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はじめての南西諸島 #2加計呂麻島(旅のハイライト①)

加計呂麻島は奄美大島の南にある島です。
東西に長い静かな島でした。けっこう山道が多いですよ。

【冒頭の写真:諸鈍のデイゴ並木。「男はつらいよ」のロケ地としても有名。諸鈍にはリリーの家が今も残っていて、民宿になっている】

加計呂麻島観光案内 与路島・請島も古仁屋港から船で行く

奄美大島の古仁屋港からフェリーで20分くらい。

私が泊まっていた宿が奄美大島のかなり北の方にあり(赤木名)、
港までなんと車で2時間くらいかかる!
奄美大島ってけっこう大きい島なんですよ。ちょっとびっくり。
(ガイドブックでは空港~古仁屋港が1時間半くらいと書いているが、
初見の私は慎重に運転&途中で休憩を入れるのでさらに時間がかかる)

伝泊 赤木名ホテル 空港から車で5分
フロント 伝泊は加計呂麻島、徳之島にもある
共用スペース パソコン使って打ち合わせしている人たちがいた
デラックスツインのお部屋 写真だとわかりにくいが結構広い
窓に面した机 シンプルだけどおしゃれな部屋 居心地よかった~

8時過ぎに宿を出て、なんとか10時ちょうどの便に間に合う。
まあ、途中、名瀬で寄り道しちゃったのもあるんですが(笑)

寄り道① 鹿児島県立奄美図書館 右側、ガラス張りの建物
行きたかった島尾敏雄記念室 特別整理期間のためまさかの休館!
寄り道② 島尾敏雄旧居
島尾敏雄文学碑 島尾は図書館の分館長として名瀬に居を構えた

昭和30(1955)年10月、東京から妻ミホの故郷である奄美大島へ移住。昭和33年4月、県立図書館の奄美分館・分館長に任命され、分館敷地内の官舎で生活を始める。図書館長として、ミホと過ごした日々を『日の移ろい』に書いている。(「島尾敏雄文学碑案内」より)

ミホが心因性反応という心の病で精神科病院を退院した直後に、
ここ奄美に移住。ミホの発作に怯えるような生活から、少しずつ元の日常を取り戻しつつある時期を過ごしたのが、この名瀬の町だった。

いよいよ、加計呂麻島へ。天気が晴れててよかった~~。

古仁屋港 加計呂麻島・瀬相行きは一日4便しかない

まずは、予約していたレンタカー屋さんへ。
ですが、ネットの地図が古くて全く違う場所へ行ってしまう。
電話で聞いたら港のすぐそば。ちゃんとのぼりも出てました!

「島のレンタカー」前日までに予約が必要
島にタクシーはない。レンタカーは必須

加計呂麻島はとにかく山道。見通しのきかないヘアピンカーブが多いです。
舗装はされていますが、時々段差や道端に穴があったりします。

路面状況を確認しながら、慎重に走っていました。
平均時速20~30キロでしたね。
(「加計呂麻島ガイドブック」という観光協会発行の案内にも
「時速40キロ未満推奨」の文字が。安全運転で!)

そして、目的地へ。
呑ノ浦にある島尾敏雄文学碑、震洋隊基地跡。
ここが私のなかでは、最初のハイライト。とても重要な場所なんです。

呑ノ浦 誰もいない静かな入り江 波の音しかしない
島尾敏雄文学碑 寒桜が満開でした

島尾敏雄は終戦の前年、昭和19年、第18震洋特攻隊隊長として加計呂麻島に赴任。昭和20年8月13日、司令部から出撃命令を受けたが即時待機のまま8月15日の終戦を迎えるという壮絶な戦争体験をもつ。ここ呑ノ浦は出撃命令を待つ日々を過ごした場所。

Xにも書いたが、
「出孤島記」「出発は遂に訪れず」「島の果て」「その夏の今は」など、
戦後の島尾文学の原点がまさにこの地。
まさにこの場所で、そう遠くない昔、ただ死ぬことだけを目的に日々寝起きしていた島尾とその部隊180余名の面影は残っていない。

