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運命に従うとはDynamic Re-creation

松下幸之助 一日一話
12月23日 運命に従う

人には人に与えられた道があります。それを運命と呼ぶかどうかは別にして、自分に与えられた特質なり境遇の多くが、自分の意志や力を越えたものであることは認めざるを得ないでしょう。そういう運命的なものをどのように受けとめ、生かしていくかということです。

自分はこのような運命に生まれてきたのだ、だから、これに素直に従ってやっていこう、というように、自分の運命をいわば積極的に考え、それを前向きに生かしてこそ、一つの道が開けてくるのではないでしょうか。そこに喜びと安心が得られ、次にはほんとうの意味の生きがいというものも湧いてくるのではないかと思うのです。

https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/founders-quotes.html より

先ず「人には人に与えられた道がある」ということに関して松下翁は更に詳しく以下のように述べています。

 この大自然は、山あり川あり海ありだが、すべてはチャンと何ものかの力によって設営されている。そして、その中に住む生物は、鳥は鳥、犬は犬、人間は人間と、これまたいわば運命的に設定されてしまっている。

 これは是非善悪以前の問題で、よいわるいを越えて、そのように運命づけられているのである。その人間のなかでも、個々に見れば、また一人ひとり、みなちがった形において運命づけられている。生まれつき声のいい人もあれば、算数に明るい人もある。手先の器用な人もあれば、生来不器用な人もある。身体の丈夫な人もあれば、生まれつき弱い人もいる。いってみれば、その人の人生は、90パーセントまでが、いわゆる人知を越えた運命の力によって、すでに設定されているのであって、残りの10パーセントぐらいが、人間の知恵、才覚によって左右されるといえるのではなかろうか。

 これもまた是非善悪以前の問題であるが、こういうものの見方考え方に立てば、得意におごらず失意に落胆せず、平々淡々、素直に謙虚にわが道をひらいてゆけるのではなかろうか。考え方はいろいろあろうが、時にこうした心境にも思いをひそめてみたい。
(松下幸之助著「道をひらく」より)

では、「自分の運命をいわば積極的に考え、それを前向きに生かしていく」とは、具体的にどのようなことなのでしょうか。松下翁は以下のように述べています。

 逆境――それはその人に与えられた尊い試練であり、この境涯にきたえられてきた人はまことに強靱である。古来、偉大なる人は、逆境にもまれながらも、不屈の精神で生き抜いた経験を数多く持っている。

 まことに逆境は尊い。だが、これを尊ぶあまりに、これにとらわれ、逆境でなければ人間が完成しないと思いこむことは、一種の偏見ではなかろうか。

 逆境は尊い。しかしまた順境も尊い。要は逆境であれ、順境であれ、その与えられた境涯に素直に生きることである。謙虚の心を忘れぬことである。

 素直さを失ったとき、逆境は卑屈を生み、順境は自惚を生む。逆境、順境そのいずれをも問わぬ。それはそのときのその人に与えられた一つの運命である。ただその境涯に素直に生きるがよい。

 素直さは人を強く正しく聡明にする。逆境に素直に生き抜いてきた人、順境に素直に伸びてきた人、その道程は異なっても、同じ強さと正しさと聡明さを持つ。

 おたがいに、とらわれることなく、甘えることなく、素直にその境涯に生きてゆきたいものである。
(松下幸之助著「道をひらく」より)

また、「自分の運命を積極的に考え、生かした先にある喜びや安心、本当意味での生きがいというものも湧いてくる」ということに関して、松下翁は以下のように述べています。

 何の心配もなく、何の憂いもなく、何の恐れもないということになれば、この世の中はまことに安泰、きわめて結構なことであるが、実際はそうは問屋が卸さない。人生つねに何かの心配があり、憂いがあり、恐れがある。 

 しかし本当は、それらのいわば人生の脅威ともいうべきものを懸命にそしてひたすらに乗り切って、刻々と事なきを得てゆくというところに、人間としての大きな生きがいをおぼえ、人生の深い味わいを感じるということが大事なのである。この心がまえがなければ、この世の中はまことに呪わしく、人生はただいたずらに暗黒ということになってしまう。

 憂事に直面しても、これを恐れてはならない。しりごみしてはならない。〝心配またよし〟である。心配や憂いは新しくものを考え出す一つの転機ではないか、そう思い直して、正々堂々とこれと取り組む。力をしぼる。知恵をしぼる。するとそこから必ず、思いもかけぬ新しいものが生み出されてくるのである。新しい道がひらけてくるのである。まことに不思議なことだが、この不思議さがあればこそ、人の世の味わいは限りもなく深いといえよう。
(松下幸之助著「道をひらく」より)
 動物園の動物は、食べる不安は何もない。他の動物から危害を加えられる心配も何もない。きまった時間に、いろいろと栄養ある食べ物が与えられ、保護されたオリのなかで、ねそべり、アクビをし、ゆうゆうたるものである。

