週1の特別支援教室が良かった
わたしの息子は、クリエイティブなアイデアやオリジナルな価値観を持っているため、既存の学校教育システムに合わない中学生。
本人の良さをあるがままに伸ばしてあげたいけれど、私の夫は不登校をまったく受け入れません。不登校という状況そのものよりも、夫婦間の考えかたが真逆であることに苦労しています。
このnoteには、長男が不登校に至るまでの過程を、時系列で備忘録的に投稿しています。いつか誰かのお役に立てるとうれしいです。
中学に入学して間もなく、学校に行き渋るようになった息子。
理由は、
「授業がつまらないから」
「先生の態度が威圧的だから」
「制服を着るのがいやだから」など。
まあ、一般的な公立中学校って、大人が決めた校則やルールがやたらとあるし、中学生にとって不条理なことだらけだろうから、閉塞感を感じるのは理解できますけどね。
さて、息子が行き渋るようになってからは、夫が息子と一緒に学校に行くようになりました。「学校に一緒に行く」というよりは、「学校に連行する」と書く方が本人のイメージに近かったと思います。
さらに1学期の終わりごろに、担任の先生にすすめられて、特別支援教室への入室を申請することになりました。
特別支援教室とは、発達障がいやその他の情緒的課題のため、学校生活にうまく適応できない児童・生徒が対象の学級です。決まった曜日・時間に、専門の先生が巡回して指導してくれる教室です。
つまり、発達障害が認められたということです。息子は個性豊かなデコボコ人間。専門機関で発達障害と言われたのは初めてでしたが、わたしは疑問も違和感も感じませんでした。
特別支援教室の授業の時には、自分のクラスとはちがう教室に行き、巡回指導員の先生から指導を受けます。指導といっても、1対1でじっくり話を聞いてもらえる場。
生徒自身が他校に出向くことなく、専門の先生が来てくれるというシステムはありがたいと思います。私たちの住む区では、以前は児童や生徒自身が通級するシステムだったそうです。
どんなことをやるのかは、個人によってその日によってさまざまですが、知的パズルに取り組んだり、友達と一緒に意見を出し合いながら工作やゲームをしたりと、通常の学級とはまったくちがう活動をしていました。
わたしの息子は趣味が多いので、話すネタには困らないタイプ。そして巡回指導の先生がたから、興味をもって話を聞いてもらえる場なので、安心して居心地よく過ごしているようでした。
息子は、特別支援教室の先生や同様に通うお友達と仲良くなって、この教室がある月曜日だけは、学校に行くのを楽しみにしていました。。学校に行くモチベーションが上がるのは、親としてもありがたいことでした。
ちなみに、特別支援教室に入室するには、ハードルがやや高いと感じました。
まずは担任の先生と校長先生に「入室が必要」と認められた上で、WISC(ウィスク)という知能検査を受けます。
「特別支援が妥当だ」という検査結果が出たら、次は担任の先生が書類を作って教育委員会へ出向き、プレゼンのようなものをするそうです。
そこで認められたら、晴れて入室ができるという流れです。
こんな大変なプロセスを経る必要があるんだったら、入室したら良い生徒だったとしても、担任の先生によっては入室をすすめないかもしれないですね。
だって担任の先生は、通常の授業の準備から保護者対応、そして部活の指導まで、大忙しですもんね。
幸いにも、わたしの息子の担任は、前向きに手続きを進めてくれる先生でした。
通常の授業時には、あいかわらず積極的に授業を受けることなく、読みたい本を読んで過ごすというスタイル。
どんな本を読んでいるかというと、とにかく多岐にわたるジャンルです。
・釣り関連の本(テクニック本から和竿作りの本、魚の本 etc)
・電動工具
・ネジ
・麻雀
・起業や経営
・『金持ち父さん、貧乏父さん』シリーズ
・ハリーポッターシリーズ
家でもまあいろんな本を読んでますが、ほんとうに特殊な中学生だと思います(笑)
それでも、学級の中で自分らしさを少しずつ表現できるようになっていき、仲の良い友達も増えていきました。
11月には野球部に入りました。実は本人は野球部にずっと入りたかったそうです。
でも、「部活をやるなら、勉強や生活のこともちゃんとやりなさい」って、お決まりの文句が待っているにちがいない、だったら面倒くさいから入るのやめとこうと、入らずにいたそうです。
息子は小学生の時には学童野球チームで野球をやっていたし、卒団後も弟が所属するチームでOBコーチとして毎週末活動しているほど、野球が大好きな人。
野球部に入っている同級生からの熱心なお誘いを受け、ついに入部しました。
入ってみればやっぱり楽しそう。部活がある日は嬉々として学校に行くようになりました。
特別支援教室に入り、部活に入り、少しずつ一般的な中学生らしくなったように見えていました。
でも本人の中には、「学校に行きたくないのに、父に無理やり行かされている」という不満が大きくなっていきました。
母のわたしには相変わらず、「学校に行きたくない」を連発していました。
そんなこんなで、ほとんど学校を休むことなく、2学期をやり過ごすことができました。
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