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父のこと。戦争による複雑性PTSDと認知症の周辺症状のこと 5

空襲の時4歳だった叔父はその時のことを写真として覚えているよ、と話してくれた。戦争が終わっても、家族や友達とも、他の誰とも戦争の話をしたことが無いことも教えてくれた。
 
気が滅入るからさ。前を向けるような話をしていたよ。言葉にできないようなことだったから、自ら記憶を消した人もいると思うよ
 
自ら記憶を消したのは叔母・父の妹。戦争の事を聞いてもほとんど覚えていない。あまりに辛すぎてそうしたんだろう。叔母は情の厚い人だから。
 
戦地から帰ってきた人だけでなく、戦争を生き延びた人たちは心の奥深く傷ついたままと思う。その証拠に、多くは何も語らず逝ってしまった。
 
街は壊されても作り直せる。人の心が壊れたら、一生そのままかもしれない。手厚いケアを受けてもどこまで回復するだろう。戦後の日本は国を立て直すのに必死だったし、国民の心のケアなどできなかった。
 
戦争は人の心を壊す。徹底的に。
父とその家族の戦中戦後の話を聞いて、時間が経つとともに母に暴力を振るい、発狂したように怒鳴り散らしていた父と、戦争で壊れたまま、癒えることなく生きてきた父を切り分けて考えられるようになってきた。

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