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30代働き盛りで「立ち止まる選択」をした私の550日間〜人生は続く〜

はじめに


人に話すときは「全然楽しくない話やからポップに話すね!」と前置きしてから話す。
1年半仕事をしていなかった時間は今になって振り返るととても貴重な時間で意味があった。
もちろん約550日のブランク状態からどう舵を切っていくのかこれから楽しいことがたくさん待ち受けてはいるが(笑。 
ただ一つ言えるのは、周りの環境に流されるままいた退職前の自分より、軸のある今の自分の方が断然気に入っているということ。
きっかけは最悪の経験だけど、本気で「自分で自分の人生を生きる」という感覚を持つきっかけとなった大切な550日の日々を備忘録として綴りたい。


受け入れてきただけのこれまでの私


幼少期足が不自由で周りが何もかもやってくれる環境に育った私は、人見知りで引っ込み思案で自信がなく、皆と同じ様に運動や登下校をしていなかったので1人でいることが多く無欲な子供だった。足は小学校で完治し、周りは皆いい人ばかりでいじめにあうこともなく周りに助けられながら進学、社会人になった。
人見知りだった私も、初対面の人と話すのが好きになるほど旅や出会いを通して世界を知っていった。

初めて「楽しい」と思える仕事を見つけ、初めて熱中し「自分の成長のため」に仕事をしている自分に誇りをもって働く日々。時間外ボランティア勤務、キャパオーバーな仕事内容、居心地の悪い飲み会、他にもたくさん病むほど山積する問題の中を、「自分の成長のため」に「貢献したい未来」に向けて目を輝かせて泳いでいた。それができるありがたい環境で働かせてもらってる私ほんまに幸せ者だ!と

真面目に生きていたも事故には合う


ところが突然、人権を侵害される事態に巻き込まれる。
「なんで私が!」率直な感想と「早くこの状況を処理しなくては」が次に思ったことだった。今でこそ「人権侵害」という認識だけど、当時は全くのパニック状態で何が起こったか理解できず、どう対処すればいいのか、何が正解なのか、何で起こったのか?何もかも理解できず、周囲の人の発言もあまり理解できていなかったから、後から思うと「おいおい」と思うことが多々(笑。

ずっと猛スピードで泳いできた私は、とにかく理解不能なこの状況を判断するには自分の感情に従うしかないと慎重に判断しながら1か月をかけて諸々選択し、仕事を辞めた。
自分の人権よりとにかく「関係者に迷惑が掛からないように、貢献したい未来を壊さないように」これがこ当時の私の優先順位だった。戦禍の軍人かよ!お国のために死にます行為。今思うと恐ろしくて自分でドン引きするけど、慎重に自分の感情に従った結果その判断をしたんだからしょうがない。方法は間違っていない。優先順位と生き方がズレていたと今は思う。

退職後、それまでどっぷりつかっていた環境から身を引くと、びっくりするほど周りに誰もいなかった。あぁ、「仕事の付き合い」しかしてこなかったんだなぁと痛感した。
仕事の声を掛けてくれる人もいたけど、お世話になった多くの関係者には会えなかったし会社の周りには誘われても行かなかった。恐ろしく苦しかったから。
これまで自分の中心に在ったものが自分の意思に反してごっそり無くなった。
私を突き動かしていたエネルギーがガッポリ持って行かれた上に、人間不信が全開に発動していた。

「止まってはいけない。すぐに次働く場所を見つけてエネルギーを取り戻そう」
ネガティブに負けじと頭を回転させ、ガツガツ転職活動をした。毎日何かとスケジュールを立て、旅行にもいったり、いたって大丈夫そうな雰囲気だった。

だけど、どうしても決めれない。内定をもらってもどこにも決断できないのだ。
4か月経過し、「不安」と向き合うことに決め一旦就活を「休む」ことにした。

根深い不安


アルバイトしながらゆっくり探そう。知り合いにいろんな人を紹介してもらい、話を聞き自分の話(真実は伏せて)をして6か月経過。「不安」は増していった。
「仕事を探すこと」を諦めて、「不安を抱える自分に向き合う」ことにした。

これがなかなか難しい。ネガティブ感情を土に埋めポジティブで仕事をしてきたため、なかなか感情が顔を出さないのだ。
ならばとまずは「人間らしく生活」することにした。
心を使って感情を動かすには、「美味しいものを食べる」「美しい自然にふれる」「体を動かす」「よく寝る」これが基本だ。

働いていた時も美味しいものは食べていたけど、情報として体に取り込んでいたような気がする。「美味しいものを皆で食べて笑顔になり会話する」これが「美味しく食べる」だ。
「どこどこのいいお店で映える3万円の料理を食べた」は情報を食べているだけだった。

自然は見るものではない。体験するものだ。
「そうだ、畑をしてみよう」ということで庭に2畳ほどの畑を作ることにした。
粘土質の土だったため土壌改善から始まった。1.5mほど掘り起こし堆肥を混ぜる。9か月使っていなかった身体が早々に悲鳴を上げたが、筋肉を使って汗だくになるのはとても気持ち良かった。何より形になるのが達成感があって嬉しい。トマト、キュウリ、バジル、しょうがを植え、無事すくすく育ち美味しく食べた。自分で作った野菜はとても美味しかった。
毎朝毎晩水をやり、大きくなったら間引いたり誘引したり、毎日毎日その成長を観察し、変化があれば調べて対処する。2畳の畑でこんなに時間と手間がかかるのに農家さんはすごいなぁとか、ぶっちゃけ買った方が早いとか。でも美味しさや得る知識量は断然自分で作る方が増す。これが「美しい自然にふれる」だ。

