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義母の黒豆おこわに出会えてよかった話。

誰にでも得意料理はあると思う。作る人の数だけ、誰にも真似できない特別な一品がきっと存在する。今はなくても、貴方にもいつか生まれるはず。唐揚げだったりグラタンだったり、ポトフだったり玉子焼だったり。それらは各々の名もなき食卓の上で、夜間飛行の旅客機から眺める街の灯りのように一斉に輝きを放ち、地表を埋め尽くしている。

義母が眩しいほどの光を燈すことのできる一品、それは黒豆おこわである。

これは、お義母さんがときどき蒸してくれる黒豆おこわをただただ絶賛する記事です。

義母は蒸籠でもち米を蒸させたら右に出る者はいないほどの手練れだ。おこわや赤飯の仕上がりがそれはもう驚くほど見事なのだ。なんでも、今は亡き義父がかなりの偏食で、赤飯とおこわが相当好きだったらしく、義父の要望に応えるうちに上達したのだという。

パートナーや配偶者の実家の料理や味つけにアジャストできるかどうかという問題は地味に大きいと思うのだけど、誰かと知り合って恋に落ちて、寄り添いあって暮らすようになってようやくわかることなので、これはもう運任せというよりしょうがないところがある。そんなところも含めてこの人と一緒になってよかったと思えれば幸せだと思う。

僕はそれほどディープに義母と寝食を共にした経験が未だにない(実はわりと敬遠している?)ので、全ての料理の味付けや作法に関して両手を挙げてイエス!と言える自信は正直ない。といってうちの実家の母親の味もさんざんなモノなので、妻は外れを引いたと思っているかもしれない。

しかし、この黒豆おこわはほんとうにおいしくて、掛け値なしにお店で出せるクオリティだと思っている。もしこのおこわが常時置いてあって、白ごはんの他にチョイスできる一膳飯屋さんが近所にあったら日参するレベル。

お米はモッチモチ、黒豆はホクホク。

黒豆おこわ03

ほんのり塩味と黒豆の香りが移ったもち米はモッチモチで頬張るのが楽しい。ふんだんに散りばめられた黒豆はホクホクと口の中でほぐれ、いいアクセントになっている。非の打ちどころがない、とはまさにこのことである。おかずなしでも箸が進むし、同時にどんなテキトーなおかずにも調子を合わせてくれる。まるで熟練のジャズピアニストのような柔軟さ。

黒豆おこわ05

ちなみにこの日のおかずはウルトラ適当で、スナップえんどうと規格外シャウエッセンの塩コショウ炒め、どんこ椎茸のめんつゆマヨ焼き、ほうれん草のおひたし、以上。このうちどのおかずとともに口に運んでも、ひとくちごとにおいしくて、思わずうふふふと笑ってしまう。

しまいには「うっまいなあー」と口をついて出る始末。

義母はけっこう高齢なのでときどき水加減や塩梅を間違えることがあるけど、かなりの高打率でこの絶品黒豆おこわに巡り合えるから嬉しい。

おこわは餅米なので食べ終わった後は白ごはん以上にお腹がふくれる。でも黒豆のやさしい風味のおかげで、カラダにいいモノを摂取したという満足感(錯覚)がたまらない。

義母が先日お重で持たせてくれたので、今うちの冷凍庫には黒豆おこわのおにぎりが大量にストックされている。これからの数日お昼ごはんが楽しみ。

いつか義母からこの秘伝の技を習い、自家薬籠中のものとしたいと思っている。そう奥さんに告げたら「きっと何言ってるかわからんと思うで、お互いに」と笑われた。そのときは彼女に通訳をお願いすることにした。

この世界の片隅で、義母の黒豆おこわに出会えてよかった。

それはもちろん、奥さんに出会えたおかげだけど。

いつもごちそうさまです。


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