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常識=正しいこと、とは限らない

思わず笑いがでてしまった通りがかりの横幕には「髪型自由!」とのキャチコピーで少年野球の部員大募集の文字が!!
野球といえば「坊主頭」が常識じゃなかった?と思う方もいらっしゃいませんか?私達がそれぞれに持っている「常識」ですが、必ずしも「正しい」こととは限らないんですよね。今回は「常識=正しいこととは限らない」について綴ってまいります。

常識は、正しいと信じていること

私自身が野球好きで高校生の頃は夏は甲子園、冬はよく県内のキャンプ場にプロ野球の練習観戦などに行っておりました。プロとなると関係ありませんが、甲子園で球児が整列し一斉に帽子をとるとキラリと光るような坊主頭が並ぶ風景はあたり前でしたし、坊主頭の同級生はほぼ野球部。「野球部=坊主頭」は常識だったはずです。また沖縄では「中学生で髪の毛が肩についている女子=琉球舞踊を習っているから伸ばしていい」が常識でした。

例えば、私がこどもの頃は学校帰りの道中で人にあったらこちらから挨拶をするというのが常識でした。が、今では、知らない人に声をかけられたら迷わず「逃げる」と教えられることも。最近でいうと「外出時はもちろん人と会う時のマスク着用」がありますよね?以前は、それって常識ではなかったと思いませんか?

では、常識とは

常識(じょうしき)は、社会を構成する上で当たり前のものとなっている、社会的な価値観、知識、判断力のこと

「社会的な」とは、それがすべてを包括しているというよりは、むしろその住んでいる地域、属する組織やコミュニティといった大小ある種限られた中で大事にしている、又は信じている価値観や考えのことです。そのためある「常識」が、他では違うこともあるのです。

例えば、伝統的なイスラム教では男子と女子が教室で顔を合わせたり一緒に学ばせないことが常識だったり、パキスタンの保守的な村ではこどもに教育をするよりも働かせることが常識だったり。国や地域によっては、またその時代や環境によって常識とは変わるものなの。つまりは

「常識」=「正しいこと」とは限らない、と同時に
「常識」とは、単にその人が信じているものに過ぎないのです。
そのため「常識」には「良い」「悪い」と判断するべきものではなく、少なくともその人にとって「正しい」と思えることでしかないのです。

常識を疑う

そうなると「常識」と思っていたことが、全く違っている可能性もあります。少なくともその人にとっては「正しい」としても、場所、時代や環境が変わるとそれは常識では場合もあります。

また一方で、常識はその限られた中での社会規範上やルールという点では重要視すべきことは多いです。

「郷に入りては郷に従え」

という言葉があるように、

その土地や環境に入ったならば、そこでの習慣ややり方に従うのが賢い生き方である


常識がそれぞれに「違う」と受け入れることができれば問題ありませんが、その常識が違うことでのトラブルが人間関係では特に多いものです。またその常識のせいで、自分の身動きが取れなくなってしまうのはもっともなことです。そういう常識は一度手放してみることおすすめします。

「常識を疑え」

という言葉もよく耳にしますよね。あなたが持っている常識にはどんなものがあるでしょう?職場内にはどんな常識がありそうですか?今一度、その「常識」が自分の身動きを制限しているものではないか、またそれによるトラブルになっていないか、点検してみることもオススメいたします。

ちなみに、我が息子は少年野球に始まり、今は中学野球を絶賛エンジョイ中ですが「丸刈りにするなら野球を辞める!」と宣言しています。「丸刈りにすることで野球は上手くも試合に勝つことはない」とも。また次女は、「中学生になったら制服でスカートを履くのがイヤだと」。時代が変化し常識が変わっていて生きやすくなっているものだな〜とも感じるこの頃です。

自分自身の常識チェック!ぜひやってみてくださいね。

お一人で常識チェックができない方は個別セッションをオススメします。
こちらから。

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