「体を動かす」は結構ハードルが高かったので、朝のラジオ体操やヨガ、散歩、畑、などできる範囲で行ったし、「よく寝る」は夜寝付けないぶん起きたい時間に起きて、とにかくたっぷり寝た。

徐々に仕事のことや、関係者のこと、後悔のスパイラルを思い出す時間が減っていった。
町で出くわす可能性がある限り、外出先での不安は消えないが、少しずつ心が動くようになり「不安」の正体が見えてきた。
それは、「今の考えのままの自分では先に進めない」ということだった。
まっとうに生きていたら幸せになれるわけじゃなない。素晴らしい人が殺人鬼に殺されたり、何の罪もない市民が戦争で大勢亡くなる。どれだけ真面目に正しく生きようとも世界をコントロールすることはできない。

自分の成長のために頑張ってはいたが、自分の意志は持ち合わせていなかった。上が黒というなら白でも黒だった。それで成長する環境と貢献すべき未来に向かっているならと目をつむっていた。自分の意見は必要とされず、山積みの仕事をこなす為、心も止めて、「自分で考える」をしてなかったことに気付いた。働いているときに外部の人に言われたことがある。「もっと自分で決断して仕事したら成長できるよ」と。

次の職場で働く決断ができなかった理由が分かり腑に落ちた。それが不安としてストッパーになるなんて人間とはよくできているものだ。だけど、おいおい、自分の感情を掘り起こすのに1年を要する何て、私はどうなってるんだ。
これに気付いたからには、見ないようにしていた「辛い出来事」と私の中心に在った「居場所」に向き合わなければならない…。これはキツイ。

先に進むには一番しんどいことに向き合う


とにかく素直な感情をノートやPCに書きだした。「人間らしい生活」をしたおかげで、だいぶ素直な感情を出せるようになっていた。
辞めた直後は誰のことも責められなかった。悪者を見つけることがいいという話ではなく、「良い人」であろうとするあまり自分自身にすら素直な感情を出せないことが重症だった。一度他人のせいにするとどこまでも逃げてしまうようでビビっていたし、その先に成長はないと分かっていた。
時間をかけ素直な自分の感情を受け止め、それを誰かに話すことでやっと「わだかまり」が解けた。
誰にも言えないのはとても辛いことだと知った。
話す人によって自分から出てくる言葉も違ったので、できるだけ話せる人には聞いてもらった。
世界中どこにも居場所のない感覚が、少し和らいだ。

当然だけど、嫌なものは嫌だ。そう思っていても主張できない自分にとって「頑張って働く」ということは、心を殺しておかしいと思うことも飲み込み、体を酷使して、何でもやることだった。その未来は暗い。思考能力も感情も意思もなくロボットのように働き続ける。
そんな自分のままではだめだと気付けて良かった。そんな自分だったと気付けて良かった。

「人間らしく生きる」これはずっと持っておくべきだと思った。感情に振り回されていては仕事ができないのは確かだけど、心が動く事で決断していいと思った。
1年と1か月が経過していた。

武装無くして社会には出れない


さっ!就活しましょ!というわけにはいかなかった。働きたくなかったのである(笑。
自分から人間らしさを失いに行くのがバカらしかったし、世間にはおかしな人もたくさんいるのでまた被害に遭わないともいえない。
自分の考えは腑に落ちても、サバイバルな社会は変わらない。戦闘態勢で装備を揃えてからでないと社会に戻る気がしなかった。

体力回復、信頼できる人、不安の回避、決断する。必要な要素をイメージしながら、「できること」と「やりたいこと」をやっていった。一番大切なのは「無理をしない事」。Too muchだと思ったらすぐやめた。一人じゃ無理と思ったら誰かに同伴してもらった。
家族と話を真剣に聞いてくれる友達の温かさにありがたさを痛感した。
憧れる人や尊敬する人の話を聞きに行ったり、心地の良い場所に通うようにした。
それまでずぅっっっと自分の内面としか向き合っていなかったから、他者にやっと目を向けれるようになり、改めて人との繋がりについて考え直した。
長く繋がっている人たちは、ただ続いているのではない。私の事を私より覚えていたり思い出させてくれる。これから新しく作ることのできない唯一無二の存在で愛すべき私の一部なのだ。

退職から1年4か月、少しずつ心にエネルギーが貯まっていき、引っ越し先を決め面接を受け始めていた。「動き続ける選択をする」と決め、引越しを終え働き始めたのが、前職を辞めて1年6か月。550日の日々が積み重なっていた。


自分はどう思うのか、自分の心と頭で考える力


はい!すべて整いました、というわけではない。
550日で得た自分の生き方や考え方の軸を潰すような働き方をしたくはない。
楽しいかどうか、居心地がいいかどうか、刺激を受けるかどうか、どれも心が動いていないと判断できない事。それをしっかりと感じ取って、考えるのではなく動いて試して見つけていきたい。

「自分で自分の人生を生きる」当然なんだけど、危機的状況を突き付けられないと私の場合「本気」で向き合い考える事ができなかった。本当にこの550日を経験して良かったと思う。言い方はそれぞれだ。無職、プー太郎、キャリアブレイク、人生の冬休み。
だけど自分にとっては脳みそと心を空にして365日働いていた日々より価値があると思う。

社会がこれまで決めてきた枠組みや考え方を知ることより、自分が最もパフォーマンスを発揮できる方法を考え体現し、創造性に溢れた環境に身を置き、自分らしい幸せな生き方をしていきたい。

誰の為でなく、自分のためにやっと書けた備忘録ですが、ここまで読んで頂いた方が居れば、何か届くものがあれば嬉しいです。

皆様良いお年をお過ごしください。


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