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【同乗者たち】第5章 継承者たち【23】

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「あなたは、ゼロイチです」
「うん」
「ゼロイチは、もう134回死んでいる」
「知ってる」

その言葉を聞いて、アヤノはほっとしたような顔をした。肩で綺麗に切りそろえていた髪の毛は長く伸び、後ろで一つにまとめられている。
時が経ったのだ、とイチは静かに感じた。
実験は、終わった。
でも。

「どう、なにか見た? なにか、覚えている?」

アヤノの言葉にイチはしばらく逡巡した後、小さく首を振った。

「……なにも」

実験が始まって、2年半ほどが経過していたという。
1年半は生死を繰り返し、残りはイチの脳や体の発達を待ち、意思疎通がとれるまで成長するのを待っている期間だったらしい。
しかしイチはあの実験室でアヤノに目を塞がれてから、今再び瞼を開けるまでの記憶を、何一つ覚えていなかった。短い夢や、イメージすら。肉体に宿る記憶も。ふわふわと「空」を飛ぶ記憶も。

「本当に、何も見てないのね」
「……うん」
「そうか、お疲れ様。……この体で喋るの、大変でしょう」
「まあ、ね」

笑い声をたてると、アヤノは「舌ったらずだね」とつられ笑いをしながら、イチのやわらかな頬を優しくつねった。その時、アヤノの肩越しから視線を感じ、目線を滑らす。瞬間、冷たい瞳と目が合う。
そこにいたのは、この研究室のリーダー、回谷室長だった。
イチが何かを言うまでもなく、彼は踵を返して部屋を出て行った。アヤノはそんな彼に構うことなく、イチに語りかける。

「しばらく実験もお休みだろう。ゆっくり休んで、はやく大きくなりなよ」

実験は失敗したのに、どこかほっとしたような口調のアヤノを不思議に思いながらも、その日イチはゆっくりと眠りについた。ずっと昔から変わらないつんとした研究室のにおいと、ほのかな洗剤が香る真っ白なシーツ。イチの心に「家」という言葉が浮かぶ。それは、実験体には決して持つことなど許されていないもの。けれど、しばらくここから離れていて、気がついた。この研究室は、青い塔の地下にあるここは、自分の家なのかもしれないと。

しかし、次の日。
イチは、はじまりの実験室に舞い戻っていた。

「実験を再開する」

無防備な体を煌々と照らす容赦ない照明を見上げていると、その光がふいに何かに遮られた。誰かがイチを見下ろしている。アヤノではない。滲むようにその面貌が焦点を結び、冷たい眼球が自身を見下ろしていることを理解した。
回谷室長だった。
アヤノの制止も虚しく、連続転生実験は再開された。30回という制限は取り払われ、イチが壊れるまで、継続者としての「機能」が持続している限り、実験は続けられる。魂の秘密が分かるまで。
乱暴に口元にマスクがかぶせられた。
死ぬことにも、この甘いにおいにもすっかり慣れたはずだった。
けれどこんなに孤独な『死』は、生まれて死んで、生まれて、はじめてだった。



「あなたは、ゼロイチです」
「……うん」
「ゼロイチは、もう134回死んでいる」
「……」

知ってる、いつも通りそう答えようとした言葉を飲み込んだ。
アヤノが不思議そうにイチを見下ろしている。

「……イチ?」
「回数、まちがえてる。これで135回目」

連続的に30回死んだときで合計134回。その後すぐに実験の継続が決まって、これで合計135回のはずだ。
しかしアヤノは手元の端末を見て、小さく笑った。

「生き返ったばかりで、混乱してるんだよ、イチ。134回で間違いない」
「そんなはずない。だって、30回死んだ後……室長が、また実験を再開したでしょ?」
「再開って……何を言っているの? 転生回数は30回、その予定でこの実験は進めたんだ。延長なんてしないし、私がさせない」
「でも……」
「今日はゆっくり休んだほうがいい。随分と疲れたでしょう」

アヤノはイチの言葉を信じない。なにか、おかしい。イチはアヤノの背後に立っている室長を見た。ひんやりとした、冷たい瞳。しばらくイチが見つめていると、踵を返して部屋を出て行く。あの日と同じ。まるで端末で見る映像を巻き戻したかのように、全く、同じだった。
一人になった部屋で、イチはぼんやりと考えた。同じ日、135回目の生が、繰り返されている? それとも、前回実験が終わって目覚めた世界は、現実ではなく夢だったのだろうか?

