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素直な心で自分の最善を尽す

松下幸之助 一日一話
12月 1日 自分の最善を尽す

太閤秀吉という人は、ぞうり取りになれば日本一のぞうり取りになったし、炭番になれば最高の能率を上げる炭番になった。そして馬回り役になったら、自分の月給をさいてニンジンを買い、馬にやったという。このため嫁さんが逃げてしまったということだが、そこに秀吉の偉大さがある。馬番になったが「オレはこんな仕事はいやだ」などと言わずに、日本一の馬番になろうと努力した。

つまり、いかなる環境にあっても、自分の最善を尽し、一日一日を充実させ、それを積み重ねていく。それが役に立つ人間であり、そのようなことが人を成功に導いていく道だと思うのである。

https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/founders-quotes.html より

松下翁は秀吉の姿から、いかなる環境にあっても自分の最善を尽くし、充実した日々を積み重ねていくことが大切であると仰っていますが、同様に、役不足だと思えるような仕事でもやる以上は精魂込めてその道を極め、プロフェッショナルになるような覚悟でやることで、雑用のような仕事からでも経営や政治の要諦がつかめるようになるとして以下のように述べています。

 太閤秀吉という人がどんな人やったか知らないけれども、講談や小説で聞くかぎりでは、彼は最初、信長の草履取りだった。草履取りというのは、あんまり身分の高い仕事と違う。どっちかと言えば、軽輩の仕事やな。しかし彼はその軽輩の仕事と思われるような最も低い仕事を、きわめて大切にやった。全身全霊をぶつけてやった。

 それでしまいには、履くときに草履が冷たいから、ぬくめてあげたほうがいいだろうということで、懐に入れた。そして信長が出てくるときに懐から出してそろえたわけや。信長は草履を履いた。するとぬくいから、尻に敷いておったんや、けしからんと思って怒った。ところが秀吉は、怒られでも文句を言わない。それからも終始一貫やっていくうちに、信長のほうもわかってきた。尻に敷いてぬくめてけしからんやつだと思ったが、違うと。あれは懐でぬくめているのや、えらい誠意のある男やなとなって、結局それが信長に通じたわけや。そんなことから信長はだんだんと秀吉を重要視するようになって、しまいには己の片腕と頼みにしたわけやな。

 だから、どんな仕事でも、単純な仕事でも、真心をこめてやらないと具合が悪い。そこからいろいろなものが生まれてくるわけや。掃除の仕方でも、やっているうちに、こういう掃除の仕方があるということがわかってくる。植木のあいだを掃除していても、こういうふうにしたほうがもっと早くきれいになる、木のためにもなると気づく。そんなことまで考えるような人は、しまいには植木の職人になるかもわからん。そうすると、植木屋になっても非常にいい仕事ができる。君が植木屋になるわけやないけれども、どんなにつまらんと思う仕事でも、やる以上は精神をこめてやらなければいけない。…

 なぜ政経塾で掃除というものをさせるかというと、掃除から政治はいかにあるべきかということまで発想できるからや。それで掃除も大事やというふうに考えている。諸君は他の何についてもそういう見方をしないと、非常に浅くなってくる。深いものを汲み取ることができないわけや。だから、掃除をしていても、政治の真髄をつかめる人と、単なる掃除で終わってしまう人と、十年のあいだに格段の差ができるわけや。
(松下幸之助著「リーダーになる人に知っておいてほしいこと」より)

上記の松下翁のお話と同様のことを、渋沢栄一翁は「論語と算盤」にて以下のように述べています。

 青年のうちには、大いに仕事したいが頼みに行く人がないとか、援(ひい)てくれる人がないとか、見てくれる人がないとか嘆つ者がある。なるほど如何なる俊傑でも、その才気胆略(さいきたんりゃく)を見出す先輩なり世間なりがなかったなら、その手腕を施すによしないことだ。そこで有力な先輩に知己を持つとか、親類に有力な人があるとかいう青年は、その器量を認められる機会が多いから、比較的僥倖(ぎょうこう)かもしれぬけれども、それは普通以下の人の話で、もしその人に手腕があり、優れたる頭脳があれば、仮令(たとい)早くから有力な知己親類がなくても、世間が閑却してはいない。由来現今の世の中には人が多い。官途にも会社にも乃至銀行にも、頗る人が余ってるくらいだ。しかし先輩がこれならといって安心して任せられる人物は少ない。だから、どこでも優良なる人物なら、いくらでも欲しがっている。かくお膳立てをして待ってるのだが、これを食べるか否かは箸を取る人の如何にあるので、御馳走の献立をした上に、それを養ってやるほど先輩や世の中というものは暇でない。かの木下藤吉郎は匹夫から起こって、関白という大きな御馳走を食べた。けれど彼は信長に養って貰ったのではない。自分で箸を取って食べたのである。何か一と仕事しようとする者は、自分で箸を取らなければ駄目である。 

 誰が仕事を与えるにしても、経験のない若い人に、初めから重い仕事を授けるものではない。藤吉郎の大人物をもってしても、初めて信長に仕えた時は、草履取というつまらぬ仕事をさせられた。乃公(おれ)は高等の教育を受けたのに、小僧同様に算盤を弾かせたり、帳面をつけさせたりするのは馬鹿馬鹿しい。先輩なんていうものは人物経済を知らぬものだなどと、不平をいう人もあるが、これは頗る尤もでない、なるほど一廉の人物につまらぬ仕事をさせるのは、人物経済上からみてすこぶる不利益の話だが、先輩がこの不利益をあえてする意思には、そこに大なる理由がある。決して馬鹿にした仕向けではない。その理由は暫く先輩の意中に任せて、青年はただその与えられた仕事を専念にやって往かなければならぬ。

