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失われた30年

 「継続反復して若者の無知や未熟に付け込んで利用して喜んでるような奴は死ねばいいし死なねばならない。生かしとくべきではない。それぐらいは言っとく。」とは安倍元首相を銃撃した山上徹也被告が犯行前に旧Twitter(現X)につぶやいたメッセージとのことですが、全部で1,346件あったツイートを考察した五野井郁夫さんと池田香代子さんの対談本(集英社刊)を拝読しました。
 山上氏のツイートをベースに、バブル崩壊から現在に至る日本の格差社会の進行やロスジェネ世代の苦悩について掘り下げる内容でした。
 今まであまり詳しい経緯は知らなかったのですが、思っていたイメージとだいぶ違っていて意外性と背景の深さ、幅広さを感じました。
 ツイートなので内容に矛盾点や変節はありますが、宗教二世としての宗教自体や育った家庭への怨念、安倍さんへの反感よりも、社会全体を憎んで行動したこと。その背景には悲惨な家庭環境(父・兄の自殺、母親の宗教傾倒による経済的困窮や最後の砦の祖父からのネグレクト)や、バブル崩壊後の経済不況(失われた30年🟰ロスジェネ、就職氷河期)下に家庭事情で大学進学出来ず、家計を助けることを優先せざるを得なかった結果、正規雇用の枠から外れてしまう生活苦境、疎外感がありました。
 またツイートで触れられているインセル(恋愛やセックスの相手を欲しているが叶わず、その原因は女性側にあるとするネット上での女性蔑視主義者のこと。不本意の禁欲主義者、非自発的独身者などと訳される。山上氏本人は自分は違うと否定)と言うキーワードは、経済不況の中で選別される非モテの苦しみを生々しく表し、並行して最も敵視している韓国(中国は対象外で、宗教のルーツを生み出した国で日本を敵視、蔑ろにしている存在)に対するある意味理不尽な怒りや、テロ行為を実践していく行動性には、捌け口を求めて追い詰められ、逆に割り切った気持ち(「無敵の人」🟰映画『ジョーカー』の主人公アーサーなどへの呼び名で山上氏も近いとの指摘あり。政治的、社会的に支援をすべて断たれた状況で選択肢がなくなった時に、自分の運命を主体的なものだと自己責任化すること。)が伝わってきて、絶望感の強さを感じます。
 この格差社会は政治の機能低下もあり、ますます深刻化していますので、山上氏と同じように苦しんでいる人はより増加していくが懸念されます。
 世界的な兆候とは言え、何とかパラダイムの変換を図っていかねばならないと痛感します。
 関連して山上氏にもその傾向があります(犯行前は意識の変化あり。🟰体制側で搾取に加担する人たちを嫌悪)が、格差社会で図らずも負け組になってしまった層に、社会変革側よりも体制寄りのスタンスで、変革側の呼びかけに否定的だったり、嫌悪感を持つ方が多いのは、自身の方がリアリティを理解しているし、リベラル的な考えにはリアリティがないと捉えているとの指摘があります。
 確かに一理はありますが、幅広く考えれば自己否定に繋がることだと理解出来ると思いますし、行動すれば変えられることもあると私は信じたいです。
 山上氏の公判は、政権側が発言を恐れて開始を遅らせているとの一部からの指摘がある通り、未だ始まっていませんが、今後の展開について注視すると共に、社会へのメッセージ性についても継続して考えていきたいと思います。

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