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手で感じ、考える。

先日、机回りの整理をしていたら雲形定規が出てきました。溝引き定規やガラス棒、烏口、字消し板等とともに、昭和のデザイン作業の主役たちです。
当時、デザインの真似事をやっていた私には上手く使いこなせなかったのですが、1本の線が次の線を生み出していく「道具が創造の起点になる」感覚は、今も強く覚えています。

私がコピーライターとなってからも、この「道具が創造の起点になる」感覚は同じで、筆記具の種類によってコピーの「生まれ方」が変わることを何回も経験しました。
ウンウンと唸りながらコピーを捻りだしていたかと思うと、突然、勝手にペンが走り出す。脳と手が一体になったような不思議な感覚です。しかもそれが筆記具によってチガウ。
コピーライターでありながら文字を書くことが嫌いという厄介な性格もあって、ワードプロセッサーなるものが登場したときには快哉を叫びましたが、この機械はボディコピーを書くには良いものの、ヘッドラインを書く際にはあまりよろしくない。どうしても「言葉の体温」や「瞬発力」のようなものが抜け落ちてしまう。

モニター画面を見ながら企画作業をしていても、一つのアイデアが次のアイデアを生み出してくれることはあります。ただそれはあくまでも頭の中で完結していることであって、物理的な形にはなっていない。
デジタルという武器を手にすることでクリエイティブのスピードもスケールも大幅に向上しましたが、その洗練の過程の中に置き忘れてきた「数値化できないデリケートな生もの」があるような気がします。
急速にAIが普及する今、デジタルを介さずに「手で感じ、考え、生み出す」ことに、クリエイティブの原点はあるのではないかと改めて思った次第です。

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