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ありのままを受け入れる

私の父はいつも穏やかで物静かに見守っている、とても優しくてカッコいい自慢の父です。本当に器が広くて「待つ」とか「ゆだねる」とか、何よりも「ありのままを受け入れる」を常に体現しているなあと。今年2021年3月に78歳になった私の父がパーキンソン病と診断されてから8年が経ちます。そんな父の「ありのままを受け入れる」について綴ってまいります。

父のこと

理学療法士という職名が一般的でなかったころから、肢体不自由児施設の理学療法士としてこども達をはじめ、中途で四肢に麻痺や障がいがある方の機能訓練を行っていました。私も小さい頃からその職場によく出入りし、父親がこども達に向き合う姿をよくみていたものです。

訓練室にはマットや手すり、大きなボールや様々な器具があり、その中でこども達に優しく言葉をかけながら表情や動きをじっくり見ながら訓練していました。また通院で連れてくる保護者にもしっかり寄り添って、声をかけている様子を今でも鮮明に思い出すことができます。私が福祉を志し今の関わり方の原点は、まさに父親から相当に影響を受けています。

父にとって「待つこと」「ありのままを受け入れる」、働きかけた後に「ゆだねる」はもはや職業病的というものでしょうか。相手を急かしたり、自分のコントロールの領域にするのはあり得ない行為だったのでしょう。

趣味は自然の生き物の鑑賞や手入れで、庭には年中バラをはじめ四季折々が咲き、野鳥のためにせっせと高級パンくずをばらまいては待ち、その囀りを楽しんだり、ただ静かにそれらを眺めている。もはや仏のような存在です。

それは父の子育てにも、全く同じ用に反映されてました。私は父に何かを強いられたこともなければ、夜遊びしても怒られたこともありません。ただただ話を聞いてくれ、待っていて、見守ってくれていたので、逆に父を悲しませてはいけないなとブレーキになっていました。一応、理想の子育てです。なかなか追いついてませんが:笑。

パーキンソン病

そんな父も60歳で定年退職し、その後も様々な施設などで訓練士としてボランティア活動や畑仕事に精を出しており、まだまだこれからかな、という頃に発症したのがパーキンソン病です。

パーキンソン病という病名を聞いたことはあるでしょうか?

パーキンソン病は、手足の震えや筋肉のこわばりなど、運動機能に障害が現れる病気です。50~65歳で発症することが多く、高齢になるほど発病する確率が高まるといわれています。
実際の症状としては、手足の震えです。安静にしている時にも勝手に手足が震え止めようとしてもおさまりません。その手足の筋肉が硬くこわばるので、スムーズな動きが難しくなります。身体のバランスを保つことが難しくなり、転びやすくなります。歩行が小刻みになったり、いったん歩きだすとスピードが速くなったり、方向転換ができなくなったりとコントロールが難しくなります。また日常動作が遅くなり、自発的な行動が少なくなり、筋力も低下するという悪循環に陥る可能性があります。初期の頃は身の回りのことは行なえますが、症状が進行するにつれ排泄や着替えなどの日常生活に必要なことが自分でできなくなり介護が必要になります。

父もゆるやかですが症状は進み、筋力低下がどんどん加速し、最近は認知症も重なってきています。

ありのままを受け入れる

パーキンソン病と診断された時、私が付き添っていましたが、驚く様子もなく相変わらずの表情で医者の話を聞いていました。もともと医者嫌いな上、自分の身体は自分が一番よく理解していると思い込んでいましたので:笑、検査に連れて行くまでもなかなか苦戦しましたが。

帰りの車の中で、淡々と自分の身体の機能がこれからどのように低下していくのかということを話をしてくれました。まるで自分ではない誰かの病気のことのように。こちらの心配はよそに、自分の身体がどんどんコントロールが効かなくなることをただ淡々と。

「こうなることは仕方ないことだから。怖くも悲しくもない。こうなることを受け入れるだけだよ」

と。その言葉どおり、進行し身体のコントロールがより効かなくなり、認知機能も低下していますが、そうでない時に弱音を吐いたり、愚痴をこぼしたり、痛いと声を出すことはほぼありません。痛い時には痛みをゆっくり受け入れているようです。「痛みは?」と聞いた時に、「それは痛いよ」と返ってはきますが。ありのままをただ受け入れる父の姿。ありのままを受け入れる。また綴っていこうと思います。

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