朝はフルーツってマリリン・モンローも言ってたし
これでもかというほどに雨の日が続いた昨年の秋、陽の光を求めて空ばかり見ていたような気がする。
室内の植物のように、日常の鮮やかさを失いかけていたのかもしれない。
頭のきれる後輩が言った。
「南国の陽射しをいっぱい浴びたフルーツでも食べて、元気出して」
なんて素敵なことを言うのだろうと感心した。
その言葉自体に、みずみずしい栄養がふくまれているようだった。
考えて考えてしぼり出すアイデアも、泉のように湧き出てくる響きのいい言葉も、時を越えて思わぬ瞬間に人に与える力を持つ。
何百年先の人類は、データとして遺る我らの文章を見るだろうか。そこでなにを感じるのだろう。
とにかく、空を雲が覆う日には、カラフルな果物を買うことが多い。気に入るものがなくても、生鮮品のフルーツコーナーに立ち寄りがちだ。肉は身体をつくってくれる。野菜と果物は、心にも栄養をくれる。
目を楽しませる色と形。
ユニークな、天然のデザイン。
早起きして、食材に触れる。その冷たさとは裏腹の、あたたかな慈愛に満ちためいっぱいの養分。皮をむくと、舌を喜ばせる甘い甘い果汁が滴る。つまみ食いして口に含むと、きゅっとした愛らしい生命の味がする。艶のある表皮を横目に触れ、一口大にカットして、小さな皿に盛りつけて、カウンターに置く。
だんだんに朝陽がさしてきて、フルーツの皿ごと部屋全体をオレンジ色に染め上げる。
オレンジ色に染まるオレンジ。
キッチンに立つと、きりりとした姿勢に変わる。調理とは、生命をいただくための厳かな儀式。腹ペコの食欲と、食材への敬意。味見して、ごく静かに歓喜する。
朝はフルーツ。マリリン・モンローも言っていたらしい。彼女の艶っぽさの一部分は、朝のフルーツでできていたのかもしれない。
今日は雨。太陽に会えないから、夕陽みたいなオレンジを食べる。一口サイズの太陽は、腹の底に大きくまるい元気をくれた。
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