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定年後は違う世界が見てみたくて、人生二毛作に挑戦中!

働く女性に対するキャリアや人生についてのインタビュー。今回のお話は、定年後は新しいことをしたいと考えていたゆみこさん(仮名)のお話です。

ゆみこさん(60代前半)
プロフィール:大学卒業後、マーケティング・リサーチ会社に就職し定年まで同社勤務。40代で人事、50代でマーケティングの部署を立ち上げ、大変な経験もしたが、その間に学んだコーチングを活かしながら乗り越えてきた。定年を機に分野の違う仕事がしたいと、未経験の接客業アルバイトを始めている。

定年退職後の現在、居酒屋でアルバイトをしているゆみこさん。それまでの仕事を知っている人からは「その職歴でなぜ?」と驚かれるそうです。ゆみこさんが、継続雇用を選択せずに、全く別の仕事を始めた理由とは?そして、今の心境は?

―――今回、ライフヒストリーや人生曲線を書いてみていかがでしたか?

縦の軸を何にするか迷って、結局、「自分らしさが出せているか」で描きました。離婚したり、がんになったりもしましたけど、仕事を頑張ることで自分らしさは保てていたと思います。ここが谷だったと思うところの共通点は、自分の力が信じられなくなって、自分らしさを見失いそうになったというところかもしれません。

ゆみこさんが描いた人生曲線

優等生をやめ、枠に縛られない考え方に

(10代:高校での先生からの干渉がきっかけ)

―――ゆみこさんにとっての人生最初のターニングポイントは?
 高校の時ですね。小中学校では、先生の言うことを従順に聞く優等生タイプだったんですが、高校2年の時、友だちの所属する部活の手伝いをしたら、担任に「その部活には素行の悪いOBがいるからやめろ」と言われたんです。生活指導の先生には、「髪型が変だ」と、カットを失敗しただけなのに呼び出されたり。些細なことを一々言ってくる先生たちに、「なんか変だな」「どうでもいいな」と思ったんです。そのへんから、納得いかないのに、先生や上の人の言うことに従ったりルールに縛られるのがバカバカしいと思うようになりました。
大学に入ってからは、ますますそう思えてきて、その頃から、「自分ってこうです」と言えて、自分の弱いところもどんどん言えるようになっていきました。

人事部門の立ち上げでの挫折と収穫

(40代:コーチングを学び自身の強みに気づく)

―――人生曲線の凹んでいるところについて教えてください。まず40代の半ば。
ここは、会社の中で新しく人事部門を作ることになり、室長をしてほしいと言われたところです。室長と言っても2名の部署なんです。人事は素人でしたが、私は「機会があるなら乗ってみる」という方針だったので、与えられたからやってみるかと思ってやり始めたんです。
でも、始めたら大変でしたね。自分の中で課題の整理がつかなくてもやもやするし、打ち出す施策にいろいろ意見を言ってくる人がいて、その都度悩んでしまうし、最初の1年くらいはとても大変でした。深夜まで一人でポツンと残って会議書類を作ったりしていました。会社が人事の講座に通わせてくれたので、そこで学べたのと、講座の後の交流会でお酒を飲みながら多くを学びました。
 
―――その後、状況は改善したのですか?。
人事の講座がきっかけでコーチングを学んだのが大きかったかなと思います。自分にコーチをつけていた時期があるのですが、周りの人とぶつかって落ち込んでいたときに、コーチに「あなたの強みは何ですか?」と質問されたんです。以前の部署で、人の力を引き出すことが仕事のコツだということを体感していたので「人の力を引っ張り出すことかな」と答えたら、「では今、使えるものは何ですか?」と言われて、「そうか」と思い当たることがありました。2名の部署なのに、意見交換も十分できないままに「ゆみこさんが思うようにやれば?」と言われてしまって自分でも煮え切らずに仕事をしていたのですが、3人目の人に会議に入ってもらうことで解決できるかも?と気づけたんです。他の部署の先輩にお願いして入ってもらうことにしたら、すごくバランスがとれて、うまく回るようになりました。コーチングのおかげだったと思います。

大きな病気を経て変わったこと

(50代:人生の後半を考えるきっかけ)

―――50代で曲線が落ちているのは?
母が亡くなったところです。仕事にかまけて実家に帰ることも少なくて、いずれ仕事をスローダウンしたら一緒に遊ぼうと思っていたのですが、父の他界後、認知症で介護が必要になり、ホームに入ってから割と短期間で亡くなったんです。母のことは好きだったし、頼りにされているとひしひし伝わっていたのに、仕事を辞めないでホームに預けることにしたんです。ホームに会いに行って帰る時に「帰らないで」と言われるのが辛かった。自分の判断はこれで良かったのかなと、ずっと悩みました。それがストレスでがんになったのかも知れないと思えるほどです。
 
―――ゆみこさんご自身が病気になったことについては辛いとか怖いとかはなかったのですか?
なかったと思います。うちの母も、幾つかがんを経験していて、でも結局80過ぎまで生きていたので、私もすぐ死ぬことはないだろうと甘く考えていたんです。ただ、抗がん剤治療で髪の毛が全部抜けると説明され、「髪の毛が抜けない手はないんですか?」と聞いたら「髪の毛は生えてきますからね」と答えが返ってきたときに「やらないと命がないかも」ということだと思って、初めてゾクっとしました。それと使う薬の説明で5年後生存率のデータを見せられたんですが、それって逆から考えると生存していない率がこれだけあるということだと思えて、さすがにちょっと落ち込みました。でも、ふと、「人間、どの人も、5年後100%生きているとは限らないよね。一緒じゃん」と思ったら少し楽になりました。
職場がサポートしてくれて仕事が続けられたのも良かったです。
 
