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HSP気質のわたしが適応障害を経験したお話。

”適応障害”ってあまり聞き馴染みのない言葉ですよね。
最近では女性俳優の深田恭子さんが適応障害と診断され、
お仕事を休養されることが発表されましたよね。
報道が出たときは驚いたし、心配で、ゆっくりお休みされてほしいなと思います。
そして、ここまで世間に”適応障害”という言葉が広がったのは
はじめて?なんじゃないかなと感じました。

でも以前に自身が診断されたり、
身近な人が診断された経験がある方にとっては
そのときの経験を思い出したり、
報道された深田恭子さんを心配された方もいらっしゃるかと思います。
わたしもそのひとりでした。

今回はわたしが思い出した当時の様子と
どうやって適応障害から元の生活に戻れたかを
書いてみようと思います。


まず、この記事でいちばん伝えたいことは、
適応障害は治りますよ~
ということです。

当時のわたしも、毎日がつらくて
出口のない真っ暗な穴に落ちてしまったような気分でした。

でもそんなわたしでもいまでは当時の症状はなくなり
落ち着いて生活ができています。

わたしは医者ではないので
医学的なことはここには書けませんが
わたしが当時どんな症状で、
どんな風に過ごしていたかを伝えられればなと思います。

※ストレートに当時のことを書くため、いま現在、適応障害や抑うつ状態、うつ病の症状がある方にとっては、もしかするとつらい内容になってしまう可能性もあります。
しんどいと感じたら読むのをお休みされることをおすすめします。

精神が不安定になるきっかけ:信頼していた上司との対立

ことのきっかけは、
美容学校を卒業後、就職した職場(美容室)の女性の上司との対立でした。

それまでわたしはその上司のことを
憧れていて、信頼していました。
少人数の美容室でのお仕事だったので、
チームワークもよく、現場の人間関係も悪くなかったです。

ただ、会社の方針の変更に納得がいかないことや、
身体的な負担(手荒れが体中に広がっていました)が理由となり、
わたしは退社を考えていました。

ひとりで悩んだ結果、辞める気持ちが若干大きくなった状態で、
業務後、上司とふたりきりになり、相談をしました。

きっと当時のわたしは、わたしの話を聞いて、
いまのつらい状況を受け止めてほしかったんだと思います。
そこからどうするかは、相談ベースでどうにでもなったと思います。

しかし上司から言われた言葉はわたしが望んでいたものとはかけ離れていました。

その程度でつらいって言っちゃうんだ。
もっと大変な思いをしている子たくさんいる。
先輩たちはみんな乗り越えてる。
手荒れがつらいなら治るまでシャンプーから外してあげる。
それがやめたい理由ならわたしはそれを取り除く。

言っていることは間違ってはないと思いますが
わたしに寄り添ってくれている感じは
ありませんでした。
さらに一回り以上歳の離れているわたしに感情的になる姿に
呆れてしまいました。

話が通じなかった悲しみと、
憧れていた人物への失望と、
終わらないストレスの蓄積で、
わたしのメンタルはバランスを崩し始めました。

好きだった仕事が憂鬱になる

もともとメンタルは強いほうではないわたしで、
むしろ気にしいで、些細なことで泣いたり、
学生時代から体調を崩したり、バランスを崩しやすくはありました。

その当時も例外ではなく、
上司との対立をきっかけに、
朝が憂鬱になり、体は一日中重く、めまいがすることもありました。
そんな状態が数ヶ月続き、またもや上司に呼び出されます。

辞めたいと思っていることは知っているけど、
周りに悪影響だから態度には出さないで。
体調が悪いのも、改善して。

ふてくされた態度をとっていたわけでもなく、
ただ体調の優れない状態をこう指摘されました。
なにを言われているのか言葉の把握はできても理解はできず、
「どういう意味ですか?」と反発したことを覚えています。

ただ、このような言い合いはわたしにとって
膨大なストレス抱えることになるので、
この日から毎日泣いて過ごすことになります。

朝は職場へ行きたくない…と思い
早めに家を出てもギリギリに到着し、
営業中の記憶はほとんどありませんでした。
いま思い返すと、この辺りから適応障害の症状出ていたのかもしれません。