当時をしのぶものとして、
震洋隊の基地だった震洋艇の収容庫
は今もそのまま残されています。
延々1キロ以上続くであろうその道へちょっと進んでみたものの、
あまりの人気のなさに怖くなりすぐに引き返してしまう。

平日の午前中に行ったというのもありますが、
全く人がやって来る様子がないんです。
周りに民家や畑もないからかもしれません。

霊感のない私でも、この静けさはちょっと異様な感じで、
「ここは一人で来るところじゃないな・・・」と思っていると、
明らかに人のそれとおぼしき物音が。突然ガサッ、ゴソッとしてくる。

鳥とかリスとか、そういう小動物の物音じゃないんです。
あれは、明らかに人の物音だった。そんな気がしますよ・・・。
さすがにこれにはびっくりして怖くて、そそくさと文学碑を後にしました。
(震洋艇の収容庫は怖すぎて写真なんか撮っていられませんでした)

(少し不謹慎なことを書いたかもしれません。ふざけるつもりはありません。真面目な気持ちで戦争のことを書いています。ただ私が怖がりなだけだったのかも。戦争遺跡を訪ねる、というのは旅の大きなテーマでした。
事前に、みやびさんの記事を読んでいたことが頭にありました)

文学碑を後にして、ひたすら山道を走っていたのですが、
左肩のあたりがなんか重いような。。。あれ、おかしいな???

スリ浜というきれいな浜へやって来て、シュノーケリングをしている
人の姿を見たときは正直ホッとしましたね。
車で走ってても、本当に人を見ないですね。
ちょっと心細くなってきます・・・。

ようやく開けてきた 海は本当にきれい
スリ浜でピクニック 宿の朝食のホットサンドと鹿児島の銘菓かるかん
生間港(たぶん) 静かな港でした

加計呂麻島で有名なのは、「男はつらいよ」ロケ地ですね。
シリーズ最終回・第48作「寅次郎紅の花」(1995年)。
確か大学生のとき見た覚えがあります(もちろんビデオですよw)。
島の6か所で撮影をしたそうですが、
最後のカットが徳浜(とくはま)というところ。
島の東、本当に端っこのところ。なかなか遠いです。

男はつらいよ ロケ記念地・徳浜
徳浜 ウミガメの産卵地としても有名だそうです
徳之島で見た加計呂麻島の記事 南日本新聞2月14日
たまたま地元の人から、産卵をしたまさにその場所を見せて頂いた

ウミガメの産卵は国内では今シーズン初。
地元の方の話では、通常5月ごろ産卵に来るそうなのですが、
たまたま2,3日前に見つけて、すぐ専門家へ連絡したとのこと。
「やっぱり暖冬も影響しているのかもしれないね」とお話ししていました。

もちろん、産卵場所を見るなんて初めて!!ものすごい偶然。

最初、浜に着いてきれいな海を見ていて、
さあ、帰ろうかな、と駐車場へ戻ったら、地元の方の姿が。
少しお話ししたくて話し掛けたところ、思いかけず、
産卵のことを教えて頂きました。
本当にうれしかったですね!!

(もちろん産卵したまさにその場所も写真に撮ったのですが、
SNSに公開するといろいろ都合のよくないこともあると考え、
掲載しません。ごめんなさい。)

諸鈍の集落で体験交流館を見つけて休憩。
ここで「加計呂麻の塩」を見つけて購入。
ずっと肩のあたりが気になってて重かったので。お清めですね。

加計呂麻の塩 ミネラルの旨味を感じる。この後もさまざまな場面で使ってました

結果、スーッと楽になりましたよ。本当に。よかったよかった。
やっぱりなんか憑いていたのかも。シャレにならん!
もちろん、宿に戻ってから扉の隅に盛り塩しましたよ。

あとで思ったことですが、山田洋次監督の映画スタッフは、
きっと呑ノ浦の島尾敏雄文学碑を訪れているはず。
戦争の暗い記憶をとどめる場所ですから。
おそらく渥美清も行ったのかもしれない。

