤノはゆっくりと歩を進めた。マモ君の、すぐ横を通り過ぎる。
アヤノが立っていた場所を、スキャナの照準がうつろな目で見つめている。過去の幻影に照準をあわせているように。

「良かったの、アヤノ」

非常用の階段を登りながら、キューが小さな声で言った。アヤノは小さく笑って「いいんだよ」と答えるが、「でも」とキューは食い下がった。

「告白されたんだよね。本当は、どう答えるつもりだったの?」
「どうだろう。まだ決めてなかったんだけど」

キューの問いに、静かにアヤノは言った。

「もう嫌われちゃっただろうな」

そう言いながら、最上階の扉の鍵を解除して足を踏み出す。
殺風景なホールに、ひときわ目立つ巨大な扉が存在していた。
まるで発光しているかのように真っ青な色の扉は、侵入者を跳ね返すように自身の体に3人の姿を映し出していた。しかしその抵抗虚しく、アヤノがパネルを操作すると、音もなく扉は左右に割れる。
そこは、ゼロイチが今まで見てきた中で、最も広い場所だった。
扉と同じ素材であろう冷え冷えとした青い床に、同じく青い壁。そして、部屋一面に立ち並ぶ、大人がすっぽりと入りそうな長方形の青い箱。キューと遊んだボードゲームやドミノのごとく、等間隔
に並べられている。
イチが、『シミュレーション』の中で見た部屋とまったく同じ光景だった。

「ここは……?」
「『前世記録室』。いままで観測した、全人類の何世代もの前世がの箱に記録されている。この国だけじゃない、文字通り……世界中に点在しているタワーから、この世界で観測された全ての記憶がここに集められているんだ」
「記録って、どうやって」
「出生時の前世確認データがここに自動的に送信されているんだ。つまりこの青い箱の中に収められているのは、すべて過去の人類の記録、記憶だ。君たちの前世の記憶も、この中のどこかに眠ってるだろう」
「……墓場みたいだね」

キューが小さくつぶやくと同時に、アヤノは静かに壁に近づき、また制御パネルを操作した。小さな機械音とともに、部屋が一瞬で明るくなる。壁だと思っていたそれは、ガラスに映された映像だったのだ。それが取り払われた今、ゼロイチ達はまるで玩具のように四方へ広がっていく町並みの中心に浮いていた。記憶の墓場、青い町並みと共に。
キューがこくりと唾を飲み込む音がする。

「これが」
「空だよ」

丁度時刻は夕暮れ時、オレンジ色の光が町に影を落とし、霧がかった瞑色がその後を追いかけるように天から降りている。そのあわいに引き寄せられるかのように、キューが静かにガラスに歩み寄るのを、アヤノが優しく止めた。
アヤノはいつの間にか手に持っていた重そうな銃をガラスに向かって構えた。ためらいもなく引き金を引くと、けたたましい音と共に、窓ガラスが粉々に砕け散る。
夕日の光を捉え反射させるその一粒一粒は、まるで脳内の神経系発火のように煌めきながら落ちていった。室内環境維持システムが高速運転する警報が鳴り響く中、丁度人間一人が通れるくらいの小さな穴がそこに生まれていた。
うろたえた様子のキューに、アヤノが微笑みかける。

「強化銃だよ、売魂者から没収したやつ。ゼロイチは売魂者の手によってここに連れてこられたって筋書きにしたいから」
「そんな、むちゃくちゃな……」
「さあ、時間が無い。監視システムを細工したとはいえ、復活するのに時間はあまりかからない」

アヤノの最後の語尾が、かすかに震えた。ゼロイチが見上げると、彼女は自らが開けた穴をじっとみつめて、口を堅く結んでいる。それに呼応するように、ゼロイチを抱く力が強くなった。