 しかしそれで彼らは喜んでいるだろうか。その心はわからないけれども、それでも彼らが、身の危険にさらされながらも、果てしない原野をかけめぐっているときのしあわせを、時に心に浮かべているような気もするのである。

 おたがいに、いっさい何の不安もなく、危険もなければ心配もなく、したがって苦心する必要もなければ努力する必要もない、そんな境遇にあこがれることがしばしばある。しかしはたしてその境遇から力強い生きがいが生まれるだろうか。

 やはり次々と困難に直面し、右すべきか左すべきかの不安な岐路にたちつつも、あらゆる力を傾け、生命をかけてそれを切りぬけてゆく――そこにこそ人間としていちばん充実した張りのある生活があるともいえよう。

 困難に心が弱くなったとき、こういうこともまた考えたい。
(松下幸之助著「道をひらく」より)

他方で、「運命」に関して、安岡正篤先生は著書「運命を創る」(1985)にて以下のように述べています。

 我々の存在、我々の人生というのは一つの命(めい)である。その命は、宇宙の本質たる限りなき創造変化、すなわち<動いて已まざるもの>であるがゆえに「運命」という。つまり、「運命」はどこまでもダイナミックなものであって、決して「宿命」ではない。

 「命」は絶対的な働きであるけれども、その中には複雑きわまりない因果関係がある。その因果律を探って、それによって因果の関係を操作して新しく運命を創造変化させてゆく―これを「立命」という。「物」についてそれを行うのが「科学」である。ところが、この物の科学でさえ容易ではない。いわんや人間においてをやである。
 人間に関する命数の学問、つまり近代の言葉でいう「人間学」というものは、さらに難しく、同時にまた非常に興味深いものである。
(安岡正篤著「運命を創る」より)
…我々人間というものは、いくら頭がいい、腕があるといっても、それは実に非力なものでありまして、決して自慢にもうぬぼれにもなるものではない。人生には我々個人の浅薄な思想や才力の及ばない大きな生命の流れ、大きな力の動きがありまして、それに我々がどう樟さすか、いかにそれに参与するかということによって、我々の実質的価値や成敗が決まるのです。そこに我々の限りなく尊い反省、思索、修養がある。若いうちほど決して漫然と時間を空費することなく、また、どんなつらい経験でもこれを回避するものではなくして、どこまでも身をもってあらゆる経験を尊く学び取らなければならぬということを、しみじみと感ずるのであります。…
(安岡正篤著「運命を創る」より)

翻って、森信三先生は、「運命」に関して著書「修身教授録」(1989)にて以下のように述べています。

 いやしくもわが身の上に起こる事柄は、そのすべてが、この私にとって絶対必然であると共に、最善なはずだ。

 それ故われわれは、それに対して一切これを拒まず、一切これを却けず、素直にその一切を受け入れて、そこに隠されている神の意志を読み取らねばならぬわけです。したがってそれはまた、自己に与えられた全運命を感謝して受け取って、天を恨まず人を咎めず、否、恨んだり咎めないばかりか、楽天知命、すなわち天命を信ずるが故に、天命を楽しむという境涯です。
(森信三著「修身教授録」より)
 大よそわが身に降りかかる事柄は、すべてこれを天の命として慎んでお受けをするということが、われわれにとっては最善の人生態度と思うわけです。ですからこの根本の一点に心の腰のすわらない間は、人間も真に確立したとは言えないと思うわけです。

 したがってここにわれわれの修養の根本目標があると共に、また真の人間生活は、ここからして出発すると考えているのです。
(森信三著「修身教授録」より)
「わが身に振りかかってくる一切の出来事は、自分にとっては絶対必然であると共に、また実に絶対最善である。」
(森信三著「修身教授録」より)

自分がこのような運命に生まれてきたのは必然であると素直に捉え、人知を超えた90%には従いながらも、人間の知恵や才覚によって左右される残り10%を積極的に考え、前向きに生かしていくためには、私たちの運命の中にある複雑な因果関係を知る、すなわち「知命」の上で、因果の関係を動かして新しく運命を創造変化させていく、これが「立命」であり「道を開く」というものであると私は考えます。


中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp

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