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小鬼がいなくなった

オカルトな話をしようと思う。

子どもの頃、私が住んでいたある東南アジアの国では、ドワーフという存在が信じられていた。
良い「白いドワーフ」と、悪い「黒いドワーフ」がおり、誤って黒いドワーフを踏むと、呪いがかけられてしまうというのだ。

母が、当時我が家に勤めていたドライバーさんからこの話を聞きつけたのだが、当然ながら最初はからかわれたのかと思ったらしい。
しかしその話を、家で働いていたメイドさんにしたところ、彼女も当たり前のように信じていたという。
さらに聞き込みを進めると、他の日本人宅に勤めているメイドさん、ドライバーさん、英語の先生、そしてお店の店員さんなど、かなり多くの現地の人々の間で信じられていることが分かった。

ある日本人のお宅ではキッチンのモノが無くなったので、奥さんがメイドさんに尋ねたところ、
「マム、それは私じゃないです。ドワーフが持って行ってしまったんです!」
と答えたとか。
奥さんは大変困ったそうな。(笑)

またある時、住み込みのメイドさんが二人いた日本人のお宅で、そのうち一人が泣きながら奥さんに訴えたという。
「もう一人のあのメイドは魔女なんです。呪いの○○が彼女の持ち物にあったんです。怖いので彼女をクビにしてください!」
クビにした方が呪われそうだが、その後どうなったのかまでは覚えていない。


ところ変わって日本についてだが、帰国してからもこの手の話は時々聞く。
どうやら日本には小鬼がいるらしい。

私が昔通っていた高校にはカウンセラーの先生が常駐していたのだが、当時私はカウンセラーを目指していたので、先生の元へは定期的に通って話を聞いていた。
そしてなんと、その先生のお友達に「見える」人がいたのだ。
その人は突然「小鬼がいる」と言って、手で肩を払ってくれたりするとのことだった。
その話を聞いた時、日本には日本のドワーフがいるのだな、と感心したのをよく覚えている。

その「見える」お友達以外にも、小鬼の話は日本に来てから何度か聞いているが、どうやら悪いものではないらしく、座敷童のようなものじゃないかという人もいる。
一時期「小さいおじさん」というものが流行ったが、これも小鬼の一種なのだろうか?

東南アジアにはドワーフ、日本には小鬼、西洋には恐らく小人や妖精、そしてドワーフがいるのかもしれない。
お国が違えばその特徴も違うのか、あるいは我々人間の捉え方が地域によって異なるのか、その両方かもしれない。

いずれにしても、私は姿を見たことはないが、その痕跡らしきものを疑ったことはある。


私が実家で暮らしていた時、自分の部屋のモノが無くなることが時々あった。
具体的には思い出せないのだが、普段は使わないような、割とどうでもよい小さなモノである。
ただし、いざ使いたいとなると無い、という歯痒い状況にしばしばなっていた。
そして最終的に洋服ダンスの中など、信じられないような場所で見つかることがあるので、これはもう間違いなくドワーフ(いや日本なので小鬼?)の仕業だと、家族でよく話していた。(笑)
(飛行機の荷物に乗って、日本までドワーフがついて来てしまった、などという事があるのか?)

それから何年も経ち、大学卒業、就職、転職などのライフイベントを経て一人暮らしをするようになった。
そして一人暮らしにようやく慣れてきた頃、突然気付いた。

自室のモノが消える、ということが全く無くなったのだ。

整理整頓が好きなので、管理が行き届いているというのもあるが、変なところから変なものが出てくる、というあの驚きに遭遇しなくなったのである。

つまるところ、どうやら一人暮らしの私のマンションに、小鬼はいないらしい。
これは喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのか?

ちなみに私は風水が少々好きなので、部屋の中もそれなりに気を付けている。
太陽の日が差す南向きの部屋で、観葉植物を沢山育て、海や遺跡などの写真と絵を沢山飾っている。
掃除もこまめにしている。
逃げ出したくなるような部屋ではないはずだ。(笑)

では実家との違いは一体何なのか?
実家は間違いなく私のマンションの部屋より散らかっているし、神経質な私からすると少々汚い。
しかし人が沢山いて、いつも話し声や笑い声が聞こえる。
「幸せオーラ」という観点では、あちらがbetterだと思う。

とすると「家族」や「人間愛」のエネルギーが小鬼のような不思議な存在を呼ぶのだろうか?
人間の数の差か?

確かに私が小鬼や座敷童だったら、人が沢山いる賑やかなお宅の方が楽しいとは思う。
いくらキレイで清潔な部屋でも、一人暮らしの静かな部屋、ニュースとYouTubeの音しか聞こえてこないような部屋では、住み心地は悪いかもしれない。
あるいはWifiやBluetoothの刺激は魔物には強すぎたか??

なんだか、一人暮らしの私の部屋より間違いなく散らかっているあの実家に、若干負けたような気がしてならないのだが、果たして小鬼が居る方が良いのか、居ない方が良いのか?
ただ、せっかく私のマンションの近くには名のある神社があるので、スピリチュアル好きとしては少々残念ではある。

そもそも彼らは本当に存在しているのか。
人々の気休めの迷信か、怖れが生んだ幻想か?

あるいは、単に私が殺伐とした都会の一人暮らしに、疲れを癒すファンタジーを求めているだけなのか。

いずれにしても、
妄想は終わることを知らないようだ。

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