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初めての胃カメラ

 生まれて初めて胃カメラを飲んだ。なぜ飲んだのか今もわからない。ストレスが胃にきやすいタチだけど、その時は特に不調を感じていなかったから。

「まず胃カメラを鼻から通してみて、無理なようなら麻酔をしましょう」と先生に言われたが、苦しいながらも麻酔を使わず、なんとか鼻を通った。初めて自分の体内をカメラを通して見る。ピンクのぐにゃぐにゃ。胃液にカメラが入ると、画面にノイズのようにカラフルなラインが浮かび、おしゃれなPVのようだと思った。検査の終わりかけ、突如先生の手が止まる。「胃潰瘍だね、これ。…あれ、うーん。…形が崩れているなぁ」先生は、何度もその突起した部分をながめ、写真に撮り、特別な液体をかけ、小さなハサミで三箇所胃を切り取った。わたしは、リアルタイムでその様子を見ていたから、あぁ、これはガンなんだな、とひんやり感じた。

 切り取った胃の検査結果が、予定より早く出たと病院の看護師さんから電話があり、「今日中に、家族の方と一緒に来られますか?気をつけていらしてください」と言われ、否応なくわたしは察した。その日は土曜日だったので、家にいた夫と病院に行く。病院は混んでいて、2時間ほど待合室のテレビを見て2人であーでもない、こうでもないと話しながら過ごした。酷暑の昼下り。

 案の定のことを言われた。診察室で、一番先生が落ち込んでいるのがなんだか申し訳なかった。私の後方に控えていた夫は、先生が英語で私の病状について説明しはじめ、顔色が変わった。紹介状を再び書いてもらって、大きな病院へ。その病院の先生からは「手遅れではない。が、すでにガンは5センチほどあるから開腹手術じゃないと取れなくて、胃の全摘になるかもしれない」と言われる。転移の有無等を調べるMR検査の予約日までおよそ3週間。その間どうやって過ごしたら良いのだろう。先生に尋ねる。「仕事は?休んだ方が良いんですか?結構、肉体労働なんですが。」
「んー、大丈夫じゃない?」と先生。
「食べ物は?何か気をつけた方がいいことはありますか?」
「特にないよ。今まで普通に生きてたんでしょう?」
 …まぁ、そうですけど。自分が胃がんだと知ってしまった今、普通に暮らすことはできるのだろうか。

 動揺はした。暗い方を見るとどんどんしんどくなる。でも割と濃い人生を歩んだんじゃないか、とも思う。無為な時間をたくさん過ごしたな、とも思う。でも、人生って割とそういうものかもしれない。誰しも濃淡こそあれ多くの無為な時間を過ごし、幸福な思い出と後悔を抱えながら一人いく。
 自分がガンだとわかってから、数人、会う約束をしていた人や、旦那さんが医師の友人、母親に電話やメールをする。皆、一様に驚き、けれど明るく接してくれて、心が少し浮く。近々会う約束をしていた80歳代の女性は「あらあら」と、驚きながらもすぐに「ねぇ、わたしの義理のお兄さん。52歳で胃がんで、胃の全摘したけど、今も文句ばっかり言って90過ぎたけど元気に生きてる。あなた、良い?胃がんごときで死ねるなんて思いあがらないで」と言って、電話の向こうで明るく笑った。ありがとう、ありがとう。ありがとうございます。

 母に「一人で大きくなったような顔をして」と言われたことがある。太々しい態度だったのだろう。元々親にも友人にも甘えるのが苦手だ。夫に何かお願いして、伝わらなかったり自分の思い通りにならないと疲れてしまうから頼むのが苦手だ。でも病気がわかってから、病気と戦うのはわたしだけど、先生や家族、友人、知人、同僚に支えられているなぁとしみじみ感じた。怖いけど孤独じゃない。
 前述の年配の女性にこうも言われた。「ねぇ、なるようにしかならないって思えない?」そう、よくも悪くも、なるようにしかならない。不安にかられた時、おまじないのように、なるようになると自分に言い聞かせる。そして、自分の腹を撫でてありがとうと呟く。40年以上もの間、ずっとここにいてくれてありがとう。たくさんのストレスを一人で受け止めてくれて、ありがとう。

 夫は、わたしがガンだと分かった時から、毎日家に帰ってくるようになった。正直、ご飯を一人ぶん余計に作らなくちゃいけないのは面倒臭いと思うこともある。夜よく眠れていないようだ。私よりクマが深く、目が落ち窪んだ暗い顔をしている。患者を支える家族もしんどいから、心が楽になるならお義母さんに言ってもいいよ、と伝えたのだが、甲状腺異常の件で私に叱られたのが効いたのか、「大丈夫、今は言わない」と言った。わたしは、夫に言ってもどうしようもないことを腹の中で思う。

 あんたと結婚しなければ、病気にならなかったかも。海外に行かなければ、もっと早く病気が分かったかも。あんたのせいで、私は胃がんになった。薄暗い醜い言葉の数々。
 
 昼ごはん、晩ごはん、病気が分かっても結局一人で作っている時。家事を結局私一人でやっている時。早朝4時に起きて仕事に出かける時。疲れ果てて、ふとそれらの言葉を夫にぶつけたくなる。でも、もう一人の冷静な方の自分が、静かに「もっとひどいことになっていたかもしれない。」と囁く。孤独にのたうち回って、もう死んでいたかもしれない。ううん、もっと幸せだったかもしれない。もっと自分らしく生きていたかもしれない。でも、今の、2人の素敵な子供がこの世に生まれた、この人生が一番幸福な『今』だと、感じる。

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