「アヤノ」
「……わかってるよ」

諦めたようにアヤノは窓に歩み寄って膝をついた。冷たい空気を感じながら、ゼロイチはアヤノの腕を離れて、その穴の縁に手をかける。

「どうしても、こうしなきゃいけないの」

キューが大きな瞳いっぱいに涙を溜めてこちらを見ている姿が、ガラスに反射していた。その虚像を見つめながら振り返らずにうなずくと、その顔がぐにゃりと崩れる。

「ここが嫌になって、外に出たいの? 自由がないから?」
「そんなものは、塔の中にも外にも、どこにもないよ。今からぼくは走馬灯局の手からは離れるけれど、今度は魂のシステムに操られている。自由はどこにもないし、この肉体も、魂もぼくのものじゃない。ぼくのものなんて、きっとこの世に一つもないよ」
「だったら……」
「でもね、僕は何も持っていないけれど、それでもここに存在しているって確かに感じる。ここまでやってきたっていう記憶と一緒に存在してる。そしてそのは、『ここから落ちたい』と思っている。こうするのが一番だって思っているんだ。心から」
「こころ」
「うん」
「魂じゃなくて?」
「そう。僕の記憶の積み重ねによって発生してる心が、これがお前の生きた意味だ、って言ってる気がする。操られていようが、いまいが、そんなの関係ないんだよ。
が心の底からそう感じていればね、それは本当に存在している、否定することなんて、できない」

再び窓に向き直ったイチに、ついにキューの瞳から涙がこぼれ落ちた。しかしそれも一筋だけ、震える声を絞り出すように、キューはゼロイチの背中にむかって言う。

「ほんとは、嫌だ、って思ってる。心の底から、ゼロイチと離れたくないって思ってる」
「うん」
「でも同じように心から、きみに共感したい、願いを叶えてあげたいって思ってるんだ。君がここで空を見せてくれたみたいに」
「うん」
「イチが消えても、絶対、見つけるから。きみの魂の同乗者」

イチはとうとう穴から顔をだした。この安全な塔という腹の中から引きずり出るように、今まさにこの世に生まれ出たかのように、一度大きく息を吸い込む。風がイチの頭を抱え込むように捉え、こちらにおいでとその手を引いた。
まず足が浮いて、体が浮いた。世界が反転して転がり、落ちた。落ちたのは、自分だったのか、世界だったのか、分からない。
風が耳元で唸る轟音は、どこかできいたことがあるような音だ。魂が見せた夢の中と同じ音だが、それよりもずっと前に、確かに聞いた音。
滲むような白い靄の中、なにか柔らかいものに包まれている安堵感、この世に生まれ落ちる時に聞いた。
僕は今、落ちている。
この世界から。この世界へと。



* 
* 



「ゼロイチ」のその肉体での最初の記憶は、滲むような白い靄の中、なにか柔らかいものに包まれている安堵感、そして周りに自身と同じ生き物がいるということだった。その感覚はあらがえないほどに心地よく、意識の浮上と沈下を繰り返しながら、かすかな衣擦れの音と不思議な声が、どこか遠くから響いてくるのをまどろみの中で聴いていた。

「あなたは、ゼロイチという名前の人間でした」

ささやき声が聞こえる。アヤノの、少しだけ疲れた顔がイチを見下ろしている。小さく笑おうとしたら、本当の笑い声がでてしまった。子供特有の。母親に甘えるときのような。

「もう、いいのね?」

いいよ。

「さようなら、ゼロイチ」

アヤノが優しくイチの頭をなでてて、こめかみに冷たい何かを当てる。意識がまた、白んでいく。まだ分かる。自分が一体誰なのか。誰だったのか。次に目覚める僕は、もう、僕ではない。今までの記憶が途絶えた時、僕は完全に消滅する。
幻聴だろうか。どこからか、風を切る音が聞こえる。



君は、もうすぐ目を覚ますだろう。これを見て、君がどうするのか、僕はその先を見ていない。でも一瞬でも「君」になったことのある僕には、分かる。僕らは同じ魂に乗り合わせた同乗者だから。

さあ、ヨーイチ。
目を開けて。


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