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縁と運についてぼくなりに考えてみる

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縁とか運とか、そんなもの見えないからわからないって思う人は多いです。新年に神社やお寺に初詣に行き、おみくじを引くのは、何か神様や仏様のメッセージを受け取り、運を試すことだと思いま…
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2017年6月の記事一覧

記憶違いでトラブル(縁と運その12)

2017年6月30日金曜日 新たな記憶と気持ちよい感情(縁と運その12) 今日は6月30日です。一年の半分が過ぎようとしています。昨日の出来事と、今年のお正月の出来事と、どちらを鮮明に思い出すのでしょうか。それとも、もう何年も前のある日のことを思い出しては、嘆いて悲しむかもしれません。 ひとの記憶は曖昧なもので、鮮明に覚えているように見えて、実は大事なことが欠けていたり、記憶違いをしていることが多いです。 「思い込みの過去」とぼくは呼んでいます。 記憶違いは、人間関係を

天災は忘れたらやってくる(運と縁その11)

2017年6月26日月曜日 最悪のことを考えてしまう 多くの人はそんなことを考えてはいません。微塵にも思わないのが普通です。ところが、常に最悪のことを考えてしまう人がいます。心配性の人に多いです。 交差点に立っていて、車がフェンスを越えて突っ込んでくるかもしれない。 彼氏が連絡をくれないから、どこかで行き倒れになっているかもしれない。 今度の台風が来たら家の屋根が吹っ飛んでしまうかもしれない。 今大地震が来たら、この建物が崩壊するかもしれない。 色々と考えすぎるぐらい最

仕事のこと少し(縁と運その10)

2017年6月23日金曜日 「忘れてましたは、無しよ。」 人の短期記憶、つまりメモせず瞬間覚えておける記憶量はそれほど多くないということがある本に書かれていました。 なるほど、そうですよね。 電話番号等の数字の羅列を覚えるのも、5桁か7桁が精一杯です。 今なら3個から5個の数字ぐらいしか覚えておけない気がします。 さらに、時間が経つと忘れてしまいますし、他の覚えておくことが発生すれば、上書きされて前のことを忘れてしまいます。 繋がりのないことを覚えるのは、ほんとうに難しく、

交信(縁と運その9)

目に見えないものを見るというのは不可能ですが、単純に見えていないだけかもしれません。昔は細菌やウイルスも見えなかったですが、今は顕微鏡などを使って見えるようになりました。宇宙にある星たちも肉眼で見えなかったものが、天体望遠鏡などで確認できるようになりました。人の骨や内臓や細胞までも、やっと見ることができるようになりました。 見えないものの代表が、霊とか運とか言われるものです。物理的に見ることができませんから見えないのは確かです。でもどうなんでしょうね。 神の存在とか仏の存在と

挨拶ができるといいね。(縁と運その8)

基本的なことだけど ありがとう、ごめんなさい、をタイムングよく言えること。 日常の挨拶をどなたに対しても行うこと。 この二つのことができるようになっていると素敵です。 挨拶というのは訓練次第でいかようにもなります。 おはようございます、こんにちは、こんばんは、お疲れ様です、行ってきます、お帰りなさい、おやすみなさい、こういう単語を声に出して言えばいいのですから、そう難しくはありません。毎日毎日繰り返して声に出してみてください。そのうちに言えるようになります。 挨拶は感

本との出会い(縁と運その7)

ときに本は師となる。 師と仰ぐ人がいれは幸せかもしれない。 師の行動が全てを伝えてくれる。 もし、その師が教えを授けようと言ったら、それは偽物である。 教えて、はい、いくらになります、というのも全くの偽物である。 本物は、教えることなく教え、一切の集金はしない。 師となる人は、自分のレベルによって変わって行くものだ。 今はこの師だが、この先は違う師の元へ行くことになっても良い。 自分が変化しているからだ。 師に学ぶことは多いが、言葉だけではない。 師の行動、行為、他者との

環境を整える(運と縁その6)

自分の身の回りをよく見て。 環境が個人に無意識に影響する、と考えています。 無意識にということがポイントです。自身に自覚がなく、無意識に影響されているということです。 環境を変えたり、整えたり、良いものにしていけば、自ずと自分も変わって行くのです。 だからといって、環境から逃げてもうまくいきません。 自らが環境を作って行くことです。 運さえ良くなります。(運が悪いのを環境のせいにしてはダメです) もちろん、変えられない環境もありますが、そういう中でも意識的に環境づ

歩けば当たります(縁と運その5)

京都に行くとよく歩きます。ぷらぷらとゆっくりペースで歩きます。決して急ぐことはありません。 ときに興味の引かれる場所で立ち止まり、カメラを構えてシャッターを切ります。 その場所はいつも変わらずそこにあるのでしょうが、ぼくにとってはその瞬間しかそこにありません。 こちらが動いているので、まるでその場所が動いているように思えます。 瞬間の出会いは、やってくるものを待つのではなく、こちらから行く方がたくさんありそうです。 方向性をあまり決めず、ぷらぷらと進んでいくことで、とんでもな

不運だなあ、と思う前に(縁と運その4)

運がないと思っている人は、「今」に生きていると見つかる。 ただし、幸か不幸か、吉か凶か、善か悪か、それはわかりません。 人間万事塞翁が馬、ですからどのように転んで行くかはわかりません。 それでも、何かを見つけたいなら、今に集中することです。 運はおそらく縁の中か縁の周辺にあると思います。 縁と運は、「ココの今」にあります。 自分のいるところが縁のある場所です。隣の家や他人の縁には、自分の縁は存在しません。羨ましいとか、幸せそうだとか、よそ見をしても何も生まれません。 そ

縁の形(縁と運その3)

縁はどのような形をしているのか想像してみたました。 縁という漢字は同じ読みで違う意味のものが多数あります。 円、園、苑、宴、炎、艶、遠、援、塩、演、延、焉、煙、淵、嚥、などパソコンで変換してみただけでもこれ以上ある語です。 これらをぼんやりと眺めていると、なんとなく「縁」というものがうすらぼんやりと感じとれるのです。確かに、実態はあまりないようなあるような漠然としている漢字ばかりです。 「縁」は他にフチと読みます。フチがありそうな漢字も見受けられます。淵などは全く同じです

縁と運(その2)

下方の記事は4年前に書いた過去記事ですが、自分の携わっている仕事というのは、縁が深いと言えます。そのご縁でいろいろな人に出会ったり、人生のパートナーを見つけたり、生活の環境まで変わることがあります。 ところが、このご縁を単純に面白くないとか嫌だからといって、すぐに縁切りする人が多いです。なんだかこれはもったいない気がします。出会ったご縁を自分から切るのは、自分の意思が固まって覚悟ができてからするのがよいと思います。 こんなはずじゃなかったよ~。別ブログ過去記事です(加筆修

縁と運(その1)

思いやりと慈悲と無償の愛  もし自分のことだったらと相手の気持ちを考えて思いやりのある行動をとると、相手はとても心地よく暖かい気分になるだろう。  今はとても辛いだろうな、そうなってしまったことは仕方ないし、よく忍んでおられるなと思って、黙ってそっと寄り添ってあげれば相手の気分がとても落ち着くだろう。  子どもに接する母親のように、何もいらない、見返りいらない、利益もいらない無償の愛を注いだら、相手はとても安心して素直な気持ちになるだろう。  これらを持ち合わせている人た