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【同乗者たち】第3章 嘘つきたち【10】

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「ヨーイチ君、きみ、3日間お休みね」

出勤して早々井坂に告げられ、ヨーイチは唖然とした。また精神グラフがおかしくなったのか、まさかあの少女の幻覚を見ていることが時崎に感づかれたのか。言葉なく立ち尽くすヨーイチに苦笑いし、「別に君が悪いわけじゃないよ」と井坂は続けた。

「あの虫カメラは録画専用で、リアルタイムはおろか、データをこっちに送ることすら出来ない代物なんだ。クロアナがどんな技術をもっているか不確定だし、下手に電波やらなんやらを飛ばすわけにはいかないからね。ただひたすら3日間、映像を記録してから指定の場所へ移動するから、そこで回収する」
「それが俺と、何の関係が」
「君はあそこの売魂者たちに顔がわれているだろう。カメラの回収が行われる前に監理官として働いているところを売魂者に見られたら、警戒されてカメラを発見、最悪破壊される可能性もあり得る。念には念をっていう、ヤッチー指揮官からのご命令」
「だから3日間、大人しくしてろってことですか」
「そういうこと。前と違って、名誉の休暇でしょうに」

そう言いくるめられて、走馬塔タワーから追い出される。前回とちがってスキャナこそ没収されなかったが、だから納得がいくというわけでもない。渋々、命令通りにホルスターを上着の下に隠してから、歯がゆい思いで家路についた。
ヨーイチのマンションは郊外の閑静な住宅街にある。前世監理官としてそこそこの給料がもらえているが、自身でなにかに使うことはないため、物件だけは給料相応の少し高級な場所を選んだ。静かに眠ること意外に、使い道が思いつかない。
マンションロビーの入り口をくぐると、ヨーイチに反応した窓口AIが音をたてて反応した。

『新田ヨーイチさん、お荷物を預かっています』

合成音声とともに無機質なアームが動き、奥のロッカーから紙袋を取り出す。部屋に戻って受け取った紙袋を開けると、安い銘柄のビール缶三つと、水彩用の絵の具がでてきた。ビールは言わずもがなだが、絵の具は高級ブランドでそこそこ値が張るものらしい。
ノートを破ったメモが添えられている。

『こないだの礼! ビール、結局おごってなかったようなもんだし。それと、絵の具、俺の本の表紙を描いてくれたイラストレーターさんがくれたやつ。俺使わないから、リョーコさんにでも。この間会ったとき、随分寂しがってたぜ。顔、ちゃんと見せてやれよな。 ナオキ』

その時、小さな寝息が聞こえて、ヨーイチはそっとリビングのソファに目を映した。
少女の幻覚は、今もなお消えていない。
少女は朝、ヨーイチが家を出たときと同じ体制のままぐっすりと眠っていた。ずっと一人で街を歩き回って、疲れ果てたのだろう。いや……幻覚も、疲れ果てるのか?
ヨーイチはため息交じりに少女から目をそらす。仕事をしている間は、少女のことを考えなくてすむ。そう思っていたのに、急に訪れたこの休暇だ。
ナオキの汚い手紙の文字に再び目を落とす。こちらも気乗りはあまりしないが、他にやることもない。
ヨーイチは絵の具を鞄に放り込んで立ち上がった。



『走馬燈局リハビリセンター』の入り口をくぐる。
立体看板に『関係者:入場許可』の文字を認めると、歩き慣れた廊下を進んだ。すぐ顔見知りの職員に「あれ、新田さん」と呼び止められる。

「お久しぶりですね。リョーコさんなら、ホールにいますよ」
「……どうも」

職員が差した扉を静かに開いた。ソファや机がぽつぽつと点在し、優しいクラシック音楽が流れる広い部屋。全面ガラス張りの窓からは、美しい庭園が見えた。穏やかな顔をした人々が、談笑をしたり、映画を見たりと、各々でくつろいでいる。
果たして彼女は、予想通りの場所にいた。左隅の窓辺。柔らかな日差しが室内に差し込む中、イーゼルを立て、熱心に絵筆を動かしている。

「姉さん」

声をかけると、驚いたように彼女は振り返った。

「ヨーイチ!? び、びっくりした」
「あ、ごめん、絵が……」

驚いた弾みで、持っている筆をあらぬ方向に動かしてしまったらしい。水張りしたキャンバスに描かれた美しい花の色が、花弁の外へと飛び出してしまっている。
リョーコは絵筆を置くと、ヨーイチの手をとった。

「そんなこといいの、こっちにも花を描き足せばいいことだし。それより、ずいぶん久しぶり……元気だった? 怪我とかしてない?」
「平気だよ」

隣のソファに座り、ヨーイチはナオキからもらった絵の具を差し出した。ぱっと顔を輝かせて、早速使う、とリョーコは慎重にパッケージを開けた。

「この間、ナオキくんが来てくれたの。どーせヨーイチは顔を出してないだろうから代わりにって。それで……あなたが仕事でヘマしたって聞いたけど、大丈夫なの?」

つげ口か。心の舌打ちをして、ヨーイチは「なんともない」と平気な顔を装う。そのヘマのせいで、まさかクロアナのふりをして売魂者の吹きだまりに潜入したなんて、そんなことを言えば姉は卒倒してしまうだろう。
ヨーイチは最近あった比較安全な仕事を語って聞かせた。リョーコは熱心にそれを聞きながら、うれしそうにうなずく。

「やっぱり、ヨーイチは正義の味方だね」
「正義」
「ええ。悪い人を捕まえて、私たちを守ってくれてるんだから。私、あなたを誇りに思う」

リョーコが嬉しそうに笑いながらそう言った時、ふいに施設の職員が近づいてきた。

「リョーコさん、そろそろ検査の時間ですよ」
「あ、そうだった……ごめんヨーイチ、行ってくる」

ヨーイチの頭をくしゃりと撫でると、リョーコは談話室を出て行く。しかし、リョーコを呼びに来た職員はその場に残っていた。ヨーイチが見上げると、気まずそうに彼女はつぶやいた。

「そろそろ、お話をしなければと思っていたんです。あなたもわかってはいると思うんですが……リョーコさんは、もうここに居る意味は、あまりないんです」
「……はい」
「体も生活に支障がない程度に動くようになったし、検査も、ずっと同じことの繰り返しで、何年も変化なし。新しい技術の使用目処が経てば話は別ですが、今のところは……もう」

ヨーイチはじっと庭を見つめながら、その言葉を聞いた。豊かな緑に色とりどりの花、暖かな日差しの中で舞い踊る蝶々。まるで楽園のような光景。自分たち姉弟がいた所とは、真逆の世界。

「ここにずっといてくれても良いんです。あなたたちは『前世犯罪被害者』ですから。けれど、彼女がそれを望んでいるかどうか、こちらから聞くよりも、ご家族である新田さんから伝えてもらう方が」
「ええ」

ヨーイチは職員の言葉を遮った。

「……わかっています」

いたわるような笑顔を向けて、職員は去って行く。残されたヨーイチは、姉の描いた美しい花を見つめる。赤色が、不自然に花弁からはみ出た歪な絵。姉はこれからその横に新しい花を描き、この違和感を無かったことにするだろう。最初からそうであったような完璧な絵に。
筆洗器から香る独特の臭いが鼻をつく。それをつかんで、描きかけの絵にぶちまけてしまいたい衝動に駆られる。いっそ、めちゃくちゃにしてしまえればどんなにいいだろう。
本当はずっと前からわかっているのだ。

姉の記憶は、きっともう戻らない。

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