美術館の思い出
小学生の頃、たまに父に美術館に連れて行ってもらった。
父は美術関係の仕事だったので美術館にもよく行き、私が家に一人残っていると「一緒に行くか?」と声をかけてくれた。
主に地元の県立美術館で、お城の近くの公園の中にあり、木漏れ日の綺麗な静かな環境も好きだった。重厚な赤レンガ作りの建物と広いロビー、ちょっと薄暗く柔らかな照明。子供ながらデパートなんかよりずっと魅力を感じた。
見るのは主に絵の展示会だったが、無口な父は何の展覧会かまったく事前情報は話さず、展示も一人で好きなように見せてくれた。
広い美術館は、いつもたいして混んでなく静けさの中だった。
小さな私は、好きな絵の前ではかなりの時間立ち止まり、気に入らない絵はなかったものとして飛ばしてた。
早足であちこちと見て回った。
時間を忘れた。
何の知識もなく、誰の絵か、何を描いたのかも知らず、画家がどういう略歴かなんて全く興味もなく、ただいろんな絵を見た。絵のタイトルも興味なかった。
楽しかった。
絵の中に異世界があった。
日常にない色彩の奔流。子供から見たらびっくりするほどの大きな絵。
暗い森のお城の絵、どこかの港町の夕暮れ、異国の街並み、数えきれないほど様々な絵があった。
この絵の中に入って歩き回りたい、冒険してみたい。よくそう思った。
美術館の中は広くて天井が高く、薄暗くて迷路のようで、方向音痴の私はよく迷った。
迷うのも、何か不思議な世界に入り込んだようでワクワクした。
他の入場者から見たら、変な子供がパタパタと走り回りながらいくつかの絵の前で呆然と見惚れているのを奇異に思ったかもしれない。
思う存分見て回ったら、出口で待っていた父が、「好きな絵、あったか」といつも一言聞いた。
美術館の後は、たいがい父は絵を描く画材を見に市内の画材屋に行き、そのあと喫茶店に行った。
喫茶店でコーヒーを飲みながらも、私はいろんな絵から受けた刺激で軽い興奮状態だった。
子供の方が、いろんな刺激に敏感なんだろう。
大人になった今よりよほどドキドキするような嬉しさを味わった。
いまでも美術館と聞くと、あの頃の不思議な興奮を思い出す。
暗いなか、迷子になりながらも、次の曲がり角にはどんな絵が待ってるんだろうと、小走りで進む。
絵を、不思議でちょっと怪しい世界につながる窓として見、ワクワク喜んでたあの頃を。
絵 マシュー・カサイ「美術館の思い出」 水彩・ペン
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