いろいろロケ地を探すなかで、監督自身、
この場所だけは映画にしてはいけないと思い、
撮影場所にしなかったと思いました。
寅さん映画は正月に家族みんなで見る娯楽映画。
きっと、そんなにぎやかな映画でふざけちゃいけない、
という思いがあったのかもしれません。

行ってみて初めて判りましたが、
呑ノ浦にはそういう妖気のような静寂がありました。
やはり歴史というのは心静かにひも解くものなのでしょうね。

(私が勝手に思ったことなので詳細は判りません。
いつか、柴又の寅さん記念館で調べてみたいです)

帰りは海上タクシーで。
島へ来たとき、待合所のおじさんに乗り方を聞いておいてよかった。
「海上タクシーは20分前には待っていること。10人ぐらいしか乗れないから、いっぱいになったら乗れないよ」

16:20の便を逃したら17:30の便まで待たないといけない。
2時間宿まで運転することを考えると、早めに古仁屋港へ戻っておきたい。

港に島の人が数人座って待っているのを見つけて並ぶ。
特に看板もなく不安だったので周りの人に聞いたら、
「ここで大丈夫」と教えてもらったのでよかったよかった。

予定の時刻よりも早く船は到着。乗客はざっと10人くらい。間に合った~

海上タクシー おそらく観光客は私一人

16:50すぎ、古仁屋港へ到着。加計呂麻島での時間は早かった。

古仁屋港 せとうち海の駅 NHK「こころ旅」ポスター 
春の旅・鹿児島県は4月8日スタートです

名瀬のレストランで夕食。奄美大島といえば鶏飯。
お腹が空いていたので、おひつのごはん全部食べちゃいました。
美味しかった~~~。

レストラン瀬里奈 おかずを自分で盛り付けて食べる
こんな感じで

20:20すぎ ようやく宿に到着。長い長い一日でした。おしまい。

~ここから下は私の旅の背景について書きました。個人的なことなので、
読み飛ばして頂いても結構です。今日はここまで~~~

補足:どうして島尾敏雄だったのか

島尾敏雄を知ったのは、浪人生のとき。もう20年近く前のこと。
通っていた予備校の現代文の問題集に、「砂嘴の丘にて」という短編が
掲載されていたのを読んだのがきっかけ。
特攻命令が下る日をただ待つばかりの日々が延々と書かれている。

島尾の小説はとにかく一文が長くて、途中で何の話だか分からなくなってしまうようなまどろっこしさがあって、正直読みづらい。
大人になってから、「砂嘴の丘にて」を読みたいと思い文庫本を買ってみたけれど、同じようなことばかり書いてあって退屈で、
いつの間にか手離してしまった。

奄美大島へ来るにあたっていろいろ調べているなかで、
島尾が奄美に住んでいたこと、加計呂麻島のこと、図書館長をしていたこと
などを初めて知り、あらためて小説を読み返しました。

特に印象に残ったのが、図書館長という経歴と「死の棘」のこと。
「死の棘」はミホの心の病気のことが書かれています。
とても長い小説なので、さすがに手を付けていません。
読むほうもかなり消耗するみたいです。心してかからないと。

私が社会人になって最初に勤めたのが図書館だったこと、
去年、私が心を病んで休職していたこと。
なんだかちょっと他人事とは思えず。旅の目的地に入れたのです。

(もっとも、ミホが発病に至った原因は島尾の浮気にあるのですが)

今回の旅は、こうした過去の伏線を回収する機会が本当に多くて、
ちょっとびっくりしています。島尾敏雄のことも20年ぶりの伏線回収。
そして、島尾のことがご縁で奄美の方と素敵な出会いをします。

でもその話は、また別の機会に。
ではまた。

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