見出し画像

大切な時間でした。

 僕が小学2年生の頃、我が家にやってきたのは「コロ」でした。まだ2か月で、小さかったコロは末っ子だった僕にとっては、弟みたいな感覚でした。もちろん、当時嬉しかったのですが、少しコロに嫉妬したりもして…(兄が弟ができた途端に親に甘えるアレ…)。それでも、すごく兄弟のように育ちました。
 サッカーが大好きだったコロは、めちゃくちゃに上手いんですよね。サッカー選手の生まれ変わりだったのかなって思うほどに…。特に上手だったのはキーパーで、飛び込んでキャッチするくらいにはうまかった。多分、背丈がないので上は取れないけど、それ以外ならそこら辺の小学生よりはキャッチする。そんだけ上手かったですね。
 遊ぶこと、食べることにおいては右に出るものはいない。今思い返すと、それだけでも、もう面白かったりする。

 身体は大きいんだけど、アレルギーや泌尿器官が少し弱くて、薬は何年も飲んでいたりした。亡くなる1年前には、少し肺炎気味になり、倒れたこともあった。その時も覚悟はしたが、なんとか一命をとりとめた。その年の3月にはコロナウイルスが蔓延する。小学校からスポ少、中高の部活動、大学でのサークル。ずっと一緒にいられる時間は少なかった僕にとって、最後の一年は、ずっと一緒にいることのできた初めての年だった。
 亡くなる時は、病院で診断されたからたった一週間だった。慢性腎不全は、ゆっくり体を蝕んでいて、症状が出た時には、もう取り返しがつかなくなっている。僕らはとても後悔した。
 最後の一週間はGWの真っただ中で、亡くなった日は最終日の朝の2時。奇跡的に、家族全員が揃うことが出来た日だった。亡くなる日の夕方には、むくっと起きて、家族全員に挨拶するように歩き回った。あの日、まだまだ生きてくれるんじゃないかって期待したりもした。その日の前日もその日の前も、夜が一番ひどいので、山場は夜だと分かっていた。あと一日乗り越えたら、病院に行ける。そうしたら、大好きなご飯をもう少しだけ食べられる。でも、そこまで生きることはできなかった。
 あの日、誰かが起こしてくれたのか、目を覚ましたことで最後に声をかけることができた。夜中の1時半ごろ、ぱっと目が覚めて、コロを抱き寄せた。一人で、何も伝えられずに逝かせてしまうことがなくてよかったと思う。

 なんとなく、悲しみが収まらないままに1年が過ぎた。少しだけ、自分の整理もしたく、大切な家族を心に留めるために、言葉にすることにした。「最後の一週間。」はこの経験をもとに脚色を加えて、書いたものである。病気で亡くなる前に、少しの違和感でも気にすること、大切な家族との時間を大切にする。自分のことも、誰かのことも優しくする。この記事が、大切なものに気づける一歩になれたら、幸いだと思う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?