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日本人の良さ、敬う心はどこに行ったのでしょうか?

8月6日は、広島に原爆が投下されてから
77回目の「原爆の日」
清らかな気持ちで鎮魂してほしい日でした。

式典開始前の早朝、
原爆ドーム前でデモ団体が拡声器を使って
シュプレヒコールを上げるのは、
2010年ごろから毎年、おこなわれています。

広島在住の方ならよくわかると思いますが、
数日前から、街宣車が全国から集結し、
大音量で音楽や演説、キャッチフレーズの連呼し、
うるさい事極まりない。

そして当日は、なぜか全国から集まる、
労働組合の連中。
なぜに「原爆の日」に集まり、
「安倍は殺されて当然だ!」
「国民の戦争動員への道 アベの国葬反対!」
と書かれたカード。
デモをお祭りだと思っているのだろうか。

手前で「静かに」のカードを持っている人たちは、
ごく普通の広島市民です。

デモを主催するのは、
反戦・反核を叫ぶ団体の名は
「8・6ヒロシマ大行動実行委員会」

チラシには、
「ウクライナ戦争を今すぐやめろ!」
「米日による中国侵略戦争を阻止しよう!」
「G7サミット=戦争会議の広島開催反対!」
「世界の労働者の団結で世界戦争を止めよう!」
の文字が並んでいるようだ。

ここまでは許されるが、「安倍は殺されて当然だ!」とまで叫んいる。

昭恵夫人が心ない批判を聞いたら、心境はどれほどだろうか。

平和を望む人間の言うセリフではない。原爆の投下時刻8:15の黙祷の瞬間だけは静寂だったようだが、大声を張り上げても周囲に迷惑がられて主張が国政に届くわけがない。こんな事でしか存在感を発揮できない人たちは、どんな育ち方をしてきたのだろうか?

かつて 松下幸之助の言葉に

敬う心――仕事において大切なこと

親を大事にし、上司に敬意をはらう。先輩に礼をつくし、師匠に懸命に仕える。親や師にたいするだけではない。よき仕事をする人を心から尊敬し、一隅を照らす人にも頭を下げる。天地自然、この世の中、敬う心があれば、敬うに値するものは無数にある。
 犬や猫には敬う心の働きはない。だが人間には、ものみな、人みなのなかに敬うべき価値を見いだす能力が与えられている。本質として与えられている。その本質を生かしつつ、敬うべきものを敬うことによって自他ともの心をゆたかにし、高めることのできるのは人間だけではなかろうか。

毎年思うのですが、犠牲者を悼む鎮魂の時は
シュプレヒコールはやめるべきです。
非常識ですし共感は決して得られないでしょう。

日本人のよさには、人を敬う心があります。
これは外国人には理解しにくいようです。

人からおくり物をいただくとき
「これ、つまらないものですが…」と言われ、
いただいたことはありませんか?
でも、開けてみたら立派なものでした。
それは、相手に対しひかえめにふるまおうとする
心があるからです。日本独自の文化です。

いつから、長い間、受けつがれてきた
日本の文化や自然を敬う心「和の心」が無くなったのでしょうか?


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