その、見つめる先に
そよ風が頬をなで、私は頬杖をついて窓に視線を移す。揺れるカーテンの向こうで、青い影が見え隠れしている。この町のシンボルである、図書館タワー。
私は気がつく度に、その美しい塔に目を奪われている。
「……キ、サキ!」
はっとして顔を前に戻す。正面に焦ったようなユリヤの顔、そしてその頭上には、担任教師の張り付いたような笑顔が咲いていた。
「サキさん、ホームルーム中ですよ? 窓の外に何かあるんですか?」
「……す、すみません、ぼうっとしてました……」
私が苦笑いを返すと、担任は笑顔を崩さずに教卓へと戻る。ユリヤが唇だけで「こわー」とおどけ前を向く、その肩越しに、電子黒板に表示された名前の羅列が見えた。そういえば、修学旅行の班決めの最中だったことを思い出す。
「さて、まだどこの班にも入ってない人は居ますか?」
「センセー、星野さんがまだでーす」
教室のどこからか言葉が飛ぶ。ヤジにも近いそれに、先生は電子黒板を見ながら「ああ」と頷いた。冷たい視線が教室を舐めるように見回しはじめ、私がさっと目をそらした刹那……。
「じゃあ、サキさんの班に入れてあげて」
「ええーっ!」
ユリヤが声を荒げて席を立つ。先生はわざとらしく首をかしげた。
「あら、何か問題でも?」
「い、いえ……」
「じゃあ、決まりですね」
直度良くチャイムが鳴り響く。席を立ったまま固まるユリアに習うかのように、クラスメイトがのろのろと立ち上がった。号令、礼。先生が教室を出た瞬間、ユリアは口に含んでいた空気を一気に吐き出した。
「星野さんと一緒だなんて……せっかく楽しみにしてた旅行なのに!」
「なんか……悪いね」
「まあ、サキは優しいし、しっかりしているから、先生が目つけるのわかるけどさぁ」
「ユリヤ、声がでかいし、本人に聞こえない?」
私はそう言いながら、そっと目線を教室に走らせる。廊下側の、一番隅。星野さんは、分厚い本を野暮ったい鞄にしまっている最中だった。まっすぐに切りそろえられた髪と、つややかな長髪が顔を隠していて、表情は見えない。
「だってさぁ」
私の視界を、移動してきたユリアの体がふさいだ。椅子を引いて、その場にどかりと座り込む。
「昨日のニュース、みた? 『光の会』の」
「ああ、なんか騒いでたね」
「あのわけわからん集会のせいでライブが中止になっちゃったの! テロ予告があって」
「あんなに楽しみにしてたのに? それは……腹立つね」
「でしょ! なにを信じても良いけどさ、人に迷惑かけんなって感じ……あの子がもってる……旧時代の『本』だって、あれでしょ? 光の会の教えだっけ、『デジタル記録を信じるな』ってさ。何時代の人ですか?」
深くため息をつくユリヤに、私は同情した。1ヶ月前から毎日カウントダウンするほど楽しみにしていたのだ、ずっと彼女の隣にいたので良く知っている。私はユリヤの肩をぽんぽんとたたいて立ち上がった。
「よし、カラオケ行こう。今日はおごる」
「え、本当?」
「聴くはずだった歌、たくさん歌いなよ」
「やった! サキとカラオケ、久しぶり……」
そう言いながら椅子から立ち上がり、ユリヤは言葉を止めた。
「ああ、顧問の先生に呼ばれてたんだった……ちょっと15分くらい時間つぶしてもらってていい?」
「いーよ」
「じゃあ、校門集合ね!」
ユリヤはカラフルな鞄をひったくるように掴むと、颯爽と教室を飛び出した。彼女が遮っていた視界が晴れ、教室の隅が再び視界に入る。星野さんの姿は、もうそこになかった。
星野さんの両親は『光の会』の幹部だ。だから彼女には近づかないほうがいい。いつその話を聞いたのか思い出せないくらい、それはこの学校で周知の事実だった。
『人類を導く光が見える』『政府はその光について何かを隠蔽している』――……あまりにも現実離れした『光の会』のその主張に対して、人々は馬鹿にするか、気味悪がるか、だいたいどちらかだった。つまり、彼女は学校でいつもひとり。
最初はいじめがあった。靴を隠す。本をやぶる。連絡をまわさない。しかし、そのどれにも星野さんは反応しなかった。靴を隠されれば靴下で過ごし、本を破られれば破られたまま熱心に読み、連絡を回されなければ自ら先生に聞きに行く。全てに無反応な彼女に、いじめっ子たちも次第に興味を失っていった。
その星野さんと同じ班。この学校、最大のイベントである修学旅行で。一週間の長い旅で、彼女がいてもうまくやっていけるだろうか。
そんなことをぼんやりと考えながら、いつもの階段を上ろうとしたときだった。
「あれ……」
