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『星に願いを』 第四話 ──七つ村に関する二つの手記と一つの付記と極秘文書三一九号──
さてあの日の朝ですね。
あ。でももう一つだけお話ししなければ。
あの日、あの場所で。朝早くから小書庫で私が作業をすることになったのは何故なのか、それをお話ししなければなりません。
とは言っても、実は私にもよくわからないのです。ただおそらくそれは、ひとえに、ななつさまのオサキミのおかげだったのでしょう。
ななつさま、七の神様は、私たち森の民の守り神様です。いつも私たちを見守りお導きくださるありがたい神様です。
ななつさまは例年、ひと月ほど、隠の月としてお隠れになるのですが、今年は年明けからお隠れになってしまい(いつになるのかはななつさまがお決めになるのですが)、森の民は新年早々、神様のいない生活を余儀なくされていました。
「最近隠の月が長くなってきてるだろう? 去年だって結局ふた月以上もお隠れだったし。新年明けてすぐっていうのもなあ。」
フェイは少し言葉に乱暴なところもありますが、本当はとても繊細なのです。彼の声には不安が滲んでいました。
「やっぱりななつさまがいないと心配だって。ユズルもなんとなく落ち着かないねって。」
ユズルというのは同じ見習い生で、フェイより一つ年下の明るく気さくな人でした。私たち(フェイと私)を食堂で見かけるといつも、一緒に食べようと誘ってくれます。
そんな時フェイはなぜか気のないふりをして、でも内心嬉しそうで。
「なあに? 嬉しそう。」
でもユズルさんには見透かされています。
「いやそんなことないよ。普通だろう?」
「えー。わかりやすいよね。」
と言われ、そうですね、と私が答えると。お前までなんだよ、とフェイが拗ねて。
でも彼は照れ臭そうな顔をしてぽつりと言いました。
「だってこう、みんなで食べるとさ。家族みたいだろう?」
私は嬉しい気持ちと、少し切ない気持ちになって。ユズルさんもそれを聞いてちょっと苦笑いして(彼女もお父さんを亡くして、お母さんと二人きりだと聞きました)。
「しょうがないなあ。私がお姉さんであなたたちが弟ね。」
「なんでそうなる。」
あははと口を開けてユズルさんが笑います。フェイもつられて笑います。私はそんな二人が大好きで。
あの明るい笑顔の人も、不安を感じている。たぶん村のみんながそう感じている。
隠の月は年々長くなっていました。お隠れになるのがふた月、あるいは三月となって、森の民は皆、不安になっていたのです。神様がいない村というのは何かしら心もとないものなのです。
しかし今年はちょっと違いました。ななつさまはひと月足らずでお目覚めになられたのです。
村の皆は喜びました。でもそれも束の間のこと、すぐに村全体にオミチビキが下されたのです。
いますぐ村の全ての蔵書のテイレを、と。
つまり村にある全ての蔵書の状態を確認し、修繕し、その目録を作りなさい、というのです。
でも先ほどもお話ししたように村の蔵書はとにかくたくさんあります。それら全てにテイレを施すのは大変な作業です。人も時間もかかります。
でもななつさまはお急ぎのご様子。
そこで司書部の全員と、さらに私たち見習い生も駆り出されこととなったのです。
「とにかく急げって本司書たちは言うけど。」
フェイは不安と不満で顔を曇らせました。
「時間をかけてもいいから丁寧に。大切なものだからいい加減に扱ってはいけない。丁寧にって。いつも言われてたんだけどな。」
そうです。それが一番重要な司書部の心がけだったはず。
「お前、なんか聞いてない? ハルヤとか局長とかさ。」
「サキミがあったのだよ。」
ななつさまのオミチビキの翌日。私は局長室にいました。
「オサキミですか?」
そのころ、私は局長の手伝いという名目でたびたび局長室に呼び出されていました。とは言っても単に、局長が自分の気に入った本を私に読ませたいと思っていただけのようです(ありがたいことです)。局長はいつも、今度はこれがいいかななどと言いながら私に本を手渡してくださいました。それからご自分のお仕事に向かわれてしまうのですが、しかしその日は様子が違っていました。局長は本を手にしたまま、私のそばに腰をかけて仰りました。
「七の神が危険を察知したのだ。」
局長は膝の上で本を開いたものの、気持ちは別のところにあるようでした。
「詳しい内容は私にも語ってはくださらなかったのだがね。尤も主ご自身でさえ明確にはお分かりになっていないようだが。」
「ななつさまにもわからないことがあるのですか?」
そんなことがあるのでしょうか?
