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シャンソン歌唱の7つの大罪

ミスマッチな選曲は、一つ目の罪

加藤登紀子はアマチュアシャンソンコンクールで優勝し歌手になったが、実は前年に落選している。エディット・ピアフの「メア・キュルパ(七つの大罪)」を選曲し、「恋をする女はどんな罪も犯してしまうものよ」と歌い、審査委員長の蘆原英了に「声はいい。けれどあなたのような少女にこの歌は無理ですよ」と笑われたのだ。
自分に相応しくないシャンソンを選べば歌いこなせないのは自明の理だ。この曲を歌いたいというのと、この曲を歌いこなせるというのは、まったく次元が違う。
流石は、東大在学中の彼女だけあって、修正能力は高く、翌年は「ジョナタンとマリー」という若い女性らしいシャンソンを選択して優勝した。
この実例は、シャンソン歌唱における一つの失敗の形であり、教訓であるとも言える。
先ほど紹介したピアフの「七つの大罪」という曲名にあやかって、今回は、シャンソンを歌うにあたり、決してやってはいけない7項目を解説してみようと思う。

デビュー当時の加藤登紀子

ミスマッチと言えば、衣装も

シャンソンから少し話は外れるが、寺山修司が丸山(美輪)明宏のために戯曲「毛皮のマリー」を書き下ろし、衣装をコシノジュンコに依頼した。
コシノは、そのまま毛皮を着るのは平凡過ぎると思い、紙のような不織布でできた衣装を着るように提案した。この不織布はブラックライトが当たると暗闇で幻想的に光る不思議な素材で、コシノのオリジナルだった。
ところが、丸山(美輪)明宏は、寺山修司と同い年で、同時代の音楽や映画を聴いて観て知っている。だから、丸山は寺山の書いた戯曲のシチュエーションは、マレーネ・ディートリヒ主演の「嘆きの天使」だと理解していた。それで、不織布ではなく、どうしても毛皮を着ると主張した。
戯曲の持つ懐古趣味とコシノの先進性は、ミスマッチだったと言える。

「毛皮のマリー」のポスター


話は、シャンソンに戻るが、アマチュアの歌手の方で、発表会などで作品の趣旨・傾向に対し明らかにミスマッチな衣装を着る例が後を絶たない。
豪華なドレスで、「ミロール」(場末の娼婦が語る歌)や「ポルトガルの洗濯女」を唄うのは、明らかにそのシャンソンの趣旨に合っていない。ゴージャスな衣装を着たいのならば、それに合った選曲をする必要がある。

以上2つの大罪は非常にわかりやすくありきたりな例かもしれないが、これ以降は違う。読者が気付いていない核心部分へと進んでいくので、読み逃しのないようお願いしたい。

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