上司の涙を見てメンタル崩壊

そんな日々が続き、わたしと上司の関係、というよりも
わたしの上司に対する印象が最悪にまでなっていきました。

上司もまれに体調を崩し、仕事を遅れてくる人だったので
『人には指摘するくせに自分はいいんだ』
と思ってしまったり、
上司の発する言葉のすべてが、悪意のある言葉に思えてきてしまいました。

その場の誰も信用できなくなり、その場にいるのもつらかった。
そしてまた、上司に呼び出され、退職の意思を確認されます。

そこで素直に、もう心も体も限界です。
好きだったことが好きと思えなくてつらいです。

と伝えました。

涙が出ました。職場の人の前で泣いたのははじめてでした。
上司も泣いていました。
「いちばん可愛がっていたから辞めてほしくなかった。反発されたのもショックだった。」
と言っていました。
だったらもっと大人の対応をしてくれと思いますが、
わたしも含め、未熟な者同士だったのでしょう。

形式上の和解をし、気分が落ち着くと、それまで気を張っていた分、
緊張の糸がプツンと切れたように何も考えられなくなりました。
たしかその日に退職することを認めてもらったような気がします。

適応障害と診断され退職

緊張の糸切れてからわたしは自己嫌悪に襲われました。
自分がなにをしているのか、わからなくなりました。
仕事中も構わずお手洗いにこもったり、バックヤードで座り込んでしまっていました。

なにかがおかしいと思い、メンタルクリニックを受診したところ、
適応障害と診断されました。
(このときのクリニックの先生ともいろいろありましたが今回は割愛します…。)

診断されたときのわたしの症状はこんな感じです。

・慢性的にめまいがする
・倦怠感がひどく、立っていられないときがある
・仕事のことを考えると涙出る
・仕事中は記憶力が低下。すぐになにをやっていたか忘れる。
・体を早く動かすことができない
・ずっとぼーっとしている
・食欲低下(なにも食べれないわけではない)
・夜眠れない

口数も減っていました。
ずっとぬるいお湯の中にいるような感覚です。
体も力が入らず、思うように動かせない。
聴覚・視覚もにぶくなっていました。

診断されてからもなんと言っていいかわからずにすぐには言えず、
1週間後くらいに、上司にもう限界と伝えました。
それまでの症状も伝えると、休んでいいと言われました。
そのまま退職予定の日まで休みをもらったので
実質予定より1ヶ月早く退職となりました。
少しほっとしたのを覚えています。

数ヶ月の休養。

退職後、数ヶ月間はなにもせずに過ごしました。
この休養期間にわたしがしていたことを思い出してみます。

夜は眠れなかったので、昼に寝たりしていました。
仕事から離れると、心配事がなくなって少し落ち着きました。
太陽の下で散歩をしたり、妹と遊んだりしました。

友達とは少し元気になってから会いました。
自分が無理をしなくていい人と会うと、
元気になれました。

だいすきだったお酒もこの期間は控えてました。
アルコールは依存性もあるし、
余計に悲しくなったり、感情が高ぶってしまうので、
メンタルが安定していないときは
控えたほうがいいようです。

とにかくなにも考えずに休みました。
適応障害は、心配事から離れると症状は落ち着くと言われました。

丸々3ヶ月くらい休んだころ、
そろそろお仕事を探してみようかな
と思い、再就職活動をはじめました。
しかしここで無理をしてしまうと、また疲れてしまうので
自分が納得して、楽しいと思えることに取り組めるといいと思います。

いまは休んでいいとき。

しんどいと感じるときには、
シンプルに休みましょう。
いまは休んでいいときです。

また明るい世界で笑うことができますから。

いま悩んでいるひとが
また好きなことに取り組んだり、
好きな人と会って楽しく過ごすことができますように。


ーー追記 2021.06.26ーー

クリニックの先生とのやり取りはこちらへ書かせていただきました。
すべて赤裸々に書いていますので、限定公開ということで有料記事となっています。
ご興味あればぜひご覧ください。




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