中沢くにこ

2022.5月現在、65才のおば(あ)ちゃんです。押入れを整理していたら、古い古いノー…

中沢くにこ

2022.5月現在、65才のおば(あ)ちゃんです。押入れを整理していたら、古い古いノートが出てきました。14才になったばかりの頃から、17才終わりの頃までの詩もどきや、ただ書きなぐった雑文です。稚拙だけど半世紀も経てば恥ずかしさもないので、この場を借りて載せてみることにしました。

最近の記事

ひとすじの愛

教えて下さい。 人を愛するって、いけないことなんですか? 長い間、同じ人を愛するって、 悪いことなんですか? 教えて下さい。 私はしつこいんですか? 一方的に手紙なんか出しちゃって、 しつこい、イヤな人間ですか? 私は自分で、 魅力なんてあるとは思っていなかった。 けっして、おごった気持ちはなかった。 だけど、何かを期待してあの人を愛した。 何か、わけもわからないものを、 期待しながら生きてきた。 早く、早く教えてください。 私の行い、私のことばは、 あの人に迷惑、かけ

    • 静寂

      なんとなく1日1日が過ぎていきます。 これといって楽しいこともなく、 これといって悲しいこともなく…。 「時」はもう、私を忘れたのでしょうか。 知らんぷりして私のそばを、 通り過ぎていきます。 ああ、誰かが私を呼ぶ。 胸のいたたまれなさを、 ひとつの声にしぼりあげて、 私の名を呼ぶ。 ああ、聞こえる、私の耳に。 しかし、それは幻。 ただの夢。 私の心はちっともわからぬ、 ただの精霊か。 1日1日がただ過ぎていくのを、 肌で感じてはいても、 それに息吹を与えることはできな

      • 生への決心

        自由な世界へのあこがれは、 つねに私の心にある。 はっきりもわからない、 「自由」・・・。 だけど、きっと自由とは、 この世で一番美しいものだろう。 何かにしばられてみたい気もする。 これから現れる「愛」は、 きっと私をしばりつけるだろう。 いや、しばりつけようとするだろう。 そんな時、私は、 きっと自分を忘れて、 「愛」にしばられるだろう。 しばられることに幸福を見出すだろう。 でも、そんなとき、 私は生きてはいないのだ。 自由になるということは、 自分でひとり「生きる」と

        • 3日目にして既に後悔が始まっていますが…。

          大昔のものを、この世界の末端で綴るくらい大したことがないだろうと思っていたのに、実行するとなると、やはりこみあげてくるこの恥ずかしさ。 後戻りするなら今、とも思いますが、もう少し、50年前の詩もどきを転載してみます。毒を食らわば皿までも…。 あなたがひとりで立ち上がるために 人の心って本当に複雑なんですね。 思ったことをひとつ、 自分の考えたとおりに進めて行けばいいのに、 どうも何かが気になってしまう。 やりたいことひとつ、 自分の真実の心に忠実にやっていけばいいのに、 ど

        ひとすじの愛

          今日も14才の頃の詩(もどき)を。

          誕生日 「おめでと!」 さりげなく言った。 ごく自然に言った。 あれこれたくさん浮かび出たことばの中から、 たったひとこと、 「おめでと!」 って言った。 胸はいっぱいだった。 何日も前からこの日を待っていた。 ひとこと「おめでとう」をいうために、 何日も前からこの日を待っていた。 きっと、笑ってくれると思った。 きっと、喜んでくれると思った。 この日は、 きっとすばらしい日になると思ってた。 へんな目で見られた。 怒ったような目で見られた。 いつものやさしさがなかった

          今日も14才の頃の詩(もどき)を。

          半世紀前、10代だった頃の書きなぐり。

          プロフィルにも書きましたが、半世紀前のノートにえんぴつで書かれている、自作の古い詩(のようなもの)や書きなぐりを、ここに載せてみることにしました。 さすがに50年も経つと自分であって自分でない、いや、むしろ、1番身近な他人のような感覚です。幼稚な恋愛観や、今だったら絶対出て来ない言葉の数々。でも、50年前はそれが当時のくにこさんにとっての真実だったのでしょう。 ノートの順番(日付)どおりではなく、アトランダムに載せて行こうと思います。(当時の年齢を記しておきます。) 涙

          半世紀前、10代だった頃の書きなぐり。