―――がんになったことで何か変わったことはありますか?
死ぬことって、人生の最後の方にあると思っていたのですが、実は常に隣り合わせで、いつ死ぬかわからないんだと思うようになって、やろうと思っていることは先送りしないようになったんですよ。いつかやろうと思ってずるずるしていることが多かったんですけど、先送りしないようにしようと思って、いろいろやりました。でもやりすぎて過労だと医者に注意されたことがあって、その後は、ほどほどにしています。
 
―――困った時や辛いときでも、ゆみこさんは、ひとりでがんばっちゃいそうな感じもするのですが、他の人に頼ることはあるのですか?
弟にはよく助けてもらいます。でも、相談はしないで事後報告ですね。弱音はいろんな人に言います。結局這い上がっていくためには、「一人コーチング」ということで、自分の中のコーチ役と自分とで対話して決めていると思います。

全く違うことをしてみようと思った

(60代:定年後の二毛作に向かって)

―――60代のところで落ちているのは?
定年退職後、最初の再就職で、食品販売店のアルバイトに入ったんです。そこで、人生最大に凹みました。多少は苦労するだろうと覚悟していたけど、お店の皆さんに全くついていけず、毎日怒られていました。自分の駄目さに気づき、会社勤めをしていたときの自分まで否定してしまうほどにすっかり自信を無くして落ち込みました。重い気持ちのまま通い続けていたので表情も暗かったと思います。

でも、すぐ辞めるのも情けないし、もう少し頑張るか?とお風呂の中で考えていたら、ふっと、「ここで教えてもらったことは、他の場所でも活かせる」って思えてきたんです。

―――どうしてそう思えたんですか?
コーチングで、視点を変えるということをよくやっていたんです。そのときは、「たとえば4か月後に、自分は幸せに働けているだろうか」と考えたんですよ。そうしたら違うところでこの経験を活かすという選択肢を思いついて、急速に元気になりました。で、結局2週間で辞めました。その後、今働いている居酒屋の仕事を見つけたんです。そこは私のような初心者に順を追って丁寧に教えてくれるところで、今に至るっていう感じです。
 
―――接客業をしてみようと思ったのはどうして?
退職後に何をしようか考えていたとき、会社の人から「バーのママをやったら?」と冗談交じりに言われたり、シニア向けの適職マッチングテストで接客業が向いていると出たりで、それを口にしているうちにだんだんその気になってきて、まあやってみようと思ったんです。本当に自分に向いているかわからないけれど、インプットをしているうちにやりたいことのインスピレーションが降ってくるのではないかと思って。そしたら案外、今は面白い。これが続くかどうかはまだわからないですけど。

何度でもスタートし直していいんだと気持ちを楽にして

(今後について)

―――これから先についてはどう考えていますか? 
50代前半に、「これからは『人生二毛作』ができる時代です。定年後に何か違う仕事を始めることもできるんですよ」という話を超高齢社会についての講演で聞いて、すごい発見だと思ったんです。定年までは今の仕事を全力でやって、そこから違う仕事をしてみようと。好きな仕事ではあるけれど、新卒で入社した一社しか経験しなくて人生終わるのもさびしい気がしたし、先送りしたくないという気持ちがあって、定年延長の65歳で辞めるより、60歳で辞めようと思ったんです。体力のあるうちにということもあって。
今の居酒屋の仕事は、人と接する場がつくれて楽しくて、これがやりたかったことかな、とも思えています。でも、また違うことをするかもしれません三毛作かもしれないし、副業的なことかもしれないし。今は、何度スタートし直してもいいという気持ちですね。

機会には乗ってみる

(女性たちへのメッセージ)

―――今、迷っている女性たちに何かアドバイスやメッセージがありますか?
ある時期から「定年後の準備をどうすればいいんだろう」と、焦る人もいるかもしれないけれど、今の仕事が好きだったら、定年を一区切りの目印にしてそこまで全力でやってみるのもいいかなと思います。自分なりに全力でやったと思えると、ギアダウンしても、ここまでは頑張ったんだと思って、ゆったり次を考えられるように思います。
 
―――大事にしている言葉や出会いはありますか?
まずは、超高齢社会についての講演で「人生二毛作。三毛作でもいい」と教えて下さった先生ですね。その方ご自身も、まさにその言葉を実践されていて憧れます。
それと、入社した頃に見た、あるキャリアウーマンの方のインタビューが印象に残っています。その人は海外の大きな会社の重役で、子供もいた方でしたけど、「何をキーにここまでやってきましたか?」という質問に、“ambition”と答えていたんです。「大志を抱け」と言う時のambition。それがすごくかっこいいなと思って。自分の能力を私はここまでと低く設定しないで、解放しているようなイメージだったんです。以来、与えられた機会には乗ってみる、少し上を向いてトライしてみる、というのを方針にしてきました。

―――今日、インタビューに参加してみていかがでしたか? 
振返ってみるのは面白かったです。曲線を描いたときは何となく谷を作りましたが、そこでの気持ちを掘り下げて言葉にしてみると、私は、「自分の可能性を試してみたい」という思いがずっとあるのかなと気づきました。これからを考えるにあたってもいい機会でした。

インタビュアーコメント

定年まで全力で仕事に打ち込みながら、離婚やがんという出来事も自分らしさを見失うことなく乗り越えてこられたゆみこさんの語る「人生の二毛作への道」。全く知らない新しい世界に飛び込む生き方に、自由なしなやかさを感じました。何をやってもいいし、二つか三つのことを同時にやってもいい。でも先送りはしない。ゆみこさんのこれからに、一緒にわくわくを感じました。そのうち、居酒屋さんをのぞいてみたいなと思いました。その頃には、もう次のスタートを切っておられるかも知れませんが・・・

【L100】自分たちラボ からのお知らせ

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