ダメっていう身体
あなたの身体はどんな身体ですか?
つい背中が丸くなって声が小さくなる身体?
じっとしていることが苦手な身体?
動けば動くほどキレが良くなる身体?
しなやかでみずみずしい身体?
初対面の人と正面を向くのが難しい身体も、一歩引いて誰かの陰にいるのが落ち着く体もありますね。
つい踊りだしてしまう身体も、丸くなってうずくまりたがる身体だってありますよね。
どんな身体も愛しまれ慈しまれるに値すると、わたしは思って暮らしています。
そんなある日、保育中に子どもが一時的とはいえ、ダメっていう身体になっていると感じてもやっとした瞬間がありました。
ある小さな子が、その先には行かないようにと言われている方に出ようとして、年上の子が「ダメなんだよ!」と声かけ。
ちっとも止まろうとしない年下の子。
年上の子は前に立ちはだかって、「ダメ!」の一点張り。
しかし年下の子には何が何やら通じない。
どうしてダメと思うのかをわたしが質問して、年上の子が答えて年下の子がきく。年下の子は黙ってきく。黙ってきいた上で「やだ!いく!!」
年上の子はどうするかな?
上「だからダメなんだって!」「ダメダメ!」
下「やだ!!」「ヤダヤダー!!」
ダメとヤダの応酬が何往復か。
ミ「ちょっと待って、そもそも何でそっち行きたいのかきいてみた?」
上「でも(行ったら)ダメだから!」
ミ「そっかー。でもミッチーさんはきいてみたいんだよ。〇〇が何でそっち行きたいのか知りたい!」
きくと、年下の子は理由を話してくれる。
理由を聞いてた年上の子は、それでも「でもダメなんだよ!」「だからダメなんだってば!」
何だろな、頭ではわかっている様子なんだけどな、、何だか、もう身体がそうなってしまっている印象。
別にね、ダメっていう身体がいけないと言いたいわけでも劣っていると思っているわけでもないんだよ。
ダメっていう身体にだって言い分はあるでしょ?
そこから始まるものもあるわけだしさ。
ただ、これがきっかけとして、わたしの中の何かが反応して、結果、わたし自身がどういう身体が好みかがよく見えたという話。
今、目の前にいる人だったり自然だったり物質だったりの存在を感じあうとか、ききあう身体性がわたしとしては好みなんだなあ。
ききあうことや感じあう事は共感。
人と共感すれば世界平和。
自然と共感すれば地球の調和。
AIさんたちにこれはできるのかな?
人間や動物、植物、命ある存在ならではの営みなんじゃないのかな?
言い換えると、共感の感覚を伸ばして広げていければ、ヒトが種として生き残っていけるのでは?という仮説。
では今、わたしたち身近な大人は子ども達にどんな身体を手渡そうとしているのかな??
それ以前に、まず、わたし自身がきく身体、感じあう身体、共感する身体になってるのかな?という問いが導き出された出来事。
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