 その与えられた仕事に不平を鳴らして、往ってしまう人は勿論駄目だが、つまらぬ仕事だと軽蔑して、力を入れぬ人もまた駄目だおよそどんな些細な仕事でも、それは大きな仕事の一小部分で、これが満足にできなければ、遂に結末がつかぬことになる。時計の小さい針や、小さい輪が怠けて働かなかったら、大きな針が止まらなければならぬように、何百万円の銀行でも、厘銭の計算が違うと、その日の帳尻がつかぬものだ。若い中には気が大きくて、小さいことを見ると、何のこれしきなと軽蔑する癖があるが、それがその時限りで済むものならまだしも、後日の大問題を惹起することがないとも限られぬ。よし後日の大問題にならぬまでも、小事を粗末にするような粗大な人では、所詮大事を成功させることはできない。水戸の光圀公が壁書の中に「小なることは分別せよ、大なることは驚くべからず」と認めておかれたが、独り商業といわず軍略といわず、何事にもこの考えでなくてはならぬ。

 古語に「千里の道も跬歩(きほ)よりす」といってある。仮令(たとい)自分はモット大きなことをする人間だと自信していても、その大きなことは片々たる小さなことの集積したものであるから、どんな場合をも軽蔑することなく、勤勉に忠実に誠意を籠めてその一事を完全にし遂げようとしなければならぬ。秀吉が信長から重用された経験も正にこれであった。草履取の仕事を大切に勤め、一部の兵を托された時は、一部将の任を完全にしていたから、そこに信長が感心して、遂に破格の抜擢を受け、柴田や丹羽と肩を並べる身分になったのである。ゆえに受付なり帳付なり、与えられた仕事にその時の全生命をかけて真面目にやり得ぬ者は、いわゆる功名利達の運を開くことはできない。
(渋沢栄一著「論語と算盤」より)

これらの松下翁や渋沢翁のお話から、私はトヨタの張富士夫さん(元トヨタ自動車株式会社名誉会長)のお話が頭を過ります。東大卒業後にトヨタに入社した張さんに当時与えられた仕事は、封筒などの宛名書きをするという単純な仕事だったそうです。当初は、なぜ自分がこんな仕事をしなくてはいけないのかと不満があったそうです。しかし、雑務でしかなく無意味に思えていた宛名を書きを続けている内に、宛名書きをしている企業は全てトヨタの取引先であるという事に気付かれたそうです。取引先を全て覚えるということはとても重要な仕事であり、トヨタで仕事をしていく上では何ごとにも通じるとても役立つことであると気付かれたそうです。

この「気付く」ことが出来るか否かが、小才と大才の違いであると私は考えています。「気付く」ことが出来ればそこから考えて、実行し、物事を変えていくことが出来ます。「気付く」ためには、素直な心をベースとした有意注意の視点が必要になります。更に、有意注意であるためには、目の前の業務に対する誠意なり熱意が必要になります。

北尾吉孝さんの著書「何のために働くのか」には、張さんのお話と似た吉田茂さんのお話が以下のように書かれています。

それは吉田茂さんが青雲の志を抱いて外交官になったばかりのころの話です。吉田さんが最初に命じられた仕事はテレックスの伝達係だったそうです。テレックスが届いたら、それを大臣のところに持って行くわけです。それが吉田さんには不満だったのです。「最高学府を出て高文試験に通って外務省に入ったのに、なんでこんなつまらない仕事をやらなければいけないんだ」 そして、義父にあたる牧野伸顕公に手紙を書いて、その思いを切々と綴りました。すると牧野公から返事が戻ってきました。吉田さんがその手紙を読むと、こんなことが書いてありました。「君はなんと馬鹿なことを言っているんだ。大臣よりも先に国家の重要な情報を見ることができるのだよ。それを見て、君はどう判断するのか、大臣はどう判断しているのか、その判断の結果はどうなっているのか。君はまたとない勉強のチャンスを得ているじゃないか。こんなありがたいことはないよ」手紙を読んでいるうちに、吉田さんは自分が間違っていたことに気づき、つまらないと思える仕事でも一所懸命に取り組むように変わっていったのです。…
(北尾吉孝さん著「何のために働くのか」より)


上記のお話は、仕事の経験が少ない若い人に限ったことではなく、昨今では終身雇用制が崩壊し転職を重ねることが一般的になってきましたので、転職組にも当てはまるお話です。新たな環境において、いきなり自分の能力を全て発揮出来るような仕事を与えられることなどないに等しいものであり、「郷に入っては郷に従え」と、暫くの間は自分を殺すように目の前の雑務と思えるような業務に向き合わないといけない場面が必ず生じてきます。

転職組の場合は、転職前の経験や知識、或いは成功体験がなまじあるが故に、新たな環境において周囲の人たちに頭を下げ教えを請うことを怠ってしまいやすく、自身のプライドから業務に必要な情報の把握が出来なくなり支障をきたしてしまうケースを多く目にします。

森信三先生は、ご自身の仕事の流儀として以下のように仰っています。

「暗室に入ったように、周囲の様子が見え出すまでは、じっとして動かない。――これが新たな環境に移った場合のわたくしの流儀です。」
(森信三)

若い人に限らず、転職組なども含めて、新たな環境に移った際には暗闇の中でも目がなじんで周囲が見えてくるまで、「ABC」を実践するしかありません。「ABC」とは、「当たり前のことを、バカになって、ちゃんとやる」ことです。この中で特に、2番目のバカになるということが、とても難しいことであると私は感じています。バカになるという言葉を換言するならば素直な心になることとも言えます。何事も素直な心であるならば、なすべきことを正しく知ることができ、自ずと道はひらけてくるのであると私は考えます。


中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp

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