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「嫌だ」と言うのを我慢したら、もやもやが溜まっていく

私は、人から何か嫌なことを言われたり、それはおかしいだろうと感じたりした時に、その瞬間に相手に言うことがなかなかできませんでした。
今も上手くできません。
なので我慢したり、その場から逃げたりしていました。
でも、それを表現することは、自分のことを守り、自分を大切にすることにもつながるのではないかと思うのです。

ただ、時と場合によってしっかり考えて発言するべきこともあるかもしれませんが、ただただ自分を押し殺して我慢するのではなく、どんなに些細なことでも出しておかないと、自分の中にそれがどんどん溜まってしまいます。
すると、どこかで爆発してひどい時には自分ではもうどうしようもないことになるかもしれません。

私はありがたいことに、すぐ近くにいつも耳に痛い助言を言ってくれる人がいて、その人にも「その場ですぐ言うんだよ」とよく言われます👂

それでもやっぱり上手く言えない時もあって、最近も、”我慢してもやもやが残った”出来事があります。

「あなたまだ結婚しないの?私がその歳の頃はもうとっくに結婚してたわよ」

職場の先輩の結婚式に参加し、その数日後、近くに住む祖母に会った時に、こう言われて、私はその場で何も言い返せずそこを出ました。

家に帰り、母に「こんなことを言われて悲しかったし怒りが湧いた。あんなひどいことを言うおばあちゃんのことはやっぱり嫌いだ。」というようなことを言うと、母に「思ったことはその時その場で言わないとどんどん溜まるよ。」と言われました。

次の日、もやもやがどうしても治らず、仕事帰りのバスのなかで、もう一度祖母の所に行こうと決めました。
祖母に「私はあんなこと言われて悲しかった、もう言わないでほしい。」と伝えましたが、あまり伝わっていなさそうだったので、私はすごい一言を言ったのです。

「ばあちゃんが死んでから私は結婚する!!」

はっきりとこう言い放ち、相手は驚いた顔をしていましたが、そこまで言わないと通じない人なのかなと思いました。

それを言いにわざわざ次の日に出向くより、その時その場で言えれば、もやもやの1日はなかったし、次の日まで引きずらずその場で終わっていたでしょう。

小さい頃の方が嫌なことは嫌と言えていた気がする


赤ちゃんの時や保育園に通っていた時の方が、相手を攻撃するのではなくて自分の表現として、その瞬間に思ったこと・感じたことをポンッと言えていたように思います。
最近気づいたのは、「相手に嫌と言ったら嫌な顔されそうだな」とか、「嫌だけど私が少し我慢すれば済むことだ」と、私の思い込みから勝手に決めつけるようになった部分もあるんじゃないかと。
相手のことはその人にしかわからないし、もちろん自分のことは自分にしかわかりません。

私が嫌だと相手に言えなかった一番最初の記憶は、おそらく小学2年生の時です。
クラスメートのある男の子に、足を踏まれたり、謝れと言われたりしていた時期があります。理由は分からないけれど、ものすごく嫌われていたのか?
はっきり「やめて!」と言えばいいじゃんと今なら思いますが、その時は怖かったので、その男の子がいる所には近づかないようにしていました。
その場から逃げることも一つの方法ですが、自分を大事にするためにも相手に「嫌だ!」と言うことも必要です。

まずは自分が感じたことを言うのが大事

だんだん自分の言いたい事を我慢することを覚え、特に社会人になってからは、そもそも何が嫌かもわからなくなっていた時もありました。本当に好きか嫌いかどうか、どう感じているかもわからなくなってくると、自分を見失います。
私はそんな状態だったと思いますが、いい時もあればよくない時もあり、山あり谷ありで色々な波があって、よくない時は見失いがちなのかもしれません。
そんな風に分からなくなったら、何かするのをやめる、何もしないでいるのもいいと思います。

嫌と言えないなら、まずは感じたこと何でもいいので、例えば「お腹すいた」「暑い」「寒い」「綺麗だな」「今こう思っているんだ」とか言っていれば、「嫌だ」も言えるようになってくるんじゃないかと思います。


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