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家へのコンプレックスを解消した話

子供の頃築100年の家に住んでいた。
どの親族や友達の家に行っても自分の家ほど古い家を見たことがなくて、自分の家がめちゃくちゃ嫌いだった。

外に出れば自分ん家より新しい家全てが羨ましく見えて、錆びついたトタンの家でさえ羨ましかった。新築なんかは憧れの塊でしかなかった。

そんな中、築100年目の年に隣の家が火事に遭い、貰い火でうちも全焼した。
突然それまでの私物のほとんどがなくなって、側から見たら不運な話だけど子供の私にとってはめちゃくちゃラッキーだった。家が新しくなることがめちゃくちゃ嬉しかった。(当然ながら両親は落胆していた)

家が燃えた後しばらくは祖父母の家でお世話になり、その後家が建つまでの間賃貸の一軒家で暮らすことになった。
今思えばあの家もかなり古い家ではあった(築40〜50年ぐらいいってそうな)。
床がほとんど古い畳だとか、建て付け悪いとか、トイレ鍵ないとか、寒いとか、よくわからない坂が家の中にあるとか(笑)はあるものの、なんせ築100年の家の後なので私にとっては快適だった。

家を建て替えるにあたり休みのたびに両親とモデルハウスへ見学に行った。理想を遥かに超える綺麗な家に胸を膨らませた。と同時に現実的な面も知る。
雪国で吹き抜けは寒いとか、琉球畳はすぐへたるとか、生活の動線と間取りとのマッチ具合。ぱっと見理想の家が自分たちにとって居心地が良い家とは限らない、不要な理想もあることを知った。

そんなこんなで家が完成し、家具も選ぶことに。リビングには憧れのでかいソファー、自分の部屋は小学1年生の頃からのザ・学習机だったのが綺麗なガラス天板のデスクになった!布団は敷布団からふかふかマットレス!(お金を気にせず選べる幸せ、やべー)

憧れの新築生活は全てが新しく、一気に人権を得た感じがした。
けれど「家は5回(だっけ?)建てないと理想の家にならない」みたいな話があるように、新しい家なのに不満も感じた。

具体的には間取りや家電サイズのミス。冷蔵庫を置くはずだった場所が思ったより狭くて冷蔵庫が入らなかったり、その影響で物干し部屋にするはずだった部屋が食材庫になってしまったり、1階で服を干すはずが2階になったりと。
あと壁紙ボコついてたり、システムやドアのトラブルで何度も大工さん入ってもらったり(しかも一部直らなかった)
いろんなモデルハウスを見て回って設計士さんとも何度も相談して建てた家。なかなか理想を形にすることは難しい現実。完璧はないと知った。

これらの経験があったおかげで、私は家へのコンプレックスがなくなったし、新築への過度な期待もなくなった。
現在は結婚して県外に引っ越し、賃貸マンションに住んでいる。多分あの古い家しか住んだことがなかったら、今頃夫に新築をめちゃくちゃせがんでいたと思う。

今住んでいる土地でも以前の自分の家ほど古い家は見ないけど、時々出先で自分が住んでいたような古い家を見かけると、良い家だと思えるようになった。

ある時友達に勧められてゴールデンカムイを読み、それをきっかけに明治時代を学んだ。西洋の文化を取り入れ始めた画期的な時代。それが建物にも反映されている。和と洋が混ざった、現在にはない何とも言えない雰囲気。旅行で行った北海道開拓の村で明治時代の建物を見てテンションが上がっちゃうぐらい、古い建物や家具が好きになった。

子供の頃よく観光者(というよりマニアっぽい)の人が我が家を撮っていて、子供ながらになんでこんな家を?と思っていたけど、今ならわかる。(人の家を断りもなしに撮るのはいけないと思うけどね)
私が住んでいた家は今じゃ住みたくても住めない、他の家にはない魅力のある家だった。

北海道開拓の村で撮った写真
昔の自分の家に少し雰囲気が似ている

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