ぺこぱさんの日めくりカレンダーに一目惚れした話
昨日,ふと立ち寄った書店の雑誌コーナーの棚に陳列されていたぺこぱさんの日めくりカレンダーに目が留まりました。
https://www.amazon.co.jp/dp/4479393412/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_BIbAFbYAQX52A
とりあえずここに陳列しておきます。
以前松岡修造さんの日めくりカレンダーを愛用していましたので,日めくりカレンダーがどういうものかを僕はなんとなく知っています。
まぁそんなに中身があるものでもないし…とそこを後にし,目的のコンビニに向かいました
でもコンビニにいる間,書店で出会ったぺこぱカレンダーが頭から離れなくなりました。気になって気になってしょうがなくなった。
帰り道僕はまた同じ書店に立ち寄り,どこにも目もくれずぺこぱカレンダーの前へ。無意識のうちにそれを手に取ってレジへ。これはアラサーサラリーマンのはぴもみにとって,久しぶりの一目惚れでした。
時を戻そう:M-1グランプリ2019のとき
僕は今現在でこそかなりのお笑いファンですが,
M-1グランプリ2019以降,お笑いそのものにどんどん右肩上がりでハマっていったように思います。
当初M-1 2019を見たときは,
「知っているものの面白さには敏感だったけど,知らないものの面白さに鈍感」でした。
優勝したミルクボーイさんなんかは特にそうだが無名も無名だったので,初見じゃその面白さが僕にはわからなかった,というわけです。(2周,3周として,いろんなものを見て,そこで,どんどんおもしろいと思えるようになりました)
今でこそ昔よりは「お笑いを見る目」みたいなものが養われたので(当社比)おもしろいものおもしろくないものを自分のものさしで判断できるようになったわけですが,
そんなに興味ないと,人のものさし(=要は大衆人気)に左右されるし,自分のものさしも「知っているかどうか」というところに色濃く影響されてしまうんです。
まぁそんなものであるから,単純接触効果って大事なんですね。
ほんでぺこぱさんも…初見のときはあまりおもしろさがわからなくて,
一方和牛さんの漫才がその頃もすごい好きでしたので,
「和牛さんの完成度の高い漫才と比べてどの点が優れていたんだろう…」
と純粋な疑問だったのを覚えてます(和牛:652点,ぺこぱ:654点でぺこぱが最終決戦に進出(3位)した)。
2周,3周としていくうちにどんどんハマっていった
…でも何回も何回も見ているうちに
どんどんぺこぱさんの漫才の「新しさ」がわかってきて,気が付いたらすごい好きになっていました。
むしろ,今ではあの1回の漫才を見てぺこぱを支持した審査員の方々を「すごい」と思っています。
では,自分がぺこぱさんを「どういう目で見たか」に忠実に,ちょっと魅力を語っていこうかなと思います。
価値観そのものが,おもしろい
芸人さんのおもしろさ,ネタのおもしろさって,いろんな種類があると思います。
んで僕が最近ハマっている芸人さんは,「物の見方(価値観)がおもしろい(新鮮!)」方々と,「ベタの追求(面白いとわかってるが,やっぱ面白くて笑ってしまう…!)」みたいな方々に大別されるなぁ…と思うわけです。
軽く具体例をあげると…そうだなぁ
例えば前者は例えば,四千頭身さんの漫才のネタなんてその最たる例のように思えますし(なんか目の付け所が不思議ですよね…!)あとAマッソさんのネタとか見て見てほしいな…なんて(すっごく見る側が頭使う漫才です)。
後者だと…有吉の壁で見るシソンヌさんなんかがしっくりくるんじゃないでしょうか。こうへいくんとゴンちゃんやってるとき,じろうさんがわっけわかんない大声出すだけで僕はもう涙でるくらい笑っちゃう。あれはちょっとどう説明していいか僕にはわからないですがとにかく僕はむっちゃくちゃ面白いです
すっごい乱暴な言い方をすると,人間性やワードが求められる分漫才は前者の傾向が強く,役柄や設定が求められる分コントは後者の傾向が強い気がします。まぁ,すっごい乱暴な言い分ですのであまり気にしないでください。
んでぺこぱさんは,僕からすると(もちろん)「物の見方(価値観)がおもしろい」方なんですよね。
まぁ「ツッコまずに肯定する」っていうシステムの改革みたいなのがみんなに抜群にウケたわけですが
まぁちょっと好きなくだり見てみますか
