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子どもの内在する力を最大限に信じて見守り伸ばしていく「真実の愛情保育」

三重県で保育園を3園運営している近藤真樹先生に会いに行ってきました!いなべひまわり保育園

園を見学させていただいたのですが、前夜に近藤先生とお食事をして園への想い、子どもへの想いについていろいろとお話を伺っていたのですね。

その中で

「子どもを叱らない・指示命令しない」

「2歳児が泣きながら崖を登る姿」

「おんぶ・だっこをしない」

そんなお話がありました。

これだけ聞くともしかしたらすごいスパルタ保育をしていて、「〇〇式子どもを鍛える育て方」みたいな、そんな想像をされる方がいらっしゃるかもしれません。または「叱らない」と聞いて、「子どもを自由にさせている」そんな保育に聞こえるかもしれません。


全く違います。


見学させてもらって、感動しました。

子ども達の姿・保育士さんの姿に感動です。

そこには【子どもの内在する力を最大限に信じて見守り伸ばしていく「真実の愛情保育」】がありました。

子どもの中にある本来の力をどこまでも信じてあげていて、何かに挑戦しようとする姿、子どもの発露から行動することを側で応援してあげる。

「まだ小さいからこれはできない。」

「これをしたら危ないからやめさせる。」

そういう視点がなく、子どもの行動を見守り・励まし・そばで応援する姿がありました。

崖登り、本当に泣きながら登っている子がいました。山に登るのはイベントではなくて日常の姿なんですね。お散歩コースが山に登ること、崖登りなのです。

子どもは「できない!!」って言って泣いているんです。でも足は子どもの意志で前に進んでいるし、どんどん上に登っていく!

保育士さんはニコニコしながらその子の「できない!」に寄り添っていて、でも「できる」ことを知っているからその様子に同情して抱っこしてあげることなく、一緒に登っていっていました。それは無理やりではないんですね。子どもの「登りたい!」という意思がないととてもできないことなので、子どもが自分で選んでいるのです。

下から見あげていた私たちから見えなくなるくらい遠くまで登っていき、しばらくして道路の方に出て「園長先生~~~♪」ってキラッキラの笑顔で下ってきました。

近藤園長にギューって抱きしめてもらって、嬉しそうにさらに坂を下っていく。

その様子がステキで、涙。

山の崖を上まで登ったことは彼らのなかで達成感として残っているものの(それが笑顔♪)その登ったことを「すごいでしょ!!」ってしていない。

「次はあっちに行ってみよう♪」って、もう未来を見てしっかりとした足取りで次に向かっていく。

そこがまたステキだなって感じました。

あとからそのことを近藤先生に伺ったら、それはやっぱりそうしているということでした。できたことを「できたね」って承認するけれど、それをすごいこととして褒めるようなことはしない。ということです。

すごいこととして褒める行為って、ともすると相手を未熟な存在として見ていて、「その未熟なあなたがここまでできたって、すごいね!」って上から言っているってことなんですよね。

それはしないということです。

でも承認はする。それがギューって抱きしめること

そうすると、子どもは褒められるために行動することがなくなります。「すごいでしょ!」っていう姿がなかったのはそのためだったのです。

ステキ!

だっこもおんぶも歩ける子どもに対してその力をうばう相手に対して失礼な行為だと近藤先生は考えます。抱きしめてあげることが承認・愛を伝えること。なんですって!


山の崖登り見学の後は、園舎の見学もさせていただきました。

広いスペースで子どもたちは走り回っていて、私たち知らない大人がいてもいつもと変わらない様子があって、安心できていて、満たされているんだなということが子どもの様子から伝わってきました。

園には遊具はなく、やっぱりあるのは土を盛った山。お料理で使うボウル。子ども用に作られたおもちゃは使わない。

どこまでも子どものことを尊重していている姿勢を貫いていることが伝わってきます!

子ども同士なのでもちろん物の取り合いとか、あります。

でもそれもやめさせたり、なだめたりしない。

そんなことしたら子どもが好き勝手になってしまうのでは?と思われるでしょうか?

保育の場には安心感であふれていて、その中で子どもたちは安心して育っている。という感じです。「怒られる」とか「これをしたら『ダメ』って言われれる」という不安をもっていないからなんですね。

そして、自分という存在を尊重してもらっていることが言葉ではなく、空間のエネルギーで伝わり、わかっているから、相手のことを尊重することができる素地も育っていくのです。

食事の時間もみんなで合わせて「いただきます」「ごちそうさま」をするのではなく、それぞれのペースですが、保育士さんが「ご飯だよ!」って大きな声を出さなくても、子ども達は集まってくる。

「お昼寝だよ!」って言わなくても、部屋が暗くなったらお昼寝のところに集まってくる。

そんな感じでちゃんと規律もあって、好き勝手ではありません。

子どもの内在する力を信じると言っても、発達段階として子どもにできないとわかっていることをさせることはありません。ご飯はめちゃめちゃこぼしながら食べていました。でもそのことを注意されることがない。子どもの発達段階からみて、こぼすことは子どもを叱ることではないからなんですね。だから、子どもにとって無理がない安心の場になっているのだと感じました。


近藤先生はお話の中で何度も「覚悟」というワードを使っていらっしゃいました。子どもの内在する力を発揮することを見守るって、それは「愛」と「覚悟」なのだと感じました。

危ないからやらせないようにしたり、泣いているから抱き上げてあげたりすることは

簡単なのです。

でも、それをしない。

「子どもの中に力がある」とこちらがわかってあげて、それを発揮できることを本人よりも信じてあげて、寄り添う。

それが子どものもつ力を育むことだし、子どもが大きくなったときに自分の力で自分の道を選んで歩んでいける素地を育てているのだという、

そんな覚悟です。


子どもにはちゃんと「いけないことはいけないことだと教えるべきだ」と主張する保育士さんもいたそうです。

それは子どもを「教えないとわからない存在だ」としていて、やっぱり子どもの力をどこまでも信じているとはいえないのですよね。

思い通りにならないことを経験したり、「できそうにない。でもやりたいと感じること」に挑戦して達成したりすることを見守ること、それが0歳児から2歳児ですから、大人の覚悟は相当大きなものです。

周りから批判されることすらありますからね。(役所や地域、保護者さんなど、周囲からの理解を得るために相当な時間がかかったそうです。)

でも、できるんだなって、その体現している近藤先生と子ども達、保育士さんたちを見て知ることができて、とても嬉しく、幸せな時間でした!

子どものもつ力を信じて見守りながら伸ばす「愛」と「覚悟」。

私も持ち続けよう!と改めて決意した見学となりました!



子どもの生きる力を育み、子どものもつ才能や輝きを引き出す教育をテーマに記事を書いています(^▽^)/