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プログラミングと文章の意外な関係

サンプルを読んだこちらの本。

今回はちょっと購入を見送ったが、面白いことが書いてあった。

「プログラマーには文章が上手い人が多い」と言うのだ。
論理的思考が身につくから、とのことらしい。

私はここ数年、プログラミング言語をいくつか勉強してきた。
確かにプログラミング言語を操るためには「曖昧」な表現は許されず、システムが容赦なくエラーを叩きつけてくる。
当然、ちょっとしたスペルミスでさえも、「ファイルが見つかりません」とか「そんなファンクションはありません」などと突っぱねてくる。

文章を書いていると何だかよくわからなくなっていく、主旨を見失う、着地点が見えないなど、色々な問題に直面する。
それはプログラミング言語でも一緒で、途中で主語が入れ替わってしまっていたり、様々な理由でエラーが出るか、思わぬ答えに連れていかれたりする。

これがプログラミングの場合、確かに論理的思考が出来ないと解決ができないのだ。いわゆるバグを見つけることが出来ない。
ここまでは合っているはず、と自信のあるところまでで一旦コードを読み込んでみる、うん、ここまでは大丈夫。
問題はここからだ、とエラー位置を特定できればこっちのもの。

また、プログラミングを勉強していると、他の人が見てもわかるコードにしましょう、と教えられる。
これも文章に密接に関わると思う。
人が読んで伝わらない難解な文章は独りよがりで意味がない。

ただ、文章は難しいと思う点は、想像の余地のない、隙のない文章は説明書やマニュアルのようで面白くない。

以前、文章をずっと書きたいと思っていたのに書けずにいた、と書いた。
もったいない時間の過ごし方をしたなと思ってきたが、思わぬところで「あ、これも文章の役に立ったんだ」と思えることを教えてもらった。

もし、これを読んでいる人の中で今プログラミング言語を勉強している人がいれば、これだけは伝えておきたい。
何度も挫折しそうになることがあると思う。
プログラミング言語を学ぶ=コンピュータの考え方を学ぶということは、一般人には簡単なことではない。

英語では「Lerning Curve」というのだが、プログラミング言語は学習曲線に沿って理解が進む、ということだ。
わからない、全然わからない、と思っても諦めずに進んで欲しい。
「なんかわかる!」という瞬間が訪れるからだ。

私はこの話を何度も色んな人から聞いて、壁に突き当たった時は私にはその瞬間が訪れないと思ったものだが、文字通り「なんかわかる」という瞬間が訪れた。
当然今でもエラーが起こるし、まだまだ無限に学ぶべきことがあるが、確かに勉強しただけの結果が出た。

概念として若いうちにプログラミングに触れている今の若い世代はスタートが早く、それだけでアドバンテージが大きいと思う。
羨ましく思うが、私たち大人は固くなってきた頭で何とかプログラムを学ぶしかないのだ。

6月26日 月曜日

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