『星に願いを』 第三話 ──七つ村に関する二つの手記と一つの付記と極秘文書三一九号──
あの日の朝。
私は別館の小書庫で作業をしていました。
ああ、でも小書庫の説明もいたしましょう。
遠い祖先が大地に降り立った時、大きな衝撃が大切な書物をばらばらにしてしまいました。
世界中に散らばった、文字で書かれたあらゆるものを探し収集し修繕し、次の世代へと受け継ぐようにするのが森の民の、この村の役目です。それはそれはたくさんの書物が、文字で書かれたあらゆるものがこの村に集められてきました。
村には本書庫館といくつもの分館、別館、離れの小書庫群があります。私が担当した小書庫はちょっと離れた北側の小高いところにありました。
本館と異なり、細々としたものが多く、例えば、個人的な手紙とか、ちょっとした書き付けとか、他にも、何かの品物の取引のために書き留められたものとか。そんなものがいっぱい収められていました。
私はそれらを手にするのは初めてでしたが、昔の人の日常が垣間見えてとても面白いなと思いました。
「これはなんでしょう?」
私は表紙の汚れた薄い冊子を手にハルヤさまに尋ねました。
ハルヤさまは冊子を手に取り、慎重にページを捲りました(古いものは傷みが激しく、ページが取れてしまうこともあるのです)。
ページの上半分が青く塗られ、色褪せているけれど、赤や黄色の点が円形に花開くように描かれ、手前には人物らしき形。大きな人二人と小さな人二人? ページの下半分に大きな文字が並んでいました。いずれも拙い線で描かれています。
「日付が入っているね。おそらく日記だろう。」
とハルヤさま。
日記? そう言われても私には読めません。それらはたぶんかなり昔の、いにしえの文字でしょう。
「古文字だね。あなたにはまだ難しいだろう。司書部でも読めるものは少ない。」
そう言ってハルヤさまは私にもわかるように文字を指さしながら読み上げてくださいました。
「はちがつようかはれ はなびをみました。
おとうさんとおかあさんとおとうともいっしょです。
とってもきれいでした。」
そこでハルヤさまは、ああ、と納得されたご様子で。
「一つ一つの文字が大きく、線が辿々しい。内容も考えると、これはおそらく子供が書いた日記のようだね。」
文字の上に描かれた絵をじっと見つめるハルヤさま。
すると、
「本館のね。」
ハルヤさまはぽつりと呟かれて。
「本館の書物もどれも大切なものだと思うのだけれどね。」
いつになくハルヤさまの横顔が、穏やかな微笑みを浮かべているように見えました。
「私はね。こういうものも大切だと思うのだよ。こういう些細な、本当に小さな優しい気持ちが込められているものが。こういうものこそ残したいと。」
それからハルヤさまは壊れやすい宝物を扱うように、そっと日記を閉じました。
「いや。余計なことを言った。」
そう言ってハルヤさまはいつものお顔に戻られました(ハルヤさまはあまり感情を外に出さない人のようです)。
そのとき私は、そういえばハルヤさまもご家族がいらっしゃらなくて、一人ぼっちだと聞いたなあ、なんてぼんやりと考えていただけなのですが。
今ならわかります。あの時のハルヤさまの気持ちが。
こういうものこそ残したいのだ。というその気持ちが。でも。
「これは古代の慣習の書に分類しよう。いや少し傷んでいるから先に修繕部に出した方がいいだろう。」
ハルヤさまはすでにいつもの調子に。
その時。あ、そうだ、と私は思いつきました。ハルヤさまに聞けばいいんだと。
私は懐にしまっていた一枚の写真を取り出しました。
「ハルヤさま。これは? これも、もしかしたらいにしえの?」
それは兄の残してくれた大切な写真。古く色褪せた写真です。
「写真の裏を見てください。文字が書かれているでしょう? この文字は。この日記と同じ文化のものではありませんか?」
ハルヤさまは写真を裏返し頷かれました。
「確かに。これは古文字だね。」
やっぱりそうだ。
私はずっと疑問に思っていたことを尋ねました。
「なんと書いてあるかわかりますか? この最初の文字はその日記より複雑な文字を使っているように見えます。なんと読むのでしょうか?」
「ああ。これはね。漢字という文字だ。」
「カンジ?」
「さっきの日記は音を示す文字だけで書かれていたが、こちらは違う。一つ一つに意味がある文字なのだよ。」
そう言ってハルヤさまは一番最初の文字を指で差しました。
「例えばこの文字。これはお日様とか光を意味するんだ。」
「お日様とか光ですか? 素敵な文字ですね。」
しかしその時、ハルヤさまが私よりも先に気付かれました。
「カナエ。あなたはこれをどこで手に入れたのだろうか。」
ああ、私はうっかりしていました。おそらくこれは兄が探索して見つけたもの。探索者は見つけたものを全て、書庫に納めなければならない。それなのに。
「あなたのお兄さんは探索部で働いていたね。」
「すみません。失念していました。兄はきっと。」
私はなんと言っていいか分からず、その先が続けられません。
「カナエ。これは私が預かっておこう。これも少し修繕が必要のようだ。ただ写真となると修繕部には無理かもしれないな。八つ村で扱えたはずだが。そうなると」
どうしよう。
この写真は兄の大切な忘れ形見。それを手放すことは兄の思い出を手放すことになりはしないだろうか。
兄はそれを望むだろうか。
もちろん、規則を守ることは大切です。でも。
「この写真はあなたにとって大切なものなのだね。」
私が黙って下を向いているとハルヤさまが仰りました。
「もしあなたが望むなら、修繕後いつでも閲覧できるように掛け合うこともできるが。」
それからハルヤさまは写真をしばらくの間見つめ、優しく微笑まれました。
「これはおそらく家族の写真だ。笑っている。いい写真だ。」
それを聞いて私は兄の言葉を思い出しました。
「だからね。僕が持っていて失くしてしまったらいけないだろう?
探索の時、狩り人に奪われてしまうかもしれない。あるいは一つさまの。西の民が。いや。
だからね。お前に預かっていてほしいんだ。
いい写真だからね。」
と兄は微笑んで。
そうだ。だから。
「ありがとうございます。」
と私はハルヤさまに言いました。
「大丈夫です。大切な資料ならばきちんと保管しなければ。」
私の言葉に、ハルヤさまがまた、優しく微笑まれました。
ここまでを読み返してみたのですが、やっぱりお話が全然先に進んでいないことに気づきました。
「すみません。物事を順序立ててお話しするのは本当に難しいです。」
と私はイサキさまに申し上げました。
「いや。私も文章を書くことは苦手だからなあ。でもどれも君にとって大切なことなんだろう。まあ、そろそろ先に行ってくれてもいいけどね。」
とイサキさまは苦笑されました。
「そうですね。やってみます。なんとか先に進めなければ。」
と私は答えました。 (2,783字)
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