見出し画像

発言が苦手な理由

ちょうど、夏至の前日に
自分が発言することが苦手な理由がわかった。

それまで、色々ありすぎて、
気持ち的にはザワついていて、
しかも、落ち込み気味だった。

その日、いつものように仕事をしていたのだけど、
あることで、同僚に先を越されてしまった
ことが判明した。
正直、ビックリした。

それと同時に、上司は彼女が
ますます可愛いだろうなと嫉妬心がでてきた。
消極的に仕事するより、
積極的にこなす人の方がいいに決まっている。
そんなの私の思い込みかも知れないけど。

だからといって、
仕事がやりづらくなるとか
そういうことはなかった。
ありようもないのだけど……。

私自身の嫉妬心と
劣等感を感じて
とても辛かった。
いくらでも、自己否定できた。
ネガティブな感情ばかりが出てくる。

一先ず、このままでは
辛すぎるので
ノートにダーッと書いておく。

ついでに、
数日前に天国へ帰った
知人の猫ちゃんのことも書く。

知人から亡くなったと
メッセージをもらったとき
すぐに返事が書けなかった。
ただただ、悲しくてワーワー泣いた。

また、ここでも数秘が出てくるんだけど

「9」の人は
優しくて慈悲深い。
だから、こういう時に
知人に優しい言葉をかけてあげられるはず
そんな風に自分にプレッシャーをかけ
追い詰めてしまっていた。

数年前に、別の知人の愛犬を
看取ったことがある。
2,3ヵ月の間、通院に付き添い
知人もワンちゃんも
励まし続けた。
まだ、若かったから
ガンが見つかってから
あっという間に
天国へ帰ってしまった。

その時も、優しい言葉をかけられなかった。
……と思っている。
それよりも、その時は、
自分の本音が言えないことが辛かった。
私は、西洋医学を全否定しているわけではないけど、
薬に頼りすぎているように見えた。
どんどん、薬が増え、点滴に通い、そしてどんどん悪化していく。
負の連鎖をみているようだった。
私は、何もしてあげられなかったと
今でも後悔している。

そんなことを考えているうちに
ふと気がついた。

私は、昔から自分の意見を言うのが苦手だった。
子どものころに
発言したり自己主張をすると
先生や親に怒られた。
そういう記憶しかない。

保育園児のころから、
いじめられっ子だった。
年長さんになってからかな。
お昼休みに遊戯室で遊んでいたときに
男の子が意地悪をして
私を体操マットの間に閉じ込めたまま
お昼休みが終わって
みんな教室に帰っていった。
しばらくすると、先生が来て
体操マットの間から出してくれたけど
私が勝手に入ったと
酷く叱られた。

あの時、私が学んだのは
本当のことは言っちゃいけない
ということ。
小学生になってからも
それを証明するようなことが起きた。
先生に体調不良を訴えても
取り合ってもらえないどころか
やっぱり叱られた。

だから、目立たないように
自分の感情さえも
表に出ないように抑え込んでいた。
嫌なことがあった時は
その場では、笑って誤魔化し
あとで、こっそりと泣いていた。

どこかに書いたかもしれないけど、
つい数年前まで
私には、「怒り」の感情が
どういうものかわからなかった。

怒っている人をみて
かわいそうだなと思っていた。

今は、素直に怒ります(笑)

それで、大人になってからも
自分の意見を言うことは
苦手だったけど、幸い仕事では
自主性を求められることが多かったから
自己主張する前に行動できたので
そんなに困ることはなかった。

だけど、SNSが流行り始め、
最初は、mixiだったけど、
日記を書いたり、
コメントを書いたりというのが
すごく苦手だった。

特にコメントは、
レスポンスが早い方がいいから、
すぐに返すというのは
本当にできなくて
数時間も考え続け、
結局コメントしないってこともあった。

仕事では、
ある意味答えは決まっているし
個人の意見を入れなくてもいいので
メールでもなんでも
すぐに返せる。

自分自身の言葉を発するのが苦手なんだ。

なんで苦手なんだろう。

おもしろいことをいわなくちゃ とか
優しい言葉をかけなくちゃ とか
美しい言葉遣いがいい とか
意味不明になっていないか? とか
ちゃんと相手に伝わるかな とか

etc……。

色々あるけど、
夏至の前の晩に気付いてしまった。

自分の言葉が相手を傷つけるかもしれないという恐れ。

これだ。

私は、自分で言うのもなんだが
優しい方だと思う。
(数秘「9」が多いから)
誰に対しても
子どもでも、大人でも
犬や猫に対しても。

だからといって
常に優しい人にみられたいということではない。

相手を傷つけるかもしれないというのが怖いのだ。
優しくできない自分には価値がないし、
ましてや、相手を傷つけるなんて
あってはならないこと。

でも実際に、自分の発した言葉が
相手を傷つけてしまったという経験が
あるわけでもない。

だから、私の幻想なのかもしれない。

だけど、このことに気付いた瞬間に
私の中で、緊張していたものが
溶けていったような気がした。

私は誰も傷つけてはいなかった。

自分が持って生まれた「9」を
生きることが
どういうことか、わからなすぎて
辛かった。

優しさは、「9」を持つ人の
デフォルトだから

これからは、
「9」である自分を表現することを
許可しようと思う。

偽善者だと思われたって、
誰も同意してくれなくったって
いいじゃないか。

私の世界を信頼して生きよう♪

2022年6月20~22日の日記より
(記事作成 2022年8月3日)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?