神様にもわからないことがあるなんて?
「サキミと言っても予知能力とは違うのだよ。あれはね。七の神の御身体の中にある膨大な知識と情報を元に、御の深い洞察力と情報処理能力で物事の流れを予想するということなのだ。
そして主は全ての可能性を考慮し、万全に備えようとオミチビキを下される。それは的確で、外れることはほとんどない。だから皆はそれを予言のように感じてしまうのだね。」
局長はそう言って手にしていた本をパタンと閉じました。
「神様でもね。未来を予知することはできないということなのだよ。」
そしてニヤリとされました。
神様でも未来は予知できない?
そうなのでしょうか。私にはよくわかりません。その時の局長のお話も少し難しくて私はしばらく考え込んでしまいました。
すると局長は立ち上がり、窓の方へ向かい、私に背を向けたままぽつりとつぶやかれました。
「一つね。私はお前に重荷を課すことになるかもしれない。」
窓の向こうの遠くの空に、雲に遮られた午後の日差しが光の筋になっているのが見えました。
局長は振り返り私の方にお顔を向けてくださったのですが、外はまだ明るく、そのお顔は暗い影になり、どんな表情をされていたのかはわかりませんでした。
「それでもね。カナエ。お前は本を読む喜びを知っている。それはこれからお前に訪れる数多の出来事に耐える力を、きっとお前に与えてくれるはずだから。だからね。」
そう言って局長は言葉を切り、また窓の外に顔を向けてしまいました。
今思えば、あの時すでに局長は、その後の成り行きを予測していたのかもしれません。
ななつさまのオサキミのように。
そして見習い生もテイレに駆り出されることが決まり、本館で作業を進める本司書のお手伝いをするように言われました。でも。
「なんでお前だけ離れなんだ?」
私とハルヤさまだけ、離れの小書庫に入るように言われました。
「ハルヤが小書庫を引き受けたのかなあ? お前の指導も担当することになってて。だからおまえも小書庫で? でもみんな本館なのに。見習い生はみんな一緒なのに。」
不安そうな声で、フェイは顔を顰めました。
「こういうのなんか嫌だよな。」
その時のフェイの顔を、私は今でも覚えています。
いつも明るく面倒見のいいフェイ。ちょっと乱暴で、でも繊細で、本当は寂しがり屋なフェイ。彼の不安に怯えた表情。それを思い出すと、私は胸が痛み、今はただひたすらに、彼の無事を祈らずにはいられません。
彼の不安は当たってしまいました。
あの日の災い。
森の民にとって、それは突然の嵐のような。
理不尽で恐ろしい、災害のような。
でも今考えるとそれにはすでに、いくつもの先ぶれがあったのかもしれません。私たちが気づかなかっただけで、それは少しずつ少しずつ、私たちに迫っていたのかもしれません。
だからといって私たちには防ぎようがなかった。文字を守り、書物を愛し、静寂と平穏を、丁寧さと古さを愛した私たちにとっては。
今筆をとり、当時を思い返しながらよくよく考えてみると。
あの朝小書庫にいたから、私は難を逃れることができたのだと気がつきました。村の外れの小高い丘にいたから。
それはハルヤさまの提案と、ななつさまのオサキミのおかげなのかもしれません。そして局長も。
局長のあの言葉。私に課せられた重荷。
だから私は使命を帯びたのだと自分に言い聞かせます。何をするべきなのかまだわからなくて、混沌とした使命ではあるのですが。
しかし一人ではありません。
実際に私を助け出してくれた人。
私はその人と使命を分かち合うのです。 (3,308字)
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