【怖い話】沖縄の幽霊は、何人?
自己紹介から
わたくし、みやび ひまりは東京の会社員です。作家志望で、ブログ、短編、怪談などを書いています。
代表作、と言っても最近はアクセス数ゼロの日も多々ありますが、「旅行と歴史」というタイトルまんま、歴史を旅してブログを書いてます。
沖縄旅行
2021年9月。台風の隙間を抜け、沖縄へ行ってきました。
そんなわたくしの、心霊体験に移ります。
台風×コロナの沖縄には、人が殆ど居ません。
よーし、取材だっ!と、平和祈念公園を巡ってみました。
すると摩文仁の丘 辺りで、ブルブル震え恐怖を感じ、逃げ出す始末。
その日の宿泊先。
あ… キタ… という気配も感じ、眠れませんでした。幽霊がベッドの上に乗ってくるとか、そんな感じではなく、ドアの外に違和感を感じたんですよね。
翌朝、知人に連絡し、沖縄在住の霊能力者を紹介してもらいました。ここでよくある怪談のように、ユタにお会いしてみたかったのですが、現実のわたくしにそんな人脈はなく。
霊感強いらしいよー、くらいの方に会っていただけることに。
その方の名前は、Yさん。那覇で落ち合い、事情を説明。東京には(幽霊を)連れて行けないから、離れて欲しい、祓って欲しいと頼みました。
カフェとか、外で話すような内容でもないので、わたくしの連泊しているホテルの部屋にきてもらったんですね。もちろん女性ですよー。
Yさんはこのように言いました。
自分にお祓いする力はない。でも、誰かがドアの外に来ているのは見える。この幽霊と交信は出来そうだから、やってみる?と。
余談ですが、わたくし、摩文仁から帰る途中で国際通りのドンキで塩を買って、自分や部屋に撒きました。キャリーケースにお札も貼ってます。
だから、幽霊も部屋には入ってこなかったのか。Yさんに教えてもらい、ひと安心。
1人じゃ怖いけど、Yさんと2人だし。明日東京に帰るし、幽霊とやり取りが出来るなら!と、OKしました。怖さより、好奇心が優ったのです。
指示された通りに水で手を洗い、口をすすぎ、2人でドアのそばへ。
Yさんはドアをノックし、幽霊に呼びかけます。身体を屈め、手で口元を押さえ、ドアにつけ、声も1オクターブくらい高い"呼びかけ声"でした。
テレビで観たことがあるような。霊能力のある方は、一律あんな感じなのでしょうか。
「どうか、お話をさせてください。(略)
私達に分かるよう、YESなら1回、NOなら2回、ドアをノックしていただけませんか?」
コーーンッ…
「今、(ノックの音)鳴ったよね?!」
Yさんから言われて、ハイ聞こえました!と答えてしまいましたが、わたくしは正直、1回のノックなんて雑音にしか聞こえません…
半信半疑なわたくしをよそ目に、Yさんの質問は続きます。
「あなたは、男性ですか?」
コーーンッ…
聞こえたね、男だよ!と、Yさんの通訳で理解するわたくし。
「あなたは、大人ですか?」
コン、コン、コンッ
3回鳴ってる… なんでだろう?戸惑うYさん。
まだ信じられない わたくし。摩文仁の恐怖体験も人の居る頼もしさから、スッカリ忘れてました。
宿泊先のホテルは好立地のビジネスホテルです。カードキータイプの重いドア。
Yさんは昼間から来ていて、その頃もう、すでに夜。
と言っても、ホテル内は活動時間帯。ニコニコ答えつつ、わたくしの頭の中は疑心暗鬼でいました。
Yさんが、さらに続けます。
「あなたは、子どもですか?」
また、3回鳴ったぁーーー!質問変えてみようか。
グイグイ話を進めるYさん、50代。バブル世代の勢い衰えず。
「あなたは、20代ですか?」
3回、だねっ!
「あなたは、10代ですか?」
また、3回。なんでよ…
「あなたに対し、答えづらい質問をしていますか?」
あっっ!コレは YESだ!質問変えてみよう!
喜びに沸く、Yさん。
わたくしは正直、だんだん合わせるのにも疲れていまして。しかしせっかく来てくれて、色々と進めてくださるYさんに、そんな事は言えません。
何か、アイデアはないか… わたくしは携帯で調べ始めました。
幽霊 会話 ☜ 検索ワード
なんて検索しますと、幽霊と会話できる機械 などが出てきました。
(アプリと)並行してみませんか?と提案してみたものの、頑なに拒む Yさん。
「幽霊は、1人じゃないのかもしれませんねー。」
と 適当に言ってみたら、激しく同意するYさん。
そうよ、大人と子どもが居るんだわっ!
YES、NO、の2択ですからね… 幽霊も答えづらいらしい。
ここからは、Yさん通訳なし(彼女から聞いたことを前提)で、書いていきます。
「あなたは、1人ですか?」
コン、コンッ
やっぱり!!
「20代の人は、居ますか?」
コンッ
「10代の人は、居ますか?」
コンッ
「そこに居る人、1人づつノックしていただけますか?」
コンッ、コンッ、コンッ、コンッ、コンッ、コンッ、コンッ、コンッ、コンッ、コンッ、コンッ、コンッ、コンッ、コンッ、コンッ、コンッ、コンッ、コンッ、コンッ、コンッ、コンッ、コンッ、コンッ、コンッ、コンッ、コンッ、コンッ、コンッ、コンッ、コンッ、コンッ、コンッ、コンッ、
えっ、音おおくない?
いつまでもノックする音が続き、
コンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコン・・
わたくしは、昨日訪れた 摩文仁の丘 の恐怖を思い出してしまいました。
◉摩文仁の丘とは◉
沖縄戦の終焉地。軍人も、民間人も、多くの人が糸満を目指して退却し、敵軍に追い詰められ、自決・焼死・爆死など、ありとあらゆる死を余儀なくされた。
憑いてきたんだ・・と分かり、また サーーーーッと血の気が引いていき・・ノック音を聴きながら、わたくしは念じました。
ごめんなさい、ごめんなさい、冷やかしではないんです。真剣な気持ちで、沖縄戦のことを書き記したいんです。
そしてYさんと相談して、盛り塩をして部屋を出ました。朝までホテル内を周ったり、なるべく部屋には戻らないようにして、時間を潰し、気を紛らせました。
夜が明けて、部屋へ戻り、カーテンを開けると、ノック音は消えていきました。
これが、わたくしの心霊体験です。
沖縄戦
太平洋戦争末期、沖縄で悲惨な地上戦が繰り広げられた…
歴史の授業で習ったって? そうですね、有名な出来事です。
日本が戦争に負けるなんてことは、もう嫌ってほど判ってるし、誰もが気づいているのに。
犠牲を承知の上、敵軍を足どめしようと、沖縄作戦を決行した日本軍。
この沖縄での地上戦には、軍人だけでなく、戦う術を持たない住民をも巻き込み、まだ高校生、中には中学生くらいの子どもまでもが、兵士として戦いました。悲惨な歴史ですね。
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