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考えすぎても幸福にはなれない
私自信のことになるがいろいろと先のことを
考えるタイプだと認識している。
そのことによって問題を未然に防ぐことができるので長所でもある。
しかし、考えすぎは短所となることも多い。
それは考えれば考えるほどネガティブな考え(=心配事)が
浮かんでしまうことである。
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自分のチームで会社を辞める人がでたときの話である。
そのときに送別会をするかどうかで色々と悩んでしまった。
まずは、送別会をしたい動機。
今まで一緒に働いたことの感謝を1つの形として伝えたい。
チーム内のメンバーと最後の交流の場を作りたい。
この2点が主である。
考えすぎる人はデメリットやリスクをいくらでも思いつけてしまう。
我ながらよくここまで悪い想像を浮かべられたものだと感心する。
このとき開催するかどうかで悩んだ点は以下の通りである。
辞める本人は送別会を望んでいるのか?
チームのメンバーは付き合いで嫌々参加することにはならないか?
参加費はいくらにしようか?
若手のメンバーに多くの金額を払わせるのは負担にならないか?
逆に参加費を役職者である自分が多くの金額だして
他のメンバーは少なくすることは子供扱いしていると思われないか?
参加者は他の部署の方も呼んだ方がよいか?
呼ばなかった場合に後で開催したことを聞いた場合に不快に
思わないだろうか?
店を予約したが店員が勘違いして予約をとれていないことはないだろうか?
言い出しっぺである自分が当日に体調を崩して参加できなくなることは
ないだろうか?
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このように考えすぎ(心配症)の人は不安をいくらでも思いつくことが
得意である。
そしてその不安を払拭するための最も簡単な方法。
それは「やらない」である。
今回のケースであれば送別会をやらなければ
列挙したような不安が現実になることはない。
しかし、やらなければ感謝を伝えることができない。
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ここまで考えすぎな人は稀かもしれない。
しかし、少なからず人間迷うことや不安になることはあるはずだ。
そのときに安易に「やらない」という結論をだすべきではない。
「やらない」ことはラクかもしれないが何も経験を生まない。
そして「やった」ときのメリットを享受することもできない。
もしかしたら手にすることのできた幸福をはじめから
手放すという選択をしているのである。
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心配症である性格を直すことは恐らく不可能だろう。
しかし、リスクはあるが「やる」ことを積み重ねて実績を得ることで
不安を解消する自信につながるのだ。
また、終わってみれば大したことがないと思うことが大半だ。
不安でモヤモヤでしているのは時間の浪費なのである。
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