ジョン・アーヴィング『ガープの世界』 その2(全六回)
その2 『まるで連想ゲームのような』
※ 物語の決定的な部分はなるべく言及しないように気をつけていますが、説明上どうしても、多少のネタバレをしてしまうと思います。少しでもダメな方はご遠慮ください。
それでは。
私が『ガープの世界』を何度も読んでしまう理由をお話ししましょう。
五つの項目に分けて毎回一つずつお話しする予定です。
一つ目は。
まるで連想ゲームのように積み重ねられるエピソードについて。
物語の始まり。冒頭の一文。センセーショナルです。しかし。
一体何が起こったのだろう?
と読み進めてもすぐには事件の経緯は語られません。
その代わりに。
1. スポーツウーマンみたいな彼女の外見や歩き方。
2. 彼女が大学を中退して看護学校に進んだこと。
3. 裕福な実家と、その実家に帰るために列車に乗るときの家族独自のルール。
4. 父と母それぞれから渡されるお土産について。
5. ジェニーが子供の頃調べたはまぐりの生態。
6. ボストンの病院で流行っていたジョーク。
7. ロマンチックではないヴァレンタイン治療法。等々。
まるで連想ゲームのような、思いつきで並べられたかのようにたくさんのエピソードが続き、そうして文庫本で10ページほど後、ようやく傷害事件の当日の描写に戻ります。
この流れが私はとても好きなのです。
この流れに身を委ね、読み進めるうちに、私は第一章の、一見無関係にも思えるエピソード群から一つのことを強く感じます。それは
ガープの母、ジェニー・フィールズの圧倒的な孤独。
彼女が自分の見た目をどう思っていたか、大学が合わず看護学を選ぶ彼女の考え方、お金持ちのために見えなかったこと、父と母と二人の兄たちの彼女に対する愛情と偏見。などから見えてくるものは。
世界は理不尽で、排他的であり、周りの人と異質な考えを持つ彼女の居場所はどこにもない。家族にさえ理解されない孤独。
そして事件の当日の詳細な記述に戻るとき、果たして彼女に何があっただろうか、と私は物語に引き込まれていくのです。
でも単純に。
小さなエピソードの連続から元のところにストンと戻る感じが読んでいて気持ちがいい。
私が好きなのはそういうことかもしれません。
ああ、そうかここに繋がるんだと分かった時の快感。
があるのです。
ちなみにこの第一章。
ジェニーがガープを出産するまでの経緯が語られるのですが、これがかなり変わっていて衝撃的だと感じる人が多いようです。
それを面白がる人もいれば、眉を顰め不謹慎だと憤る人も。
私は。
ガープの父親が体験した戦争の、あまりにも残酷すぎる悲劇。
周りの理解を得られず自分の生き方を決めざるを得なかったジェニーの孤独。
皮肉を交えつつも冷静で客観的な語り口で、容赦なく描く著者の視点。
この第一章は辛く悲しく、同時に力強いエピソードだと思っています。
ただし。
暴力的なシーンやあからさまな性描写は読む人の心を傷つけることがある。
そういう表現が含まれる作品の受け止め方は人それぞれで注意が必要だ。
とも私は思います。
難しいです。
さて。連想ゲームみたいなエピソードの積み重ねのお話に戻りますが。
この表現法。
作中随所に使われ、物語を牽引していきます。でも必ずしもストンと元に戻るという感じではない場合も。
例えば。
文庫本、下巻の最初の章「12 ヘレンのできごと」の冒頭。
という一文から始まるのですが、そこからガープの幼馴染の死と、それを知ってかけたお悔やみの電話の顛末、友人の恋愛事情、など、また10ページほど続きます。
こちらは戻るというよりどこへ行くの?って感じで展開していきます。そしてこれらのエピソードの重なりのなかで少しずつ、ガープとその妻ヘレンとの微妙な関係の変化が見えてきて。
あれ? 電話の話じゃなかったの?
と後から思い返して。
あ、そういうこと。となって。
面白いです。
「連想ゲームのように続くエピソードの積み重ね」
は物語を牽引する力があるように思います。
長い物語を読ませる力。
このおかげで私は『ガープの世界』を読み出すといつも止まらなくなってしまうのですが。
この手法は何か学問的な名称などがあるのでしょうか?
私はこの手法の面白さをガルシア=マルケスの『予告された殺人の記録』を読んだ時にも強く感じました。『百年の孤独』の冒頭を読んだ時もいきなり引き込まれましたし。
でもそちらに関しては、私の読書経験は浅く、あまり自信がありません。
見当違いなことを言ってたらごめんなさい。
このことはまた改めて。
さらに考えを深め、いつかお話ししたいと思います。
次回は
その3 『「のちに彼はこう書いている」式文章。』
前回
その1 『狂気と悲哀。だけでなく』はこちら