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交信(縁と運その9)

目に見えないものを見るというのは不可能ですが、単純に見えていないだけかもしれません。昔は細菌やウイルスも見えなかったですが、今は顕微鏡などを使って見えるようになりました。宇宙にある星たちも肉眼で見えなかったものが、天体望遠鏡などで確認できるようになりました。人の骨や内臓や細胞までも、やっと見ることができるようになりました。
見えないものの代表が、霊とか運とか言われるものです。物理的に見ることができませんから見えないのは確かです。でもどうなんでしょうね。
神の存在とか仏の存在とかも見えないから「ない」のです。
あの世も見えないから「ない」のです。
この世も実は見えてない部分がほとんどなので、見える以外の部分は存在し「ない」のです。
これが物理的に「ない」考え方だと思います。
人がいなければ、すべてが「ない」ということなのでしょう。

太古の昔から、これら物理的には「ない」ものがあると信じられてきました。
日本などは、万物すべてに神が宿ると考えられてきました。
安倍晴明が見えない式神を使って色々な情報を集めては対処していたと言われています。
不思議ですよね。

ぼくが思うに、現代の人の見る目が、「ない」になっている。
見たくないのかもしれません。

過去の人は見たいから見えていたかもしれません。
それで、もし見えていなければ、妖怪の絵も悪魔の絵も神の絵も描けなかったはずです。
耳も同様に、過去の人は聞きたくて聞こえていたのかもしれません。
口もきかないのに、お互い交信できたのも、交信したかったからでしょう。

不思議と思っていることが、実は通常通りに行われていたのかもしれません。

現代人は心の交信ができなくなっているように思います。
それは生きている者の最後の砦なのに、交信できなくした何かにしてやられたのでしょうね。
残念でなりません。

しかし、まだ大丈夫です。
人は、見えないものを感じようとしていますし、こころを交わそうと努力しています。
人は、見えなくても、聞こえなくても、真意を捉えようと努力しておられます。

真剣に生きている人は、何かの存在を信じて自分を生かしています。
そして、同時に、生かされているという事実を知っています。
だから、感謝と慈悲と許しが生まれるのです。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。

#コラム #エッセイ #人生 #縁と運

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