不登校のまま、夏休みへ突入

わたしの中1息子は、クリエイティブなアイデアやオリジナルな価値観を持っているため、既存の学校教育システムに合わない不登校児。

母のわたしは「学校に行かない」という選択肢があっても良いと考えていますが、わたしの夫は「無理やりでも学校に行かせるべき」という考え。

息子の不登校という状況にではなく、夫婦間の正義や価値観のちがいに悩んでいます。

このnoteには、長男が不登校に至るまでの過程を、時系列で備忘録的に投稿しています。いつか誰かのお役に立てるとうれしいです。

不登校のきっかけ

小6の長男が、学校の担任の先生からの言葉に傷つき、休み時間に学校を脱走し、泣きながら帰宅してきたのが、7月中旬。

わたしは、本人と学校に事実関係を確認した上で、校長室に抗議に行きました。

その結果、学校側は「100%学校が悪かった」と学校の非を認め、校長からも担任からも、真摯な謝罪を受けました。副校長は、自宅まで謝罪にきました。


夏休みが始まった

夏休み中には、わたしは、何度か学校側に出向いたり、電話をしたりして、学校に対する不信感や、学校に対する素朴な疑問、長男への教育方針など、たくさんのことを、校長・副校長と話しました。

「社会人として、一人の人間として、言ってはならないことを言う先生には、子どもを安心して預けられません。本人が希望しない限り、もう学校には行かせず家で勉強させます。」

「スクールカウンセラーに伝えた内容を、担任が伝えたらいけない相手に伝えるなんて、この学校のスクールカウンセラー制度は信用できません。わたしはもう、もう二度と利用しません。」

さらに、別件について、保護者の意見として伝えたことがあります。

5年生の3学期は、最初から最後まで担任がずっと不在のままだった結果、子どもたちに不安が広がり、次第にクラスが崩壊し荒れていったんです。

「先生が体調不良で学校に来れないことは、子どもたちだって話せば理解できます。副校長先生の代読でも良いから、担任の先生からの手紙やメッセージのひとつでもあると良かったです。」

「子どもたちは、担任の先生に見捨てられたと傷つきましたよ。学校に来れなくてもできる、コミュニケ―ションってありますよね?子どもたちがそういう学びができるチャンスでしたよね。」

どうやったら良い学校になるか?
どういう学校を親として求めているのか?

今まではわが子の行き渋りや授業中の徘徊などの行動のため、学校に遠慮してなかなか言えなかったことを、すべて吐き出しました。

校長も副校長も、「話してくれてありがとうございます」と、真摯に聞き入れてくれました。

その上で、「学校としては、●●君には何とかして学校に来てほしいです。」と、言われました。

「●●君が自分から学校に来たくなるような環境を整えますから、来てほしいです。」

その年は行事も保護者会も、すべてなくなったので、先生と顔を合わせる機会もありませんでした。

わざわざ電話をかけて言うほどのことでもないような、ちょっとしたことを話す機会がなくなっちゃったんですよね。

でも、そんなちょっとした違和感を伝えるのって、大切なんだなぁと思いました。行事がなくなった影響で、そういった機会がなくなってしまったのは非常に残念なことです。

校長室へ登校

はたして、2学期から学校の方針が変わり、私の息子は校長室に登校するようになりました。

毎朝、自分からすすんで学校へ行きました。

授業は受けずに、先生のお手伝い(工作、ミシン、米作りetc)や好きなこと(わら細工などのモノ作り)、読書をして過ごしています。

図工や音楽など、受けたい授業は、クラスの友達と一緒に受けるようになりました。

それでも、自分のクラスには決して立ち入ることはなく、給食は校長室で食べていました。

校長先生の采配は大きい

校長先生が、理解のあるかただったのが、ありがたいことでした。

「申し訳ないですが、今の教育システムでは、●●くんの良いところを伸ばすのが難しいから、校長室で過ごしてもらいます。」

「授業は、受けたくなければ、受けなくて良いです。学校は、机に座って勉強するだけのところではありません。」

「読書をしたければ、家から読みたい本を持ってきても良いです。図書室の本も、通常は一人3冊までだけど、●●君はルールを守れるから10冊まで、わたしが認めます。」

「●●君は、工作の才能がずば抜けているから、作りたいものがあれば、作っていいです。良いところは、とことん伸ばしてあげたいです。制作活動は、他の児童にも良い刺激になります。」

「校長室では、同じように自分のクラスで過ごせない下級生たちのめんどうをしっかりみてくれていて、わたしもとても助かっています。」

「来客のため、校長室を出てもらわないといけないときは、●●君は、いち早く察して、校長室から出て行ってくれます。」

学校との対話で得たもの

息子にとっての学校は、1学期までは嫌で嫌で仕方のない場所だったのですが、2学期からはガラリと変わりました。

担任の先生との件がきっかけで「もう学校に行かない」となったのわけですが、息子の個性に目を向けて伸ばしてあげようと、環境を整えてくれた学校には、心から感謝しています。

夏休みの間に、学校に何度も電話したり出向いたりと、とことん対話をしたのはとてもエネルギーの要ることでした。でも結果的に息子の学校生活を変えることができたので、大切なプロセスだったのだと後になって気づきました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?