~~~~~~~
(タクシー)
松陰寺(ツッコミ)「運転手さん,新宿駅までお願いします」
シュウペイ(ボケ)「お客さん,新宿駅って何ですか?」
松「いや知らねぇ…
んだったら教えてあげよう!」
(笑い待ち)
松「知識は…水だ。
独占してはいけない。」
(クスクス笑い)
松「どうもありがとう!」
~~~~~~~
いやぁ…もうね,「知識は水だ。独占してはいけない。」が好きすぎるんよ。このフレーズが頭に残りすぎて辛い。こういう見方をしたい,って思う。
多様化とは個性(価値観)重視を意味する
ボケとツッコミという概念が存在する以上,
漫才のセオリーというのは,ある種の漫才師とお客さんが共有する「常識」というものから,ボケがずらして,ツッコミがそれを正す,というところにある。
こうしてボケとツッコミという役割を暗に担った2人の人間が話を揺さぶって揺さぶって,お客さんの頭を揺さぶって笑いをとっていく。
ただしやはり,「みんなが同じものを同じように見る」というのは,今の時代,多様化社会に求められていることではないように思う。
むしろ,「同じものでも,違った見方ができる」というのは,多様化社会において,それ自身が価値だというように我々は気づき始めている。それはその人の個性であり,価値観である。
だから「ワードがおもしろい」「センスがある」「ネタ(脚本)がおもしろい」なんていうのは,どんどん,「常識に捉われない物の見方」「価値観」「世界観」みたいなものになっていっているように思える。
(少なくとも僕自身は,そういうものを見たいと思っている。)
それは,芸人さんひとりひとりの「個性」からくるものであってほしいし,「価値観」からくるものであってほしいし,そういうのが見たくてたまらない。
話を戻そう。
ぺこぱさんの漫才はまずもってとても新しかった。
でも,ただ新しいだけでは面白くない。
なぜ心に刺さったのか?
それは,そこに,これまで漫才で誰も表現しようとしなかったであろう「価値観」が内包されていたからだ。
「常識に捉われなくてもいい」「僕は僕,他人は他人,認め合っていこう」という「価値観」が内包されていたからだ。
これに気づいて僕はとても感動した。
ぺこぱさんがこの漫才に行きつき,この漫才を突き詰め,M-1グランプリの決勝に来て,最高の形で披露してくれたことに,僕は改めて感謝したい。
日めくりカレンダーを捲って
日めくりカレンダーには,ぺこぱさんの漫才の中で披露されている,「価値観たっぷりのフレーズ」が31個収録されている。
今こうしてnoteを執筆している時に手元を見ると,カレンダー越しに松陰寺さんが「知識は水だ,独占してはいけない。」と笑顔で語りかけてくる。
僕は結構自分の価値観に引きずられる人間なので,実はぺこぱさんのフレーズに対してまずもって「馬鹿なこと言ってんなぁ(笑)」って思う。でも,「おもしろいなぁ」「言われてみればそうだなぁ」「そんな捉え方もできるなぁ」と思い,そこに世界が広がっていく。
そこにあるのは,叩かれないと開かない新しい世界観につながるドアである。
それを松陰寺さんは優しく叩いてくれる。
僕はこの日めくりカレンダーを捲るたび,
松陰寺さんの笑顔に癒されながら,
優しさに包まれながら,
まだ見ぬ新しい世界を知ることができる。
こんなにたくさん世界観を切り開けるなら,
1200円,安いではないか。
https://www.amazon.co.jp/dp/4479393412/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_BIbAFbYAQX52A
(回し者ではありません)
価値観は…スポンジだ。たくさん吸収できる。
僕自身,ぺこぱさんに出会う前から,
自分の「凝り固まった価値観を何とかしたいな」と思っていた。
これまで何度も「人に価値観を押し付けて後悔」することがあった。
何度も「相手の価値観を受け入れられず,理解できない」ことがあった。
でも…それを松陰寺さんは優しく受け入れてくれる。
僕はもっと心の広い,価値観の違いを認められる,受け入れられる人間になりたい。
そして,価値観のおもしろさを,もっと感じられる人になりたい。
そう強く思います。
…なんだこれ
収拾がつかないな,時を戻そうか。
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