その問いの答えは、あっけなく次の日に出ることになった。
イチが「経験」した通り、連続転生実験は再開されたのだ。



「……あなたは、ゼロイチです」
……うん」
「ゼロイチは、もう134回死んでいる」
「……知ってる」

これで、134回目の生は何度目だろう。
30回を過ぎたところで、イチは数えるのを止めてしまった。
死んでも、死んでも、イチは134回から抜け出す事ができなかった。日付を確認したら、やはり同じ日をループしていることが分かった。目覚めた次の日には室長の独断により、実験が再開される。「その未来を見てきた」……そう訴えても、アヤノはイチの混乱だと捉えて、信じない。
今回の生もまた、同じ会話が繰り返されている。一生、このままなのだろうか。134回に閉じ込められたまま。現実の空も見ることができないまま。

「……魂って、肉体に宿ってない間、何をしているのかな」

室長が部屋から出て行った後、イチはつぶやくように言った。アヤノは小さく首をかしげて髪の毛を揺らす。その仕草が新鮮だった。この質問を、今までのループで投げかけたことはない。

「肉体に宿ってない間って……浮遊期間のこと?」
「うん。その間、魂は宙をただよっているって、研究員の人が言ってたけど……ふわふわ移動しているってことだよね」
「魂はダークマターだからね。数値として存在は認められてるものの、肉眼で確認されたことはないけど……まあ、共通のイメージではそうとらえられてるよ。旧時代とそれは変わらない。ふわふわ移動しているイメージ」
「その時にさ、時間とかも、移動できたりするのかな」
「時間?」

唐突にでてきたその言葉に困惑しながらも、「そうだな……」と手に顎をあてて、アヤノは考えながら続けた。

「時空を越えてるってことなら、あながち間違ってないかもね。走馬灯は、一人の人生の最初から最期まですべてを再生するのに、現実の時がたつのは一瞬でしょう。通常の記憶と明らかに違う。魂が関与しているからとしか思えない」
「魂には、時間が存在してないってこと?」
「さあ、そこまではまだ分からないな。ただ、そもそも時間なんて人間が作り出した幻想で、実際には存在してないかも知れないんだよ。私たちの使う言葉が、時間って言う概念をつくりだした」
「言葉」
「私たちは言葉で思考している。やがて来たる死を理解したのも、人間の言語によって、再帰的な演算能力を得たおかげ……『明日』という概念を知り、それが延々と続くことを理解したからだ。人間以外の動物に魂が『寄生』していないのは、ここら辺が絡んでるんじゃないかと私は思うんだ。言葉と時間という概念は、
人とそれ以外の動物を分ける大きな違いの一つだから」
「……それって、えっと、つまり?」
「いまのところ、時間という概念を明確にもつ人間にのみ、魂が観測されているってこと

アヤノの言うことはイチにはまったくもって理解はできなかったが、どうやら魂と時間には密接な関わりがあるらしい。代わり映えのしないこのループの手がかりをつかめた気がして、イチはまだ制御し辛い声帯で必死に言葉を紡いだ。

「魂と時間に強い関係があるんなら……その魂が、未来を見せてくれることなんてあるかな? 前世の記憶を継承させてくれたんだから、未来のことだって、教えてくれることもあるんじゃない」
「未来予知? それ面白いね。継承者の次は預言者……いや、実際に見てくるのであれば、未来の『観測者』か」
「アヤノは信じてくれないだろうけど、ぼく、今日を体験するのは数十回目なんだよね」

イチは、もうすでに何度も繰り返している言葉を再び口にした。何度も見てきたように、やはりアヤノは戸惑った表情になって、さっきのイチの言葉を繰り返すように問う。

「……えっと。それはつまり?」
「……明日、転生実験が再開されるんだ。僕はまた、殺される。そして『今日』へ戻ってくる。でも過去の数十回すべて、アヤノは信じてくれなかった。実験のせいで混乱してるんだって……今回もきっと、そうでしょう?」

