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「困っている人がいたら、助けよう」

新卒で初任だった私が初めてもったクラスの学級目標でした。


なんだかよくわからない頭文字を組み合わせたりする目標が多い中、10個以上ある過去の自分のクラスの学級目標の中で、明確に覚えていて、たぶん一生忘れない目標です。

実際そのクラスはどうだったかな。初任で右も左も分からない私が、一番困っていて、一番助けられたような気がしています。


私の中でも最近すごく意識していて、困っている人をついつい助けたくなります。
「先生が助けてくれたおかげで〜できました!」という子どもの言葉にいつも救われています。


しんどい思いをしている人が少しでも楽になったり暖かい気持ちになれるように、言葉をかけたり、お菓子をあげたり、仕事を手伝ったりしました。
そうすることで、何かちょっとでもその人のプラスになればと思うのです。
いままでそうやって自分も支えてもらっていたから。
お菓子を渡したりするのも、相手に普段から助けてもらって嬉しいという気持ちの表現のひとつであり、また、自分がもらって嬉しいからです。


高校の時の恩師が、よくアイスやお菓子など差し入れをしてくださる方で、
「先生は奢ってばっかりで損にならないのか?」
と聞きました。

そうしたら、「今私にしてもらって嬉しいと思うことは、将来大人になったら時に周りの人や後輩などに返してほしい。そんなふうに感謝の気持ちが広がっていくことを願っている」と言われ、ずっと心に残っています。


さて。異動してばかりの自分は、それまでいた環境と違いすぎて、全く役に立てない日々でした。
その中でできることを探したり、声をかけたりすることしかできませんでした。
それなのに、ただ気にかけてくれる存在、声をかけてもらったことで救われたとある人に言ってもらい、それが、自分の心に響きました。助けになったということが自信にも繋がり、相手が誰であれ、周りにしんどそうな人がいたら、勇気を出して声をかけよう、周りが躊躇していても、自分だけは最後まで助けようと、ますます思うようになりました。

私という人間は不器用で綺麗でもなく、できることは少ないけれど、誰かを気にかけ、声をかけることで、ちょっとでも誰かの力になれる、そういったところに自分という人間の軸があるとわかりました。あまり直接そんなことを言われたことがなかったから、心底嬉しかったのだと思います。


しかし、数ヶ月後、同じ人から、あなたの助けは役には立たないし、もう必要ないと言われました。そう言われた時、やっと見つけた自分という存在の軸が、音を立てて崩れ落ちるようでした。


声の掛け方が悪かったのか、馴れ馴れしい言葉遣いが駄目だったのか、言葉をかける頻度が多かったのか、あるいは少なかったのか、上からのようにアドバイスをしたのが良くなかったのか、自分が助けなければと1人で抱え込みすぎたからか、いくら考えても理由がわからず、ずっとぐるぐるもやもや考えてしまいました。
自分という軸を取り戻して、なんとか立ち上がるために、少しでも前に進むために、
答えをどうしても知る必要があり、しばらく経ってから直接聞いてみましたが、教えてもらえませんでした。

それから困っている人がいると分かっても、また、あなたの助けはいらないと言われるのが怖くてたまらなくなりました。悩みを抱えいつも相談しあっていた友人と会わなくなり、周りにいる人とも距離を置くようになりました。



ただ一つだけ。
子どもたちには、職業柄ではありますが、常に気を遣うようにして、困っていたら声をかけることを続けました。
心を痛めている子どもの話を放課後、1時間でも2時間でも聞きました。
子どものためなら、たとえ響かなくても助けなきゃいけないと思ったし、ありがたいことに、どちらかというと響くことの方が多かったように思います。

子どもたちの、「先生のおかげで」という言葉に本当に支えられました。
誰も救えない、誰の助けにもならない、それならば、自分は存在している価値がない、ずっとそう思っていたので、子どもたちとの関わりの中で、なんとか自分の存在意義が、光が見出せているような気がします。


心理学を勉強する中で、どん底に落ちている人は、人と関わりを持つことが負担となり、全て重みとなると分かりました。
また、返報性の法則というものがあり、人は相手に何か借りを作るとお返しをしなくてはいけないと感じるそうです。
確かにお菓子をあげた相手からはお菓子をいただくことが増えたし、ある業務を手伝った相手からは同じ業務を手伝ってくれることがありました。
自分軸で置き換えても、いつも明るく挨拶をしてくれる人には、自分からも明るく挨拶をしなきゃなと思います。
これは、無意識に起こることらしいです。

そうなると、自分が相手を気遣ったり、助けたりするエネルギーがゼロの状態で、助けられると、返さなきゃいけないのに、今の状態では返せないと心の負担感が無意識で増してしまうと言われています。返せないなら、いっそもらわない方が良い。
あと、助けたり助けられたりのバランスが良い状態なら大丈夫なのですが、自分が助けられれば、助けられるほど、自分の無力さを感てしまい、しんどくなってしまうことがあるようです。


そうなると、私の助けがいらないと言われてしまった理由も何となく理解できたような気がします。


そんなふうに、心理学を勉強しながら少しずつ自分の気持ちの昇華できています。
もっと早く勉強していたらまた、違った関わり方ができたのかもしれない、とも思います。


最近また周りの人がSOSをだしていることに気付くことはできず、助けられなかった、と思う出来事がありました。でも、私が1人の力で助けられる問題ではないかもしれないし、私が助けなきゃ!ではなく、その人の一番力になれる人は誰だろうとか、協力できる人を探すとか、相手が求めていないことはしないとか、自分ができることだけ力になれればよいと、肩の力を抜くことにしました。


困っている人がいたら、助けよう。


なんて単純で簡単な学級目標なんだと10年以上前の若い自分は思いました。
今は、なんて深みもあり、達成が難しい目標なんだと感じています。


人を助けることや、何か力になることは、簡単なことではなく、とても怖いけれど、それでも私は何か力になりたい。
もしかしたらいらない助けかもしれないけれど、相手の立場をよく考えて、
それでも必要だと思ったら、気にかけることは辞めず、何らかの形で助けとなりたい。
自分に今できることができたら、それでOKと思いながら、これからも人と関わっていこうと思います。

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