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子育てしていて泣きたいことばかりだったのに夫の前で泣けなかった

毒親に育てられた夫と暮らす妻
幸せパンダです。

子育ても半分が過ぎました、振り返れば
こどものことはまったくわからない
状態から手探りではじまった
子育て、上の子は特に夜泣きが
ひどく睡眠に悩まされました。

赤ちゃんの頃は常に抱っこをして
いないと泣いて後が大変なので
膝に抱きながら食事をするのです
が、それだと食べることが
できなくて、夫が抱っこをしても
嫌がるし交代ができないというのは
辛いことでした。

1つ1つはなんでもないことでも
小さな事が積み重なると
大きなストレスになります。

なんでやってくれないの?
もうちょっと休憩したいのに
1人で寝ていたい!

自分の欲望をあげればきりが
ありません。

そんなことで泣くなんて
母親としてだめだとか
自分で決めつけていたの
かもしれません。

夫も仕事のことで大変な
ことが多々ありました。

それでも両親のように
特に父親のようにはなるまい
と一般の男性よりも十分
に子育てや家事を手伝って
くれました。

それでも私の心は満たされ
ませんでした。
夫が家事や育児を手伝ってくれれば
くれるほど、自分はなにもできない
妻だと情けなくなるのです。

今考えるとあの時、私が
したかったのは、こどもを
みてもらってゆっくり
家事をしたり1人でこども
をみるときにどれだけ
小さな工夫がいることを
夫にわかってもらいたかった。
1人の時間が必要と私は私の
ことをわかっていませんでした。

夫が仕事は大変だ、営業は
世界一しんどい仕事だと
いい、私は狭い立場に追い込ま
れていました。

夫の仕事の辛さをわかろうと
もせず、子育ての辛さを
わかってもらうなどできな
かったのです。

よくこどもが小さい時期は
大変だけど今だけだからと
いう言葉を聞きますが
その言葉は私には慰めには
なりませんでした。

もしあの時の自分に声を
かけるなら、自分をもっと
大切にしたほうがいいと
声掛けすると思います。
その為にどうすればいいのか
考えて誰かに相談して
助けを求めて、自分を助けて
あげてと伝える思います。

考えることをしなかったり
誰かに助けを求めることを
しなかったのは、自分の性格
をわかっていなかったり
みんな大変なんだから、
自分だけが辛いわけじゃないと
助けを求めることがいけない
と自分に暗示をかけていたの
かもしれません。
助けを求める勇気をもてて
いなかったのかもしれません。

助けを求めることは勇気が
いります。
助けを求めることができたら
自分を救うことができる
第一歩でとても大事な事
ではないかと思います。

そんな反省を踏まえて
最近子育てのことで夫の
前で泣いたことがあります。

それは4月から通いはじめた
こどもの塾のことで、半年間
いろいろ夫と話をしてきました
が、ある日の休日にこどもが
7時間かけても宿題が終わらず
私は我慢の限界がきて、塾を
変えたいと夫に泣きつきました。

朝の8時から休憩をしながら
ご飯やおやつを食べさせながら
3時になっても終わらず、
こどもは頑張っている、塾も
楽しいといっていましたが
こんなことがこれからも続く
と思ったらたまったものでは
ありません。

こどものレベルにあったところ
ではなかったのだと私は早々に
あきらめました。
なぜならば勉強を教えるのが
嫌で塾に通わせたのに、更に
勉強を教えなければならない
状態になり付きっきりになって
まるであかちゃんの頃と変わら
ないと思ったからです。
私の中で育児はトラウマなのです。

週末はみてくれるといった
宿題も夫はみてくれず、疲れて
いたり仕事が大変そうなので
私は自分の仕事としてこども
に勉強を教えていました。

それでも心は悲鳴をあげて
いたのです。

夫は他の塾を探そうといって
くれたり、塾の宿題はすべて
自分がみるといってくれました。

ネットで調べると他にいっても
塾の宿題は多いのが当たり前らしい、
こどもは塾を変えたくないと
いっているなど検討をしてくれて
いました。
それを聞いて私はただ自分が
ヒステリックになっている
母親になっているのかなと
思い、自分の好きな時間を
過ごしたり、こどもの宿題
をみることを一旦やめました。

宿題をしなくて困るのは
こどもであって自分ではない
のです。

本来なら私がするべきことなの
だと前までの自分なら思って
いたのかもしれません。

私は探すとか調べる事が苦手
です。
そもそも塾に行かせたいといった
のは夫なので、それならば
協力するという気持ちはあった
ので頑張っていましたが
もうお手上げでした。

泣いたことで夫が行動をして
くれたのなら意味があった
ことだし、私は本当の気持ちを
いうと涙がでてしまうという
性格なのです。
昔は夫に泣いても無駄だと
いわれたこともありました
が、泣きたくて泣いている
のではなくそういう性質
なのだと説明したことも
ありましたが、わかってく
れてはいないと思います。

こどもも塾を変わりたく
なくて前よりは宿題にとり
組む姿勢が変わりました。

自分は集中力がないのだと
いうのですが、そうでは
なくて苦手意識があり、
問題を見ただけでやる気が
なくなっているので
そこを乗り越えるように
やり方を見直しています。

こうして大きくなっても
子育てで悩むことは多々
あります。

どれだけ夫が寄り添って
くれるか、こうすれば
いいだろうという押しつけ
をせずにいろいろやって
みて2人で子育てをして
いけば夫婦の未来を
想像して仲良く歩いて
いくことができると思います。

私達の場合は夫の仕事の
過度のストレスと頼る
ことをしなかった私の気持ち
が2人の間に溝を作って
いたのだと思います。

夫は溝なんて感じていなかった
のかもしれませんが、仕事が
1番大変と言われると壁や
溝を感じることをわかって
ほしいと思います。

熟年離婚はさまざまな原因が
あると思いますが、お互い
寄り添う心をどこかに
おいてきてしまうことも
1つの原因ではないかと
思います。

自分に余裕がなくなって
寄り添うこともできなく
なったら、自分と向き合って
今何がしたいのか自分に聞いて
元気になる方法を探します。

自分の心の声を無視しつづけて
いたら歯車があわなくなる
事を知らなかった。

あの頃は頑張っていたな
今日も頑張ったなと
自分を褒めて労う時間を
持とうと思います。






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