アヤノは何かをじっと考えていたが、やがてゆるりと首を横に振る。

「ごめん、正直に言うと信じられない。けれど、きみは今、混乱しているようにも見えない。魂についての興味深い問答ができたし」

それから再び少し考え込むと、奇妙な言葉をポツリとつぶやく。

「……夕方の5時30分、職員用の喫煙所」
「え?」
「私、そこで昨日、マモル君に告白されたんだよね」
「告白って」
「恋人になってくださいっていう、お願いのこと」
「それは分かるけど」
「もし君が本当に明日死んで、再び『今日の私』に出会うことになったら、今の言葉を私に言ってごらん。実験中だった君がこの事実を知っているはずないんだ。私は、それを聞いたら、君の言うことを……君が観測者だということを、信じるはず」

果たして次の日、実験は再開された。実験室の外では、監視に取り押さえられたアヤノの叫び声がきこえてくる。こうも必死に止めようとするのは、今回のアヤノも自分の話を完全に信じてはいないのだろう。しかし、死の部屋でマスクで口を覆われながらも、イチの心はいつになく穏やかだった。
意識が途切れるその時まで、自分を見下ろす冷たい瞳を見返し続ける。
きっと次こそ……次の134回こそ、何かが変わると信じていた。



「……どうして、知ってるの」
「言ったでしょ。『未来のアヤノ』に聞いたんだよ」
「ありえない。未来を知ってるだなんて、そんなこと」
「このこと言えば、アヤノは信じるって、『前回のアヤノ』は言ってた」

その言葉に、アヤノは押し黙る。しばらくして諦めたように首を振った。

「……継承者の次は、観測者ね。『前回の私』がそう言ったんだね?」
「うん」
「私が考えつきそうな言葉だ、確かに」
「信じてくれるんだ」
「せざるを得ないよ。夕方の5時30分、職員用の喫煙所……この言葉が、ベットで死を繰り返していた君が知っているはずないから」

イチは壁に掛かっている時計を見た。いつもアヤノが部屋の外に出て行ってしまう時間はとうに過ぎ去っている。明らかな変化に心が浮きだつが、しかし、アヤノが信じていようがいまいが、自分が24時間以内に再び死んでしまう事は変えられない。どんなにアヤノが制止したところで、局長は実験を遂行したのだから。

「……もしかしたら、現実の君はまだ実験中で、目覚めてないのかもしれないね」

アヤノが口にした言葉に、イチは思わず首をかしげる。

「え?」
「君は魂の浮遊期間で、この夢を見ているのかも。魂は、これから分岐して起こる未来の可能性を君に見せているんじゃないかな。シミュレーションしているみたいに。そう考えれば、ループするという理由もうなずける」
「シミュレーション……」
「私の仮説、覚えてる? 魂は、短命である君の延命を目的として、君を継承者にしたっていう」

イチがうなずくと、アヤノは人差し指をイチの心臓の位置にとんと置いた。

「きみは過去の記憶を継承した……なのに相変わらず死に続けている。そこで、今度は君に『未来』を経験させ、シミュレートさせることにした。魂は、君が長く生きることに成功するまで、このループを続けるつもりかもしれない。その成功をもって君はやっと、現実に目覚める。そして、本当の『134回目』の生で、同じことを実行すればいい。生存率が格段に上がるからね」
「どうして、魂は未来予知なんてできるの? 魂に時間が無いのなら、未来もないんじゃないの」
「確かにそうだ。けど、魂はこの世できっと一番『人間』について知っている。だって人間の一生の記憶を、移りゆくコネクトーム一瞬一瞬を、そこに蓄えているわけだからね。そんな魂がこの世に人間の数だけ存在しているわけだけど……これらの魂が、前言ったように、お互いに情報共有しているとしたらどうなると思う?」
「さあ」
「ビックデータをディープラーニングさせたときと同じ……すべての人間にまつわる大量の情報を分析し、人間という生き物の考え方、行動の仕方を学んだ魂は、今度は『未来に人間が何をするか』も一寸違わず、現実をなぞるように予想できるようになるに違いない。だからね」

アヤノは自身の胸に手のひらをあてて言った。

「今ここにいる私たちは、魂がシュミレーションしている、起こりうる一つの未来の存在なのかも」

じゃあ、ここにいる自分は、ここに居るアヤノは、現実に存在する人間ではないのか。未来のシュミレーション内で、魂というカラクリの中でもがいている虚構のような存在なのか。確かに自分はここに居る、その意識はあるというのに。
しかしその意識しか、信じられるものがないことに気づく。
そしてその意識すら、シミュレーションされたものだというのなら。