思わず足を止める。人通りのない廊下の隅に、隠れるようにある階段の先。ここは、出入りが禁止されている屋上へと続く階段だった。あの扉の鍵が壊れていることに気づいたのは、最近のことだった。以来、私は先生の目を盗んでは、あの場所へと足を運んでいる。
屋上から帰る時は、鍵が壊れている事が誰にも気づかれぬよう、ぴったりと扉を閉めたことを確認していたのに。
今、その鉄の扉は少しだけ開き、光が私を導くように階段に差している。
私はそっと扉に近づいて、音を立てぬように開いた。
「あ……」
視界に、黒い光が風になびいている光景が飛び込んでくる。
鉄の柵にもたれて、星野さんが空を仰いでいた。光の正体は、彼女のつややかな黒髪。まるで一本一本が意思をもっているかのように、優雅に舞い踊っている。
その黒い糸の隙間から、濡れたように黒い瞳が、私の姿を見とめた。
「あ、サキさんだ」
名を呼ばれてはその場を去る訳にもいかず、わたしはゆっくりと彼女に歩み寄った。彼女は表情をかえず、薄く笑ったまま、私のことを見ていた。私はなんとなく、屋上の鍵を壊したのは、この子かもしれないと思った。
星野さんは、再び空に視線を戻して言う。
「ここ、良いよね」
「……そうだね」
「良く来るの?」
「最近ね」
「私も。ここはよく見えるから」
その言葉の意味が分からず、私は星野さんの横顔を見る。彼女の瞳は眼下に広がる街を映している。何の変哲もない、平凡な街。それをこんな、熱に浮かされたようにうっとりと見つめることなんてできるんだろうか。
「何か、見えるの?」
我慢が出来ずに問うと、彼女は「うん」とうなずいた。
「光の粒がね、きらきら光ってる」
「光のつぶ、って」
「死んだ人の魂だよ、たぶんね。天にのぼって、またこの世界にもどってくる」
私は分かりやすく言葉を失って、一歩足を引いた。髪の毛の隙間からちらりと私を見やって、細い声で星野さんは続ける。
「信じてないね」
「うん」
「サキさんは、正直だね」
「だって、見えないし」
「そうだよね」
薄く笑って、星野さんは再び空に視線を移す。絶景を眺めているように、目を細める。その視線の先を追っても、私にはただ青く、どこまでも青く広がっていく空しか見えない。
「でもね、綺麗なんだよ」
囁くように、彼女は言った。
「とっても、きれいなの」
わたしには、見えない。
けれど、その声色だけは、否定することができなかった。
彼女はきっと、本当に美しいものをその瞳に映している。頭がおかしかったとしても、それが彼女にだけ見える幻覚だったとしても、確かにきっと彼女は見つめている。
私に見えない、何か、美しいもの。
「……サキさんは、あの塔のこと、よく見てるよね」
「え? ああ、うん……」
「好きなの? 本」
「え? 別に……」
「行ってみようか、あのタワー。旅行の最終日にさ」
「え?」
「図書館タワーの最上階。行ったことないでしょ?」
軽やかな声で彼女は言う。国の観光名所をぐるりとまわったあと、最終日はこの町にもどってきて、各々好きな場所を巡ることができる。彼女はその日のことを言っているのだろう。女の子達は、みんな駅前にできたショッピングモールに行こうとはしゃいでいた。図書館タワーに行こうだなんて、そんな真面目なことを言っている生徒など、一人もいない。
でも。
「行ってみたくない? この町で、一番高いところ」
彼女の黒い瞳が、きらきらとまぶしく輝いた。彼女が今まで見つめていた光の粒達を閉じ込めているかのように。わたしは目をしばたかせる。数回の瞬きで、光は、幻のように消え去った。おそらく光の反射や角度のせいだ、分かっているのに、心臓が高鳴る。あの図書館タワー。最上階。一番高いところ。
あの頂上から、彼女はその光を見たいのだろう。妄想じみている。分かっているのに、なぜだか私は彼女がうらやましい。
彼女にしか見えないものを見ることができる、この子の瞳の煌めきがうらやましい。
「……光、きれいなの?」
「うん。とっても」
「私には見えないけど、でも」
私は屋上の空気を吸って、吐き出すように言う。
「想像することはできるよ。すごく綺麗な光」
隣の彼女の顔を見る。「うん」、と頷きながら彼女は再び空を見つめている。また光が、粒が、彼女の瞳で弾けている。
幾度も、幾度も、
その見つめる先で弾けている。
〈end〉
SF小説「同乗者たち」、このお話で本当の本当に最後となります。
ここまで読んでくださり、ほんとうにありがとうございました!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?