酔っ払いの戯言

仕事終わりにハイボールを飲みながらダラダラと考えるこの時間が好きだ。

以前の記事でわたしがどういう人間であるかを少し語ったと思う。
今回はわたしというネットの海に揺蕩う1人の人間(現在脳をアルコールにどっぷり漬けている)の思考についてを綴ろうと思う。
酔うと説教臭くなるタイプなのかもしれない。

以前の記事(下記リンク)にも記載しているが、わたしのMBTIタイプはISTP-Aである。

ISTPが何たるかはお手持ちの端末で調べて頂きたい。

さて、そんなISTPのわたしが何を綴るのか。
今回は「生きづらさ」についてダラダラと語っていこうと思う。あくまでわたし自身の話である。




わたしの思う生きづらさとは

メガハイボールをおかわりしたところで本題に入る。
日々を過ごしていくなかで、ふと生きづらさとは何だろうと思った。
ISTPに分類される人間はストレス耐性が高いと言われている。わたし自身もストレスに関してはぶん殴る勢いで生きているため、世間からの評価は"ストレス耐性が高い"となるだろう。
しかしそんなわたしもつい最近まで生きづらさを抱えていた。
厳密に言えば「息のしづらさ」だろうか。呼吸をしているはずなのに酸素が循環せず、永遠に息苦しい感覚と言えば良いだろうか。

遡ることn年前。
晴れて社会人としての1歩を踏み出したわたしはそれはそれは大きな期待を胸に抱いていた。
そんなわたしが入社2日目に味わった挫折は筆舌に尽くし難いものであった。
詳細を書くと誰かを傷つけかねないため明言はしないが、とにかく人格否定の毎日だった。
もちろんわたしにも非はあった。むしろ非しかなかったとも思う。
それでも当時のわたしは毎日毎日上司からの罵倒の言葉に怯え自身を責め、こころがすり減るような思いをしていた。
そんなわたしがダメになるのはあっという間だ。壊れるのは一瞬だった。
今にして思えば他者を罵ることでちっぽけな自尊心を慰めているみっともない人間だなと、マスクの下であっかんべーくらいはできるが、当時のわたしにそんな度胸は無かった。
精神科に入院し治療を受け、社会復帰できるまで2年を費やした。たった2年と思う方はいるかもしれないが、わたしにとってこの2年はとても苦しく永遠にも感じる期間だった。

そんなわたしがストレスなんてぶん殴れ!と勢い良く生きていけるようになったのは、あの辛い日々のおかげだったのかもしれない。
あれに比べたらマシという思考ではない。あのようなストレスだらけの環境における自分の反応を知ることができたからこそ、現在直面しているストレスへの対処が思いつくのだ。ISTPは経験から学ぶと言われているが、まさにこのことだろう。



ストレスというものはどうしたって存在する

冒頭で述べた通り息のしづらさを感じることもある。
わたしにとってのストレスは束縛である。
典型的な「○○したらダメ!」というものへの対処は慣れたものだ。幼い頃から言われ続けていたから。
そうではなく、わたし含めた人間が無意識に行っている束縛である。自戒も込めて綴ろうと思う。

「○○だと思った」
「○○ならこうなんでしょ?」
「○○なのにそうなんだ!」

挙げればキリがないが、上記の言葉或いは感情に心当たりのある方はいるだろうか。
もう少し具体的に示そう。

「クールな人だと思った」
「A型なら真面目なんでしょ?」
「ISTPなのにおしゃべり好きなんだ!」

上記のような言葉や感情が発生してしまうのは、無意識に相手を型に嵌めて考えているからだ。ある意味束縛である。わたしからすると。
これが好意的な意味で用いられていたとしてもダメなのだ。わたしを構成するほんの僅かな情報だけで判断されることがどうにも我慢ならない。

息苦しかった。ずっとずっと。
目に見えない他者からの型に当てはめられていたことが。そこから抜け出せなかったことが。
雁字搦めになって自分自身をも見失って、ままならない感情に溺れて息もできない。
これがわたしの生きづらさだ。



〆は雑炊と世の中へのお気持ちで

世の中では多様性の尊重が叫ばれている。
○○なんだから配慮して!と訴えている方の意見にも頷けるが、どうもしっくり来ない。
あちら立てればこちら立たぬ、のような状態。
全方向配慮だなんて無理だ。少なくともわたしは。
現代社会に求められているのは多様性への理解ではなく、みんな違ってみんなどうでもいい。という思考なのではないだろうか。どうでも良ければ他者を型に嵌めて理解することもない。そういう人間と思うだけで良いのだから。
ある程度の諦めをもって他者を受け入れた方が己も楽なのだ、きっと。

ひとり優雅な鳥貴族なのに3,000円超えて飲んでしまった。
鳥貴族、なのに。思考を変えようとするのは難しいなと千鳥足で帰路に着く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?