「じゃあ、ぼくがこの繰り返しから抜け出して現実にもどるには……生き残るしかないってこと」
「多分ね」
「どうすれば生き残れると思う? 局長に全部説明してみる?」
「逆効果だよ。今はまだ仮説段階だからいいけれど、死ぬことが魂の進化に繋がることが明確になったら、さらに君を殺し続けることになるに決まってる。仮に今回だけ死を免れたとしても……ここにいる限り、君は実験体であり続けるからなぁ。またいつどんな実験が開始されるか分からない以上」

そこで言葉を止めて、アヤノはいつになく真面目な顔で、イチのことを見下ろした。

「君は、この塔の外に出るしかないな」
「……は?」
「君は実験体だから死を繰り返しているんだ。現に君は一度も成人まで生きたことがない。一般人になることが、一番確実に長生きできる唯一の方法だ。ここにいる限り、それは叶わない」
「だけど……そんなこと、できるの」
「一つだけ方法がある」

アヤノはすらりとした人差し指を立て、小声で続ける。

「私、この実験の引き継ぎがおわったら、しばらく研究を休むことになってるんだ。いよいよ嫌気がさしてしまってね。『出生時前世確認センター』のチーフの跡を継ぐことが決まっている」
「そこって、確か……」
「そ、この世に生まれた人間の前世確認をして、クロアナと一般人に『仕分け』する仕事だ。わたしの元研究者である権限と技術を使えば、生まれ変わった君の前世を確認して、そしてそれを消去、ダミーの前世記憶回路を埋め込んで、君を一般人としてこの世に送り込むこともできる」
「どうしてそこまで、してくれるの」

イチは小さく呟いた。ただの実験体である自分に、どうしてそこまで協力する気持ちになれるのだろう。イチには、彼女の考えることがよく分からなかった。いいや、彼女だけじゃない。自分以外のみんな、アヤノも、キューも、マモル君も……何を考えているのか、予想がついたことなど、一度もなかった。同じ、人間という生き物なのに。
不思議そうに見上げるイチの瞳を、まっすぐに見つめ返しながら、アヤノは口を開いた。

「嫌になったんだ。君たちを何度も殺すのが」
「前も言ったけど……べつに僕、嫌だなんて思ったことないよ。きっとキューだって」
「分かってる、でもどうしたって私は、君に自身を投影してしまう。普通の世界を知らずにこんな狭い世界で生きている君を、かわいそうだと思ってしまう。君は微塵もそう思ってないって、分かってるのにね。でも、君自身の心をそっくりそのまま感じることが出来ないからには、私の心で君を感じることしか私にはできないから。そしてそれは決して君自身じゃない。君は私にとってずっと、虚構の存在なんだ」

アヤノはそう言って、イチの頬を優しく撫でた。

「だからこの行動は、君のためであるという大義名分を振りかざした私のための行動だ。それにね、私には未来を見る能力なんてないけど、これだけは分かってるんだ。このままじゃいけないって」
「このまま……」
「私、ずっと昔から、研究にしか興味がなかった。でも、いろんな人や、君たちと出会って思ったの。この塔は、走馬灯局は、無くなった方が良いって」

刻々と、壁に掛かった時計の針が音を立てる。

君の未来予知、それは、この塔を壊す唯一のチャンスだとわたしは思ってる」

時間が進んでいるのを、イチは確かにそのとき感じた。

「ねえ、アヤノ」
「なに?」
「ぼく、どうせ死ぬのなら、一度外へ出てみたい」
「外……」
「この塔のてっぺんからさ」

そしてその日。
イチは、空を「飛んだ」。





けたたましい目覚ましの音に意識が浮上する。頬が暖かい
薄く目をあけると、陽の光が顔を包み込んでいた。ゆっくり体を起こして、窓の外を見る。
老朽化したボロ屋がずっと続く、遥かその先。
ここからずっとずっと遠くに
青い塔は静かに聳え立っていた。
自分を呼ぶ、優しい声に振り返る。

「おはよう。朝ごはんだよ」


ここは、塔の外だ。
魂のシュミレーションは、成功した。

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