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自分を受け入れる器は持っています。(縁と運#37)

評価されることに早く慣れること。

人の多くは、評価をしたがるようだ。

評価したランキングをインターネットで見ることはたやすい。2チャンネル的なところへ行けば、悪い評価をくだすことで躍起になっている人が多い。仕事も遊びも評価し、評価される。お金を持っている、いいスタイルを持っている、良いものを持っているだけで、高評価を得る。でも反対にやっかみによる低評価をもらえる。

何につけても、評価し、差をつけ、そのものに点数をつける。点数が悪ければ、それは悪のように見られ、点数がよければ、神のように見られる。

評価と同様にレッテルを貼る。医者はみな医療行為をするために、病名を作り上げて来客を患者に仕立てる。まあそれは仕方ないにせよ、レッテルを貼りすぎるように思える。

ネットの世界では、ランキング、いいね数、などがずば抜けていなければ台頭できない。それも致し方ない。評価されることが全ての基準なのだから。

そのような評価をどのように受け入れるかが、その人の幸せ度につながる。

一喜一憂しながら受け取るのもしんどい。悪い評価も、耳に目に入れば、どこか記憶の隅に残る。いい評価で慢心していると、奈落の底に落とされる(メディアの傾向)こともある。

評価を気にしない人はいないだろうが、それを価値基準にしない人が、幸せ度が高いと思う。自分のことを自分自身が認めることができれば、それほど他人の評価を気にせずにいられる。慢心しろとも言わないけれど、幾分かは自分のことを「よくやってるよね」「今まで生きてこれたのはたいしたもんだよね」と自己肯定することは、いろいろな面で大切だと思う。

自分を肯定していくと、理由はわからないけれど、他人を評価しなくなってくる。

「お気の毒に」「大変だろうね」「何か私にできることはないかな」「ただただ素敵」「頭がさがる思いだ」と心の感情部分が湧いてくる。評価じゃなく感情として、あふれ出るようになる。

この境地にいれば、たいていのことが肯定できる。実害があれば相手に対してちゃんと気持ちや被害のことを言明できる。それはやめてと言えるし、さもあらんと平然としていられる。

評価の嵐に身をさらされていて、それがしんどいなら、一度自然に戻るといい。インターネットや電話をどこかにしまっておいて、自分を肯定できるまで他人との接触を控えるか、とことん付き合うかしてみる。旅に出たり、本を読んだり、運動(筋トレ・柔軟)など自分だけでできることをしてみるといい。


他人と比べることを平然とできる、他人と比べない、それが幸せの第一歩になり、運が向いてくる。

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#エッセイ #コラム #人生 #評価 #幸せ #苦しい人へ #縁と運


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