アルコール依存症者へ贈る愛の言葉-18断酒の主体
サポートするという言葉が、適切なのかなと考えている。
最初のころ私は、Jをコントロールしてザ・スタンダードなアルコール依存症治療につなげるのがベストだと思いこみ、めちゃくちゃ気負っていた。
何度かのスリップと、回復していくJの姿を見ているうちにその考えが変わっていった。
飲酒欲求に支配されてしまったら、私が何を言おうとJは飲む。
そして何とか抜け出してはまた一から断酒をはじめる。
その繰り返し。
自分の病気についてどうするかを決めるのは基本的にすべて本人の意思だ。
断酒をするかしないかも、どういう治療を選ぶかも本人次第なのだ。
当たり前と言えば当たり前である。
サポートする側は、調べた情報を共有し、選択肢を提示することはできる。
でも押しつけることはできない。
私が選択できるのはJに寄り添うかどうかだけだと思うようになった。
そう、いまの私のスタンスは、サポートするというよりは、Jに寄り添っていると言うほうがしっくりくる。
あんまり変わらないか。
コントロールしたいという欲求を手放して静かに見守れるようになったのは、心を癒やし整えてきたからだと思う。
まともになった暁にはやらかした事を謝ってもらおうと思っていたのも、いつの間にかどうでもよくなった。
回復したいというJの意志を信じ、Jに寄り添うという選択をした以上、すべて私が好きでやっていることなのだ。
被害者であるという自己認識が外れると、Jが正気で生きて笑っている、この奇跡の瞬間を楽しめるようになった。
そもそも病気だから、やらかしたことをJは覚えていない。
覚えていないことを謝ってもらっても、別にうれしくない。意味がない。
それにやらかしたのは病気の症状なわけだから、癌患者に痛みがあることを謝れと言っているのとそう変わらないわけである。
納得いかない人も多いかもしれないけど、これが私にとっての事実だ。
なんとかステップのように迷惑をかけたと思う人に謝ることがアルコール依存症者本人にとって重要ならそうすればいいと思うけど、サポート側にとっては、少なくとも私にとってはどうでもいい。
自分を責めているアルコール依存症者本人には、そこまで卑屈にならなくていいと言いたい。
あなたたちはたくさん苦しんできて、回復しようという意思を持つことだけでも素晴らしいことなのだから。
蛇足だけど、依存症はどれも同じメカニズムで起きる。
他の依存症からの回復者にも、変にペコペコしないで欲しい。違法行為があったとしても償いは済んだはず、難しい病気を乗り越えたことに誇りをもってほしい。
依存症からの回復者、回復しようと苦しんでいる人を私は尊敬する。
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